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畳の上の水練

「畳の上の水練」という言葉がある。
 これは、「畳の上で水泳の練習を積んだだけでは、水の中で泳げるようにはならない」ということから転じ、「現実から離れて形だけを学んでも、実際には役に立たないことが多い」という意味だ。
 理論や方法論には詳しくても実体験が乏しい人や、その実践を戒めるときに使われることが多い。


 残念ながら、教員向けの研修のなかにも「畳の上の水練」と呼びたくなるものが存在する。
 たとえば、
「一方的な講義によって進められる『主体的・対話的な学び』に関する研修」
 などがそうだ。

 たしかに、その理論や方法論を学ぶことも大切である。だが、講師の話を一方的に聞くだけでは主体的でも対話的でもない。それだけで実践化できるとも思えない。
 模擬授業を行うとか、せめてグループによる協議でも取り入れたらよいのにと思う。

 教師自身が「主体的・対話的」に学んでいないのに、それを授業で実践できるとはとても思えない。


「畳の上の水練」は、近くに海や川がないとか、雨でプールに入れなかったとか、何らかの事情があって仕方なくそうなってしまったのだろうと思う。
 しかし、一方的な講義によって進められる「主体的・対話的な学び」の研修のほうは、工夫次第でいくらでもアクティブにできるはずだ。

 それはまるで、プールにいるのに水の中には入らず、ずっとプールサイドで泳ぎの練習をしているようなものである。

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