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労働判例を読む#519

※ 司法試験考査委員(労働法)

【インテリムほか事件】(東京高判R4.6.29労判1291.5)

 この事案は、医療関係の営業職の経験豊富なXが、医薬品などの開発を行う会社Yに、営業の腕を買われて転職したが、特にその社長との相性が悪いのか、支給されていた業務用のスマホを取り上げられ、3回にわたって減給され、昇給もなく、インセンティブ手当が支給されず、営業担当を外され(担当先を他の社員に引継ぎ、新規開拓を命じられ)、そのわずか半年後に監査室に配置転換されました。
 Xはこれら全てについて違法であると主張し、Yに対して賃金の差額や損害賠償の支払いを請求しましたが、裁判所は、スマホを取り上げたことの違法性、減給の違法性、監査室への配置転換の違法性を認めました。

1.違法とされなかった論点
 昇給の否定と、インセンティブ手当の不支給については、具体的な金額等を約束する規定がなく、Yの裁量に委ねられている点を主な理由として、違法ではない、と判断しています。
 明確に昇給が約束されていて、昇給が具体的な権利と評価できる場合には、昇給権が発生し、昇給を請求できる(法的にも、その請求が認容される)場合があります(「社会福祉法人希望の丘事件」広島地判R3.11.30労判1257.5、実務家のための労働判例読本2023年版178頁)が、これは極めて例外です。というのも、一般に昇給は非常に多くの事情を総合的に評価して判断するのが普通であり、限られた事情だけで自動的に昇給が決定・計算されるルールが会社のルールとして採用される場合は、非常に限られているため、その場合、自動的に権利の内容が確定するような、具体的権利性が認められないからです。
 インセンティブ手当は、賞与と同様、昇給よりも一層、権利性を肯定される場合は限定的になると思われます。会社の業績が良い時に限られるなど、従業員の勤務状況だけで決まらない、というルールが採用される場合が、昇給の場合よりも一層多いと思われ、その分、具体的権利性がより認めにくいからです。
 このように、昇給の否定とインセンティブ手当の不支給を違法としなかった裁判所の判断は、Yのルールに照らすと、これまでの裁判例の傾向から見ても特に問題のない判断のように思われます。
 また、営業担当外しの違法性については、一般論としては違法となる可能性を残しつつ、営業担当を外す合理性を認め、違法性を否定しました。そのために裁判所は、新たに新規開拓を命じる分野がYの業務の1つであって、他方、Xにも新規開拓業務などの経験があること、等を主な理由としており、会社の業務の実態や従業員の適正を、具体的事実に基づいてしっかりと認定した上で判断しました。
 営業担当内部での担当替えであり、従業員の経歴などへの影響も比較的小さいことも重要なポイントかと思いますが、担当替えの合理性を裏付ける具体的な状況をしっかりと確認しておくことが、実務上の重要なポイントであることがわかります。

2.スマホ取り上げの違法性
 他方、同様に会社側に比較的広い裁量が認められるべきこれらの問題について、裁判所は違法であると評価しました。営業担当外しの場合とどこが違い、どこに違法となるべき境界線があるのでしょうか。
 まずスマホ取り上げについて見ると、ここでは営業担当者達(Xだけでない)が問いかけに即座に反応しなかったことを怒った社長が、感情的な理由で行ったものである点と、取り上げる必要性・相当性がない点(直ちに「報連相」を求める、としつつ新たに支給されるガラケーではこれができない、など)が主な根拠とされています。経営者の感情的な理由を正面から認定する裁判例は、ハラスメントなどの不当な言動の場合ではなく、会社の人事上の措置が問題となる本事案のような場合には、あまり見かけないように思われますが、スマホ取り上げの理由があまりにも後付けであることから、このような評価がされたのでしょう。
 さらに、賠償金額(慰謝料)として30万円(+1割の弁護士費用)を命じた点も注目されます。仕事で使う道具を取り上げたことは、従業員の業務を阻害する、という積極的な面と、働きやすい環境を整える義務に違反する、という消極的な面と、両面から評価可能ですが、仕事しにくい状況にされたことの精神的な苦痛が30万円である、という水準は、今後、議論されるべきポイントになるでしょう。
 いずれにしろ、経営者の感情的な判断や言動のリスクについて、参考になる判断です。

3.減給と配転の違法性
 これに対して減給・配転については、経営者の感情的な言動とは認定されていません。
 また特に減給については、減給の制度自体は合理的である、と評価されています。基準やプロセスが適切に定められている、というのがその理由です。本事案での減給の決定は、Xが年俸制であることもあってプロセスが少し複雑で、Yが減額した条件を提示し、Xには個人業績のレポートを提出させたうえで協議し、それでもまとまらない場合には、最終的にYが給与額を決定する、というプロセスになっています。もしこれらのルールが定められていなかった場合、すなわち会社が自由気ままに減給できるような内容の場合には、減給の制度自体が違法と評価される可能性が残されているようにも読めますので、注意が必要です。
 そのうえで、3つの減給に共通する判断として、これらの判断の前提となる事実が合理的でない(例えば、減給に関し、Xのレポート内容を一方的に理由も告げず否定)ことと、プロセスが合理的でない(例えば、減給に関し、Xの異議をに対する弁明などの機会を与えていない)ことが主な理由とされています。
 また、配転についても、その内容とプロセス(営業として適さないことの指導などがなされてこなかった点など)が主な理由とされました。
特に、その内容の判断に関してみると、営業担当外しを違法ではない、と判断した場面と同様の判断枠組みで、しかし結論としては逆に違法である、と判断しました。すなわち、従業員側の事情として、Xは社会人としてずっと営業でキャリアを積んできて、Yにも営業としての経歴と能力が買われたこと、監査業務は経験がなく、しかも営業担当外しから半年しか経過していないこと、他方、会社側の事情として、Xが監査室で活躍する可能性について、Yが主張しているだけである(裁判所は、この主張を裏付けるべき事実を何も指摘していない)こと、が主な理由となります。
営業担当外しと比較すると、特に大きな違いがあるのが、Xの経験が生かされず、キャリアに与える影響が大きい、という点です。同じ人事権の行使でも、従業員に与える影響の大きさの違いによって、当該措置の必要性・相当性の求められる程度が異なってくる、と評価することも可能でしょう。
このように、人事権の行使の違法性について、会社の判断・措置の内容の合理性とプロセスの合理性が、それぞれの措置の種類やインパクトの大きさに応じて、具体的な事実に基づいて評価されることが、ここでの判断から明らかになります。

4.実務上のポイント
 即戦力として期待された中途採用者が、会社と合わずに冷遇されていき、トラブルになる、という事例が、最近少しずつ増えてきているように感じます。トラブルの内容は、本事案のような各種人事上の処分の場合もあれば、ハラスメントの場合、解雇の場合などもあります。
 けれども共通するのは、ミスマッチです。
 一方で会社側が、中途採用者に過大な期待を抱いてしまい、他方で中途採用者が、自己の経歴や能力を盛ってしまうような場合は、このミスマッチをより深刻にしてしまいます。
 終身雇用制を前提とした硬直的な労働市場を柔軟化・効率化・実効化し、人材の流動化を高め、産業構造の変化を適切に促進する環境を作るために、労働市場の整備が重要であるとされ、実際に様々な取り組みがなされていますが、中途採用者と会社のミスマッチを減らしていくことも、重要な要素なのです。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。


※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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