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とりあえずの幸福論

何かと「愛がすべて」と言ってくる人がいて、「めんどくさい」と思っていた。愛はエネルギーなので、エネルギーがどう発せられるかによって、愛は重くもなれば、柔らかくもなる。

いろいろな世界が重なり、同時進行しているけれど、愛を知っているかどうかよりも、憎しみに囚われ、巻き込まれていないかどうかが、何かを見極める目安になると、最近思った。私のような、未熟さや世間知らずゆえに憎しみに身を滅ぼしそうになった者からすると、憎しみを浄化できる力を持った人たちの強さは、正直言って怖い、というか得体の知れない存在に思える。

憎しみを知らないということを、世間知らずとするのか、それとも単に恵まれてる人とするのか、あるいは純粋すぎる人とするのか、それも考え方次第だとは思うのだけれど。

憎しみというものに 一度乗っ取られてしまうと、もう元の自分には戻れないものじゃないかなと思う。かつての自分や、あるいは、元々信じていた世界というものさえ嘘じゃないかと思ってしまう。そう感じさせてしまうだけの力が、憎しみというものにはある。

だから、できれば、自分の大切な人には、憎しみだけには捕まることなく、うっかり近寄ってしまうこともなく生きていってほしい、と願ってやまない。

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