「出羽守」と「常盤御前」
以前、人材開発・組織開発の第一人者である中原淳教授(立教大学)のブログに、
「ではの守(デワノカミ : 出羽守)」
という言葉が紹介されていた。
私が教員を務めていたころの学校にも、
「前の学校では・・・」
という言葉を連発する「出羽守」たちがいて、周囲から煙たがられていた。
おそらくは最近の学校にも、特に春先になるとこうした「出羽守」が出没していることだろう。
・・・近年の学校には「出羽守」とは別に、
「ときは御前(トキワゴゼン:常盤御前)」
という者が存在していると思う。
定年退職した校長や教員が、再任用制度によって「一般教員」や「初任者指導教員」などに再雇用されることにより、この「常盤御前」に変身をするのだ。
彼らは、
「私が校長だった『ときは』」
「私が初任者の『ときは』」
といった言葉を発して、現職の校長を不快な気分にさせたり、初任者を精神的に追い詰めたりするのである。
こうした「常盤御前」は「出羽守」よりも質が悪い。
なぜなら、「出羽守」は時間の経過とともに周囲と同化したり、アップデートされたりしていくものだが、「常盤御前」にはそれがない。
いや、アップデートをしようにも、そのOSがせいぜい「WindowsXP」のレベルだから、すでにサポート切れなのである。
・・・今日もどこかの学校で、
「私が〇〇だった『ときは』」
と、得意気に語っている「常盤御前」がいるに違いない。
だが、周囲の人たちからは、
(現役時代に「コロナ禍」も「働き方改革」も「GIGAスクール」も経験していない人の武勇伝なんて、何の役にも立たないんだよ!)
と、実は小馬鹿にされているのである。
知らぬは当人ばかり、なのだ。
これからは余計なことを言わずに過ごし、「常盤御前」ではなく「静御前」を目指していただきたいものである。
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