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「出羽守」と「常盤御前」

 以前、人材開発・組織開発の第一人者である中原淳教授(立教大学)のブログに、
「ではの守(デワノカミ : 出羽守)」
 という言葉が紹介されていた。

「ではの守(デワノカミ : 出羽守)」という言葉がございます。

 主に、海外赴任から帰ってきた日本人の、ある「振る舞い」を「揶揄」する言葉として用いられるものですが、ご存じでしょうか。

 そうですね・・・

 アメリカ「では」・・・なのに、日本は・・・であるからケシカラン
 海外「では」・・・・・なのに、日本は・・・であるから遅れている

 といった具合に言葉が用いられます。

「アメリカでは」「海外では」という具合に、海外帰国者が「何かにつけて、外国の事例を引き合い」にだして、日本のことを揶揄するような、いわば中2病的なみっともない振る舞いを、「ではの守」といったりするのです。

(中略)

 海外で長く暮らして帰ってくると、日本は、とてつもなく小さく見えたり、そんな日本で常識となっていることが、とてつもなく許せなかったりするものです。

 「ではの守」は、そんなときに発病する、いわば流行病(はやりやまい)のようなものです。
 頭では、そういう物言いが、周囲を不快にすることはわかっていたとしても、そんな物言いが1ミリも意味をもたないことをわかっていても、ついつい、比較を行い、口から出てしまう。

   ▼

 ちなみに、この「ではの守」は、新たな組織や会社で働き始めた「中途入社の社員」も、発病することがあります。

 前職「では」・・・・だったのに、この会社では・・・なのは、どうかと思う
 前の会社「では」・・だったのに、ここでは・・・・・いまだに・・・なのは、ケシカラン
 以前の職場「では」・だったけれども、今回の職場では・・なのは、違和感がある

 という具合に、中途入社の社員も「前職」や「前の会社」や「以前の職場」を引き合いにだして、「今の会社・職場」を揶揄したりします。

同ブログより引用

 私が教員を務めていたころの学校にも、
「前の学校では・・・」
 という言葉を連発する「出羽守」たちがいて、周囲から煙たがられていた。

 おそらくは最近の学校にも、特に春先になるとこうした「出羽守」が出没していることだろう。


 ・・・近年の学校には「出羽守」とは別に、
「ときは御前(トキワゴゼン:常盤御前)」
 という者が存在していると思う。
 定年退職した校長や教員が、再任用制度によって「一般教員」や「初任者指導教員」などに再雇用されることにより、この「常盤御前」に変身をするのだ。

 彼らは、
「私が校長だった『ときは』
「私が初任者の『ときは』
 といった言葉を発して、現職の校長を不快な気分にさせたり、初任者を精神的に追い詰めたりするのである。

 こうした「常盤御前」は「出羽守」よりも質が悪い。
 なぜなら、「出羽守」は時間の経過とともに周囲と同化したり、アップデートされたりしていくものだが、「常盤御前」にはそれがない。
 いや、アップデートをしようにも、そのOSがせいぜい「WindowsXP」のレベルだから、すでにサポート切れなのである。


 ・・・今日もどこかの学校で、
「私が〇〇だった『ときは』
 と、得意気に語っている「常盤御前」がいるに違いない。
 だが、周囲の人たちからは、
(現役時代に「コロナ禍」も「働き方改革」も「GIGAスクール」も経験していない人の武勇伝なんて、何の役にも立たないんだよ!)
 と、実は小馬鹿にされているのである。
 知らぬは当人ばかり、なのだ。

 これからは余計なことを言わずに過ごし、「常盤御前」ではなく「静御前」を目指していただきたいものである。

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