労働判例を読む#308

今日の労働判例
【国・福岡中央労基署長(新日本グラウト工業)事件】(福岡地判R3.3.12労判1243.27)

※ 週刊東洋経済「依頼したい弁護士25人」(労働法)
※ 司法試験考査委員(労働法)
※ YouTubeで3分解説!
https://www.youtube.com/playlist?list=PLsAuRitDGNWOhcCh7b7yyWMDxV1_H0iiK

 この事案は、長時間労働が続く中で上司に叱責されたKが練炭による一酸化炭素中毒で自殺した事案です。労基署Yは、労災該当性を否定しました。Kの遺族Xがこれを不服として訴訟を提起したところ、裁判所は労災を認定し、Yに労災保険の支払いを命じました。

1.悪化か発生か
 この事案で、裁判所が最もページ数を割いて議論している論点は、Kが何らかの精神疾患に罹患していて、それが悪化したのか、それまで精神疾患に罹患しておらず、新たに発病したのか、という点です。これが問題になるのは、既に罹患していた精神疾患が悪化した場合の因果関係は、「特別な出来事」が必要とされているからです(最近の裁判例では、「国・厚木労基署長(ソニー)事件」東高判H30.2.22労判1193.40)。
 この判断枠組みは、厚労省の労災認定の判断基準やパンフレットでも示されているものです。
 すなわち、同パンフレット では、以下のように示されています。
「発病後の悪化」の取扱い
 業務以外の心理的負荷により発病して治療が必要な状態にある精神障害が悪化した場合は、悪化する前に業務による心理的負荷があっても、直ちにそれが悪化の原因であるとは判断できません。ただし、別表1の「特別な出来事」に該当する出来事があり、その後おおむね6か月以内に精神障害が自然経過を超えて著しく悪化したと医学的に認められる場合に限り、その「特別な出来事」による心理的負荷が悪化の原因と推認し、原則として、悪化した部分については労災補償の対象となります。
 このように、厚労省の労災認定基準に一定の合理性があると評価され、訴訟上の規範としても活用されている現状に照らせば、精神疾患の「悪化」か「発生」か、の認定は非常に重要な問題になってくるのです。
 このような規範を立てたうえで、裁判所は、「悪化」ではなく「発生」に該当する、と認定しました。
 規範が立てば結論が出るほど簡単な問題ではなく、実際、Kの入社直前に「うつ病」に罹患していた(したがって、入社2年後の自殺は「悪化」に該当する)という医師の診断書も複数提出されています。つまり裁判所は、入社直前に「うつ病」に罹患していたのか、自殺の間際に「うつ病」に罹患したのか、を認定しなければならない状況にありました。
 実際、若いころから「うつ病エピソード」が存在し、高校の中退や前職の退職も経験しており、この意見書では、これらが入社直前に「うつ病」に罹患したことを裏付ける、と評価されています。
 これに対して裁判所は、高校の中退や前職の退職があっても、高校中退後に他の高校への編入試験を受け、前職退職後にアルバイトに従事するなど、「活動性が減少していたことや抑うつ気分をうかがわせる事情は見当たらない」として、この意見書の合理性を否定しています。もちろん、意見書の比較よりも、Kの病状の経緯を高校時代から詳細に認定したうえでの評価が、裁判所の認定の記載の大部分となりますので、単なる医学的な意見書の優劣の問題ではありません。けれども、医師ですら評価が分かれる論点に関し、一方の意見書の合理性を否定する決め手となったのは、「うつ病」に関する常識的な評価であったように思われます。つまりこの事案では、一般に「うつ病」は活動性の減少などを伴うが、Kにはそれが伴っていないのだから、「うつ病」に罹患していなかった可能性の方が高く、したがって入社直前には発症していなかった(とする医学的な意見の方が合理性が高い)、と判断したのです。

2.実務上のポイント
 そうすると、実際にストレスの原因となるエピソードと、そのストレス強度が問題になります。
 この事案では、極めて長時間の勤務が継続していたことから、現在の判断基準によればこのこと自体がストレス強度「強」に該当し、業務起因性を強く推定します。けれども裁判所は、Kに対する上司の叱責と、その中でも特徴的な「腹黒い」「偽善的な笑顔」の2つの言葉を巡るKの苦悩の様子を詳細に認定しました。上司は、悪気があってこのような言葉を二日繰り返したのではなく、したたかに頑張るように励ましていた、という趣旨の主張をしています。
 けれども、Kは自殺の直前まで自分は腹黒いのか、自分は偽善的なのか、と苦悩し、自問自答し、知人にメールを送っていました。長時間勤務でストレスが蓄積している中で、Kはこれを否定的に重く受け止めた、と認定し、このストレス強度を「強」と評価しました。
 そこで重視されているのが、上司の思いではなく、入社2年目の一般的な従業員の受け止め方です。
 被害者の受け止め方が問題にされていることから、被害者がハラスメントやストレスと主張すればそのように認められる、とこの裁判例を評価する人がいるかもしれません。
 しかし、ハラスメントやストレスは、客観的な観点から評価されます。一般的な従業員の受け止め方が基準になりますので、上司が期待するほど打たれ強い人間が基準になりませんでした。そのために、この事案では会社にとって不利な判断となったのです。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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