見出し画像

たくさんの写真に囲まれて、私は育った。それから、

皆さんが写真を好きになったきっかけは何でしたか?

学校に写真部があって?
修学旅行でみんなで写真が撮りたくて?
あるいはスマホでは物足りなくなって?

私の本当のきっかけは父からの、カメラのバトンでした。
29歳になる、1ヶ月前に誕生日プレゼントとして
ミラーレス一眼カメラのOM-Dシリーズの、カメラをもらいました。

寒いのに雪の降らない東京から、半年のがん治療を経て、寛解(かんかい)を迎えた父のお祝いのため、一泊二日で実家に帰ることにした。

家族の中で一番の健康児の父。朝7時には起きて、仕事から帰ってきたら22時には寝る。
運動が好きで、マラソンの経験があり、土日にはサッカーフィールドを一万歩以上動く。
お酒は好きだけど弱い。仕事おわりに飲みに帰ってくることはなく、家でビール2缶も飲めば寝てしまう。
明るい性格で、数学の教師だったこともあるのか、教えることも教わることも好きで、人と関わることでイキイキする人。

だからこそ家族の中で、がん告知に一番驚いたのも父自身だった。
コロナ禍、ただでさえも日常に変化があった中、知っている日常が、すべて変わった。

治療が始まって、私は2回帰省した。
最初は入院をした時。
次は、数回目の入院のとき。
戦う父と寄り添う母を見送られて東京に帰ってきた時は、しばらく涙が止まらなかった。

父は、私たち(私には兄弟がいる)が幼い頃の写真をたくさん残してくれている。
誕生日や記念の日だけでなく、兄弟でぬいぐるみを抱っこしているもの、母に手を引かれながら近所を歩いているもの、大泣きしているものまで、なんでもない1日の写真が、それはたくさん。

まだデジタルカメラもない時代で、ネガフィルムも現像代も決して安くはなかったはず。
それでもフィルムを買い、撮ったら忘れる前に写真屋へ現像に出し、完成した写真を受け取りに戻って、いざ見たら撮影に失敗して真っ暗になっている写真を避けながら、良いと思った写真を選り分けてホクホクする父。

だから私にとって、写真は愛だと思っている。

だから寛解祝いで帰った時に、OM-Dを私への誕生日プレゼントとしてもらって泣いた。
父が横にいる安堵感に。
泣いている父の姿に。
どこまでも想ってくれる父に。
喜びに。

父から写真のバトンを渡された気がした。

現在、私がOM-Dシリーズの前まで使っていたカメラは、付き合っている彼女が使っている。
写真の構図は無茶苦茶だし、背景に焦点があって私がボケている写真もあるけど、彼女の目を通してみる世界は新しくて、豊かで、カオスで、美しい。

私自身、肝心の写真が上手い下手かで言うと、良いカメラだと応えたい。

だけど私が写真を撮るときも、それは私の愛だ、密かに心の中で胸を張っている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?