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スコット・ノーウッドの悲劇(上)

 アメリカンフットボールの全米王者を決める試合にとどまらず、世界最大のスポーツ・イベントだとも言われるスーパーボウルが、今年も間もなく開催される。

 私にとって、これまでのスーパーボウルの中でもっとも印象深いのは、1991年にニューヨーク・ジャイアンツとバッファロー・ビルズが対戦したゲームだ。
 当時は湾岸戦争の真っ最中だった。
 湾岸戦争は「クウェートに侵攻をした上に、アラビア湾に原油を撒き散らしたイラクに対して制裁を加える」というアメリカにとって大儀も名聞もある戦争であり、全米が異様なほどに高揚をしていたように思う。
 そんな時期に行われた国民的イベントである。試合前のセレモニーでホイットニー・ヒューストンがアメリカ国歌を歌い終えるころには、すでに競技場内のボルテージは最高潮に達していた。

 堅いディフェンスが持ち味である両チームの対戦は予想通りの大接戦となり、ジャイアンツが20対19と僅かにリードして終盤を迎える。
 1点を追うビルズは、クウォーターバック、ジム・ケリーの冷静な判断で敵陣へと前進し、試合終了まで残り8秒のところでフィールド・ゴールのチャンスをつかんだ。
 この47ヤードのキックが決まれば試合は逆転する。
 競技場全体が騒然とする中、登場したのはビルズのキッカー、スコット・ノーウッドだった。
 プロのキッカーの場合、40ヤード以下のフィールド・ゴールはほぼ確実に決める。逆に50ヤード以上になると、その成功率は極端に下がる。
 ノーウッドが狙う47ヤードという距離は、ちょうど「入れごろ、外しごろ」というやつだ。
 すべての選手、スタッフ、観客が固唾を飲んで見守る中、ノーウッドが放ったキックは高い放物線を描き、十分な飛距離をもっていた。
 だが、わずかにゴールの右へそれた。

 歓喜に沸くジャイアンツの選手たちの横で、呆然と立ち尽くすノーウッドの姿が翌日の全米各紙の一面を飾った。
 それから数日後、ビルズはバッファロー市内でスーパーボウルの報告会を行った。優勝こそ逃したものの、初のスーパーボウル出場を果たしたチームのために、多くのバッファロー市民が集まった。
 ヘッドコーチや主力選手のスピーチが続いたあと、司会者はノーウッドにもスピーチを求めた。
 罵声を浴びることを覚悟しながらマイクの前に進み出たノーウッドは、そこで信じられないことを耳にする。
「We love Scott! We love Scott!」
 市民の大合唱を聞きながら、ノーウッドは大粒の涙を流した。

(つづく)

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