労働判例を読む#222

【ザニドム事件】札幌地裁苫小牧支部R2.3.11判決(労判1226.44)
(2021.1.22初掲載)

 この事案は、元送迎バスの運転手Xが、会社Yを退社後、未払いの残業代などの支払いを求めた事案で、裁判所は、Xの請求をほとんど否定しました。

1.労働時間

 裁判所は、日報をベースに、待機時間(休憩時間)、点検業務、車内清掃業務、洗車業務、給油業務、修理業務などについて、実際に指揮命令下にあったかどうか、実際に業務を行った日時が特定できるかどうか、等を一つひとつ丁寧に検証し、労働時間に該当するかどうかを認定しています。

 まず、待機時間(休憩時間)の判断も注目されます。

 これまで、待機時間についてはそれが全て労働時間となるかそうでないか、という議論がされ、例えば深夜の宿直警備の場合には、呼び出される頻度が極めて低い場合には労働時間にならない、等の判断が示されています。このように、一体としての待機時間全体の労働時間性が議論されてきました。

 ここでは、2段階で評価されています。

 すなわち、①1段階目は一体としての待機時間全体の労働時間性です。待機時間中に本来の運転業務以外の業務を行った回数が、約1年半の中で30回であると認定し、指揮命令下にあったとは言えない、として労働時間性を否定しました。ここまでは、従来の判断と同様です。

 次に、②2段階目として、個別の業務(点検業務、車内清掃業務、洗車業務、給油業務、修理業務)について、労働時間性を個別に検討しました。

 このように、①待機時間それ自体の労働時間性と、②個別業務の労働時間制の2段階で評価する方法は、労働時間性に関する議論を整理するうえで今後の参考になります。

 次は、②の個別業務の労働時間性です。

 例えば、点検業務について、その頻度などは、Xの証言とY側証人の証言の内容が異なるところ、内容が変遷していたY側証人の証言よりもXの証言を採用して、Xの主張に沿った認定をしつつ(毎日乗車前に行われていた)、そのために必要な業務時間については、Xの証言内容の合理性(発射前の業務量や点検業務の内容など)を吟味して、Xの主張する時間(20分~25分)ではなく5分と認定しています。

 ここで特に注目されるのが、 他方、洗車業務については、例えば冬場は雨の度に行っていた、というXの主張に対し、Y側の主張や証言と矛盾することに加え、業務を行った日が特定できないこと、Xが日給制であったこと(但し、これがどうして洗車業務否定の根拠になるのかの説明はない)を指摘し、洗車業務の時間を考慮すること自体否定しました。

 このように、証言が対立している場合の事実認定は、単に証言が対立するから立証責任の問題として処理するのではなく、事実を認定する場合でも否定する場合でも、証言自体の信用性や証言内容の合理性を吟味して事実認定をしています。証言自体の信用性や証言内容の合理性を比較して、より信用できるストーリーの方を採用する、という判断方法が見えてくるところです。証拠の評価を行う際の参考になるところです。

2.固定残業代

 固定残業代については、近時、「対価性」という要件が問題にされる事案が増えています。この「対価性」によってどのような事情をどのように評価するのか、まだ定まっておらず(固定残業代に充てられる手当・報酬の性質が問題なのか、長時間労働を前提にするなど固定残業代の内容が問題なのか、など)、今後の議論の動向が注目されます。

 けれどもこの事案では、特に「対価性」が問題にされることもなく、固定残業代制がとられていることやその具体的な金額が、「雇用契約書兼労働条件通知書」によって繰り返し確認されていたことなどから、固定残業代の合意が肯定されています。

3.割増賃金の放棄

 上記1と2を比較すれば、固定残業代としてカバーされない分の残業などについて割増賃金が発生します。この事案では、わずか数千円でした。

 Yは、退職合意書にXがサインしたことから、そこにある債権債務不存在確認条項によって割増賃金を放棄した、と主張しました。

 けれども裁判所は、Xがこの時点で、「割増賃金が発生していることやその金額等」を具体的に認識していなかったこと、むしろYは「割増賃金がないことを前提として、その確認を求める趣旨」でXに署名を求めていたこと、を理由に、割増賃金の放棄を否定しました。

 ところが、訴訟等公的な場での和解も含め、債権債務不存在確認条項は一般的に広く用いられており、そこでは、当事者が知っていても知らなくても、債権債務は存在しない、という解釈が前提となっています。紛争を解決する目的の合意だからです。

 したがって、この判決が認定したような解釈が、和解契約一般に適用されてしまうと、債権債務不存在確認条項は、そのままでは本来の役割を果たせなくなります。もし、この判決が認めたような例外を排除するのであれば、「甲乙は、その存在・内容の知・不知に関わらず、両者間に一切の債権、債務、法律関係が存在しないことを確認する。」等の表現にする必要が生じてしまいますし、この文言自体、合意の前提を知らない場合を含めない、などと限定解釈されかねません。

 この点は、例えば山梨県民信組事件(最判H28.2.19労判1136.6)で、従業員にとって不利な合意をする場合の意思表示の有効性に関し、従業員の意思表示が「自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在する」ことが必要、という判断枠組みを示しています。便宜上、「自由な意思」「合理性」「客観性」として整理します。この「自由な意思」「合理性」「客観性」がどのような場合に適用されるか、その適用範囲について、まだ明確に議論が定まっていませんが、「合理性」「客観性」に関し、従業員が、自分にとって不利な事情を理解しつつ、それを上回る利益や合理的な理由があることを問題にしている裁判例が多く、この事案も、同様の判断がされているように思われます。すなわち、実際の割増賃金が分からず、したがって実際にいくらの割増賃金を放棄することになるのか分からない状況では、「合理性」「客観性」が認められない、と整理できるからです。

 このようみると、債権債務不存在確認条項が一般的に修正されてしまうのではなく、従業員の不利な場合(この事案のように、従業員の権利を放棄させる場合など)について修正される、と評価すべきでしょう。なぜなら、この判決は一般論を述べてルールを定めているのではなく、ここで問題となった特定の事案についての判断を示したにすぎない、事例判決だからです。

4.実務上のポイント

 結果的には、わずか数千円の請求権を巡って多くの論点が議論され、長大な判決文が作成されましたが、会社にとってみれば、損害はこれにおさまりません。従業員の労働時間の管理が不十分だったことが認定されましたので、他の従業員の割増賃金を確認しなければならないでしょうし、そもそも労働時間の管理方法も見直す必要があるでしょう。さらに、会社が割増賃金を払い渋る会社であるという風評が経つかもしれませんし、労基署からの行政処分や、場合によっては刑事事件にまで発展しかねません。

 会社は、従業員の労働時間を適切に把握することが義務とされており、健康管理の観点からも労働時間管理は欠かせません。さいわい、金額的には数千円で済みましたが、労働時間に関するトラブルのリスクの大きさを考慮し、適切な労働時間の管理ができるように、会社組織やプロセスを確認しましょう。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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