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母の回復

 去年の秋から母がベッド生活を送るようになって、この頃、だんだんと小康を取り戻してきた。ベッドでしか食べられなかった食事が最近は茶の間に来て食べられるようになった。私が食事を食べさせるのは母も私もやってはいられない。だから私が作ったおむすびや汁けの少ないおかずは、スプーンは使いにくいと言って、母は手でつかんで食べていた。
 
 去年の十月、背骨の圧迫骨折をしたときは、身体の自由もあまりきかなかったので、ベッドからほとんど動かず、顔つきもげっそりと生気の失せた病人顔をしていた。今では生活のリズムを取り戻し、トイレも行ける時は行き、ポータブルトイレを使わなくなっている。
 寝返りができるようになったので、テレビも新聞も、余裕を持って楽しんでいるようだ。
 
 昨日は、病院の診察日で、私も義兄の車で付き添って行った。
 朝、母の着替えを用意しているとき、母は「診察券がない」と言い出し、私に診察券を捜すように言った。「大丈夫、手提げの中の財布に入っとるから」と答えた。

 また、しばらくしたら「診察券どこ入っとるが?無いがでないけ?」と言い出す。「いつもそこに(財布に)入れてあるので大丈夫」と私。
 車に乗ろうとすると、また車の中から母は「診察券、入っとるけ?」と言い出す。
 そして病院へ着いて、私が母の手提げの中から診察券を出そうとすると、それが手提げの中には本当に財布がない、診察券もない。「あれ、財布ないね。どうしてやろ」
 
 それに対して母はこう言った。「さっき、私、持ってかんなん、大事やと思て、飯台の上に置いてきた」驚いた私。「えーっ、家に置いてきてどうするが。それを持って病院へこんなんがに」
 年をとった母との会話は、毎日、度々、こういう間の抜けた漫才のような感じで繰り返される。お陰で、私もかなり、辛抱強くなった。
 
 病院の帰り道、義兄が近くの公園の桜を見せに、母とドライブしたらしい。私は、用事があったので自分の車で先に帰った。車の中からでも見れば、満喫できるだろう。
 今年の桜は、どの木もこんもりと枝先に花びらを携えて、満開の木々の連なる風情が圧巻である。今年の冬は雪が少なかったので、鳥に食べられなかったらしい。今年もなんとかこうして桜を見ることができて、本当によかった。
 
 この頃は最初は抵抗のあった訪問入浴もすっかり気に入って、スタッフの人に申しわけないほどしきりに話しかけ、孫の自慢話や自分の昔話など、毎回同じような話を繰り返している。スタッフの方も入浴の世話だけで大変な中を嫌な顔もされず、気長に優しく相槌をうってくださる。本当に、頭が下がる思いである。
 
 お風呂に入れるのも私一人ではとてもできないし、湯船に浸からせたり、足の爪を切ったり、一つ一つ、自分がやろうとするとかなり手間がかかり、大変な作業だ。リハビリも、ちゃんと専門の方が来て、健康チェックと本人と話をしながら上手にベッドの上で手足を動かしてくださる。もしも私が一人で抱えるならば、家事に加えて大変な労働であり、心の負担となったであろう。
   
 ケア・マネージャーの方との打ち合わせや、担当の方たちが見えるときは少し部屋の掃除をしたり、外出を控えたり、ということはあるにしても、自分で何もかもをやることの大変さに比べたら、介護保険を使った介護システムというものは有り難いものだと思う。
    社会の様々な担当場所で、これだけ他人のために誠実に働いてくださる方がいる、ということを知り、経験したということも代え難い経験だった。
 
    介護はそれでなくても長期戦であり、孤独になりがちである。
 母の介護が始まってから、知人の方に「子どもが親を看るがあたりまえなが。たとえ自分の人生設計が狂ってきても、仕事先を辞めたとしても、自宅で親を看る、ことくらいは、子として当然のことながや」と面と向かって、あまり他の人からは言われたことがないような言い方をされたことがあった。
 自分の経験値でその人は私に言ったのであろうが、人にはそれぞれのキャパシティと環境がある。私のように相談する相手がなく、女手は自分一人で介護をしているとき、吐き出し口があまりないのが介護のしんどさなのだ。
 だから、しんどいときに愚痴を言う相手はいなくても、介護の負担を軽くしてくださるだけで、ケア・マネージャーさんが親切な方だというだけで、とてもとても有り難い。
 
 五月半ばからは、リハビリも自宅ではなく町のリハビリ施設に通うことも考えている。入浴も、自宅に入浴設備を持ち込んでの入浴から自宅で入る入浴に変える予定である。「前よりようなられてほんとによかったですね。次のステップを考えましょ」とケア・マネージャーの方が軽やかにおっしゃった言葉は、まるで春告げ鳥のようにさわやかだった。

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