新型コロナなとき、新型ヒロシは世界を吸い込む

 閑散とした社員食堂へ昼食を摂りに行く。かつてこの時間はガヤガヤしていたものだったが、フロアは静まり返り、ぽつんぽつんと離れて座った人たちが静かに箸を動かしている。向かい合って座ることが無いように、テーブル型の席の片側は封鎖されている。僕は窓際の席に座り、マスクを外して食事を始めた。
 口に運んだサバの塩焼きは確かに良い味なのに、その本当の美味しさはどこか損なわれたような感覚があった。地上八階にある食堂は見晴らしが良く、かつては道路を行き交う車や、次々と発着する飛行機をぼんやりと眺めていたものだったが、今は閑散としている。
 ふと横を見ると、二つの空席を挟んで知り合いの顔があった。今までなら声を掛けていたところだが、マスクを外しての会話は禁止となっているので、気付かなかったような一人芝居をして再びモソモソとご飯と向き合った。
 もしかしたら世界は決定的に変わってしまったのかも知れない、と思う。たぶん、このウイルス騒ぎが一段落しても、世界は元通りにはならない。何の根拠もない皮膚感覚だけれど。
 不意打ち的に涙が出そうになる。ご飯を食べよう。ご飯を味気ないなんて言ってちゃいけないな。匂わなきゃ。味合わなきゃ。みんな感染にびくついてるし。
 胸ポケットに入れたスマートフォンが振動する。取り出してみると幾つかの通知が出ていた。今や世界は、こいつの中に引っ越しつつあるのかもしれない。
 今から三十年以上前の大学生時代、研究室の教授がよく「コンピューターの中に世界を作る」という話をしていたことを思い出す。当時は全くピンと来ていなかったのだけれど、あれ以降のITの目まぐるしい進歩は、まさに教授が語っていた世界が作られていくプロセスそのものであった。いずれコンピューターの世界と現実の世界が半々になるのかな、くらいに思っていたのだけれど、新型コロナウイルスの猛威は加速度的に現実の世界をコンピューターに吸い込んでいく。
 愛しい人たち。愛しい人生の断片。その息遣いも含めた生き物を、自分は愛していたのだと改めて思う。その関係性は、今や家族と最小限の仕事関係者だけに収縮してしまった。スマートフォンの中から、かつて生々しかった人たちの言葉や映像がデジタルになって流れてくる。向こう側から見ると、僕も電脳世界の生き物になっているんだろうな。
 センチメンタルな妄想を振り払い、仕事に戻らねば。そこには現実がある。昨日やり過ぎたトレーニングの筋肉痛も、夕方になって少し伸びた髭も、僕が実在していることを主張している。見ることが出来なくても触ることが出来なくても、みんな同じお日様に照らされ、風はどこまでも届いているはずなんだぜ。
 家に帰ったら料理を作ろう。週末は少しだけ外で運動しよう。配信の動画を見ながら笑ってコメントして投げ銭をしよう。寝る前にみんなの幸せを祈ろう。眠ったら夢の中でみんなに会おう。一緒に酒を飲もう。ウイルスだけじゃない、コンピューターだけじゃない、僕の脳も新型にバージョンアップしてやろう。この新型コロナなときを乗り越えるために、僕は世界を吸い込んでやるんだ。

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