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松下幸之助と『経営の技法』#183

8/16 品物の値段

~皆が汗水たらして作った品物。値段を自分の感情だけで決めてはならない。~

「高ければ考えますけれども、大体相場であれば買ってください」、こういうように言いました(注:幸之助が初めて東京に売りに行って、問屋から値切られた時の回想)。ところが、「やはり初めて来て相場で売るというのは虫がよすぎる、だから1銭でも安くしろ」ということを強く言われる。それで、私はもっともだなという感じがして、14銭にしようかと思ったのです。
 ところが、しようかなと思ったとたんに、ふと感じたことがあったのです。その時分は20人近い従業員がおりました。小僧さんばかりですが、初めて東京へ売りに行くということで私を送り出してくれたわけです。その人たちの顔がポッと映った、それで、15銭で売るという品物は、自分の感情だけで値段を決めてはいけない、みんなが汗水たらして作ってくれたものだから、その人たちの努力というものを、自分の一存で左右するということは許されない、というような感じがしたのです。それで強く私はまた頼んであのです。「まあご主人、そうおっしゃいますけれども、これは我々が一所懸命夜なべをしてつくったのです。素人も中にあって一所懸命つくったのだから、ひとつお願いしたい」、こういうことを頼んだのです。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)

1.内部統制(下の正三角形)の問題
 まず、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
 「(全従業員の)働いた成果には、必ず利が出なければならない。」というのは、6/7の#113での松下幸之助氏の言葉です。
 そこでは、会社の社会的な役割や経営者の役割を主に検討しましたが、ここでは、松下幸之助氏が従業員の気持ちを大事にしている点を中心に考えましょう。
 すなわち、これが特に重要なのは、この発言の背景事情です。東京での商売を始めようとわざわざ出かけていったのですから、東京で商売をする手掛かりを獲得することが最も重要なはずです。原価率4割の商品だとすると、6銭で作った商品です。つまり、本来9銭の利益になるところを、値切って8銭の利益で我慢する、という決断を躊躇った理由です。
 1つ目は、経営モデルです。
 すなわち、この人についていこう、という従業員のモチベーションやロイヤリティーを高めるために、従業員たちと話をして決めてきた(と思われる)値段を守り通してくることが重要なのです。この点は、松下幸之助氏の経営モデルとも関わります。
 これは、ワンマン会社やベンチャー企業に見られるような経営モデルと対比すると理解しやすいでしょう。
 すなわち、ワンマン会社等では、極端な場合、従業員は経営者の指示命令を忠実に遂行すれば良く、経営者の才覚が全てです。組織は、統率が取れるほど、一体となって活動しますので、その突破力が取り柄になります。
 けれども、松下幸之助氏は従業員の自主性を重視し、多様性を重視する経営モデルを、かなり早い段階から採用し、徹底してきました。意志決定の権限をどんどん委譲していき、従業員をプチ経営者として仕事を任せていくのです。
 この経営モデルの場合、従業員に決定権限を委譲しているのですから、任された従業員が決めた値段を経営者が勝手に変えてしまうことは、権限委譲した本来の目的を経営者自らが否定することになってしまいます。
 このように、松下幸之助氏が値切るのを断ったのは、思い付きで従業員のモチベーションやロイヤリティーを高めるために発言したのではなく、従業員に権限を委譲していく、という松下幸之助氏自身の経営の在り方にかかわる重要な問題だったからなのです。
 2つ目は、経済合理性です。
 松下幸之助氏は、合理的な経営者ですから、経営モデルのことだけでなく損得勘定も成り立っているはずです。
 すなわち、現在では「ブランド物」商法として一般的になっていますが、一度安売りを認めてしまうとブランド価値が毀損され、元の値段で売れなくなってしまう、という問題です。特に、品質にこだわりを持っていた松下幸之助氏ですから、あまりに安く商品を販売すると、品質勝負ではなく安売勝負に巻き込まれ、品質の差別化に力を入れても、それが適正に評価されない状況に陥ってしまう危険があるのです。
 このように見れば、東京進出にあたって本当に大事なのは、何が何でも取引を開始するのではなく、自分達の商品の品質を理解し、適正な価格で評価してくれる取引を開始することである、ということがわかります。
 つまり、松下幸之助氏は、会社の従業員の顔を思い出すことによって、従業員に仕事を任せてきたことを思い出し、将来、ずっと安く売り続けなければならないのではないか、ということを想像し、値切ることを断ったのだ、と思われます。

2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
 次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
 投資家である株主と経営者の関係で見た場合、ここで垣間見れる松下幸之助氏の経営者として特筆すべき資質は、他人に任せるという経営モデルを徹底し、確立したことと、それを当初から一貫していたことでしょう。
 現在では、「ブレない」という言葉ですが、まさにその言葉がピタリとハマる経営者なのです。
 さらに、まだまだ、松下電器が大きくなる前の話であり、経営モデルや、損得勘定についても、まだまだ十分なスタイルが確立していたとは思われない時期ですが、東京に販路が開く、という誘惑にも負けず、値切りを断った点で、経営者としてのセンスが本来備わっていた、と思わせる場面でもあります。

3.おわりに
 問屋の側から見ると、相場よりも安いことを問題にしている限り、品質は二の次です。
 ここで、相場と同じ値段で受け入れれば、他の商品との違いは品質ということになりますから、問屋はいやでも品質を見なければならなくなります。
 例えば、転職活動などの際に言われる言葉に、「最初から自分を安売するな」という言葉があります。たしかに、心細く、早く仕事を見つけたい誘惑にかられ、多少満足できない場合でも転職してしまい、結局、合わない仕事で苦労してしまう、という話が聞かれます。
 けれども、自分の価値を知らずに背伸びばかりしていると、転職先が見つかりません。
 結局、松下幸之助氏が15銭で頑張ることができたのは、15銭が適正価格であることを十分客観的に把握し、「己を知る」状態だったからです。
 どう思いますか?

※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
 冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。


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