労働判例を読む#216

【池一菜果園ほか事件】高知地裁R2.2.28判決(労判1225.25)

(2021.1.7初掲載)

 この事案は、長らく勤務してきた従業員Kが、経営者に叱責されたことにショックを受け、自殺したことについて、遺族Xが会社Yの責任を追及し、裁判所がこれを肯定した事案です。

1.労働時間

 近時、労基法上の労働時間と労安法上の労働時間は算定基準が違うのではないか、などと指摘されていますが、この事案はその指摘を先取りした事案と言えます。例えば、出張の際の移動時間について、書類を作成するなど指揮命令下で実際に業務を行っていたわけではなく、単に、上司と一緒に移動していた時間について、それなりのストレスがあったことを理由に労働時間として認定されました。

 実際、労働事件の専門部の裁判官が、「労働時間」の多様性に関する弁護士からの質問に対し、法の趣旨から「労働時間性」を判断する(したがって、法によって「労働時間」の概念が違いうる)と回答し、多様性を暗に肯定していたこともあり、ここでの労働時間の認定も同様の観点から労基の場合よりも広く認定されたように思われます。

2.医学的所見

 厚労省のガイドラインで因果関係を判断する場合、所定の疾病への罹患が前提条件となります。

 この事案では、生前に所定の精神疾患が認定されていないものの、労働基準監督署が専門医も含めた専門委員会で審議され、特にKの自殺直前の言動から所定の精神疾患を認定しました。訴訟では、この専門委員会の結論のほか、Kの言動を改めて吟味し、Xから提出された専門医の意見書なども参考に、特定の精神疾患を認定しました。

 このように、生前の診断書が無くても(生前に診断書を取る機会が無くても)、医学的な認定が事後的にされる可能性のあることが、実際に示され、裁判所もその証拠としての価値を評価したのです。

3.実務上のポイント

 因果関係・過失に関し、Kが自殺したという事実が、Xの主張にとって有利な事情として働いている様子がうかがわれます。すなわち、自殺直前の言動について、Kの自殺の原因が仕事でのストレスであることを推定するかのような認定(自死・自殺した、という事情が、異常な状況を推定させている)が、判決の中で数か所見受けられるのです。

 このような判断構造は、一面で、「循環論法」「結果責任」などの問題につながります。自殺させたのだから、会社に原因があるのだろう、という短絡的な発想につながる危険です。例えば、厚労省のメンタルの認定のための基準でも、会社側のストレスだけでなく、(私生活などの)その他のストレスや、(個人の脆弱性などの)属性的な問題の、3つの領域の問題に分析して判断されるべきであり、自殺が全て会社の責任と推定されるような短絡的な判断につながらないようにしなければなりません。

 けれども、現実問題として、自殺という異常な行動が発生していますので、この異常な行動を除外して生前の心理状況を正しく評価することもできません。したがって、自殺したことを死亡したことを一つの事情としてKの異常性を評価したことは、それ自体で非難されるべきではなく、問題はそれが適切な評価、すなわち自殺の影響を過大でも過少でもない適切な評価が行われたかどうかが問題にされるべきです。

 本事案では、KがYの新たな経営陣から、それまでの経営陣からはされなかった非難(感情的で執拗な非難)を行われ、その1回の非難(2日に跨っている)でショックを受け、自殺した点が、仕事のストレスと評価できるかどうかが問題になります。

 1回だけ、という点を見ると、自殺という結果だけから因果関係や会社の過失を推認するには行き過ぎであると評価できそうですが、私生活が安定していて、個人としても健康的だったことを考慮すれば、消去法的な評価となってしまいますが、上記厚労省基準から見ても、それなりの合理性が認められそうです。

 実務上のポイントとして見た場合、ここでは自殺したことの異常性に着目しましたが、一般的に多くの事案では、それだけでなく、労働時間の長さも、事実認定上大きな影響があります。

 けれども、自殺や労働時間だけで判断するのではなく、上記厚労省基準で、私生活や個人の属性も考慮しているように、他の事情も含めた総合判断から見ても違和感なく説明できるかどうか、という観点から、複線的に慎重に評価することが、実務上重要なポイントとなるでしょう。

※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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