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ホラー短編小説『夜叉の涙は黄泉に流るる④』

④ 呪う女


 ぼくは帰宅後、田丸に電話をかけ、ことの次第を簡単に話した。

「ああ、縒子さんには電話をかけたというのも嘘だ。中田さんに知られたくなかったから、ほかの人に解説をお願いしようとしたんだが、縒子さんの母親、治代さんからどうしてもと頼み込まれてね。でも、出版されて、もしも中田さんが偶然にでも読むことになったら、察しのいい人だから結局は縒子さんが書いたものだとわかったと思うけどね。縒子さんの担当編集者も私だよ」

「やっぱり、田丸君は全部を知っていたんだな」

「ああ、縒子さんを傷つけた犯人は知らないけれど、あとは縒子さんの治代さんの話したとおりだよ」

「なるほどな。しかし、犯人の目星はついていないのかい? YOU出版社の名前をだすというのは、まったく関係がないとも思えないけど」

「まあ、こちらもいろいろな文学賞をやっている。すべての作品を入賞させることもできないから、知らずに恨みを買っていることもあるだろうな。しかし、縒子さんの原稿は、荒削りなものだったけれど、思わず引き込まれていく作品だった。だから、妙な小細工をせず、そのまま出版することにしたんだ。もちろん、編集部のほうで、多少は書き直したんだけどね」

 ぼくは、よく話してくれたと言って、スマホをきった。
 それからのぼくは、罪を償うような気持ちで、毎週のように、縒子に手紙を書いたが、返事は来なかった。電話をかけてもいつも留守電になっていて、メールをしても返事はこなかった。
 そんなある日、外出から帰ってくると、「呪ってやる」と大書されたFAXが、蛇のようにとぐろを巻いて、部屋じゅうを埋め尽くしていた。みなれた縒子の筆跡だった。FAXには、相手の電話番号が印字される。縒子の電話番号にまちがいはなかった。たぶん、呪いの言葉を書いた紙を円柱のように貼りあわせ、無制限にFAXさせていたのだろう。FAX用紙がきれるまで流されていたようだ。縒子の姿が目に浮かび、無性に腹がたち、FAXを破りまくった。FAXはたちまち部屋を埋める白い山と成り果てた。
 
 翌日、朝から無言電話がつづいた。
 もちろん、相手の電話番号は表示されていない。すべてがヒツウチだ。受話器の奥から、しのび笑いするような声が聞こえた。
「縒子なんだろ、いいかげんにしろよ! 馬鹿なことはもうやめてくれ!」
 ぼくは荒々しく受話器をおいた。
 そのあともすぐに、無言電話がつづくので、やむなく電話のコードを抜いた。それから治代に、携帯から一連の経過をすべて話した。

「申し訳ありません。私から娘に言聞かせます。本当にご迷惑をおかけしました」

 治代の声には力がなかった。
 それから一週間後。作品依頼がぱったりと止んだ。そんなことは作家にとって、特別不思議なことではないが、そのうえ、原稿依頼やテレビ出演も、突然キャンセルされはじめたのだ。電話をしてくる者に事情を訊いても、明確な理由を話してはくれなかった。ぼくのほうから、顔見知りの編集者に電話をかけると、なにかようすがおかしい。いつもは愛想のいい人たちばかりなのに、なにか迷惑そうに、電話をはやく切りたがった。

 ぼくにはなにも、冷たくされるような覚えがない。なんどか締切に遅れたことはあったが、原稿をおとすようなことはなかったし、傲慢な態度をすることもなかったはずだ。いったいどうしたというのだろう。
 ぼくは田丸に電話をかけた。田丸はここでは話せないと、社の仕事が終わったら、スナックで会って話したいと言った。

 翌日。重い足取りで、ようやくスナック『紅』のドアをあけた。 知り合いの女性がママをしている、いまどきカラオケもおいていない、落ち着いた店だ。ママは四十代後半のはずだが、どうみても、まだ三十前後くらいにしかみえない。髪は短く、化粧もさほどしていない。それでも、もとがいいのか、それでも十分に美しい。静かなお客が多いのは、ドアのまえに、『お騒ぎになるお客さまはさまはご遠慮ください』と、貼り紙がされているからだろう。そんな商売をしていてやっていけるのだろうかと、他人事ながら、心配になる。
 いつか、「ママって、商売っ気がないね」と、冗談半分に言うと、

「私ね、親の財産で生活しているのよ。スナックは趣味みたいなもの。お酒を飲みながら、お客さんと話をしているのが好きなのよ」

と、答えたものだった。本当のところはわからない。よほど、気のいいスポンサーでもついているのだろうか。

「いらっしゃい、お久しぶりね。また深刻なお話?」

 ぼくがひとりでボックスにすわると、沈鬱な表情をみて、ゆっくりと水割りのグラスをおいた。誰にも知られたくない話のときは、いつも奥のボックスにすわる。
 すぐに、沈んだようすの田丸が入ってきた。
 いつも茶色のスーツを着て現われる。頭は天然パーマで、黒い眼鏡をかけ、小太りしている。年は私よりも二歳ほど下のはずだった。
 ぼくはすぐに、出版社やテレビ局からの不可解なキャンセルの話をした。

「うん、わかっているよ。私の社にも毎週、不審な手紙が届いているからな」

「不審な手紙?」

「そう、各出版社やテレビ局に、すべてワープロで印字された、中田さんを告発した手紙が送りつけられているんだよ。中田さんが、麻薬に手をだしているだの、芸能人の若妻と不倫しているのと、スキャンダラスな内容なんだ。もちろん、最初はみんないたずらか、嫌がらせだと思っていたらしいが、中田さんのことをよく知っている人でないと、知らないようなことも記されていたんで、とにかく、しばらく、作品の依頼は自粛していようという話になっているようだ。もちろん、私は中田さんのことは信じているけど、うえのほうが、少々慎重になっているんだ」

「なぜ、もっとはやく教えてくれなかった? このぼくがそんなたわけたことをしているはずがないじゃないか。それに、スキャンダルがあったほうが、本が売れるんじゃないか」

「まあ、そうだが、編集長たちの家にもおなじような手紙が届いているらしい。口にはしないが、人には誰でも秘密のひとつやふたつあるものだからな」

 ぼくは仕方なく、縒子から、いやがらせをうけている話をした。

「そうか、その話が本当だと、今回の件は、縒子さんがからんでいるかもしれないな」

「本当だよ、なにが悲しくて嘘をつかないといけないんだ」

「怒るなよ、信じているって。まあ、うちのほうは、私からうえに話しておくよ」

 ぼくは田丸の手をにぎり、
「よろしく頼む」
 と、心からお願いした。ようやくつかんだ、作家の仕事だ。つまらない噂で終わらせたくはない。作品は、ぼくにとっては子供のようなもの。イザナミに擬した縒子は、ぼくの作品という名の子供を産ませまいとした。そのうえ、この世にいでて、日の光を浴びようと、産まれいずるまにまに、苦楽しているぼくの子供たちを、黄泉の世界につれ去ろうと謀っているのだ。決して縒子を許すことはできない。ぼくははじめて、縒子に対し、殺意さえ抱いた。

 水割りがあまりに苦く感じられ、いつもはいくら飲んでも酔わないぼくが、ただの一杯で悪酔いし、腹のなかにたまった、憎悪で汚れきったものを、トイレのなかで吐き散らかし、そのままトイレのなかにうずくまり、ただ泣いた。

 その後、なんどか縒子のアパートにいき、ドアをけりあげ、怒鳴り狂ったこともあった。誰かが通報したのだろう、警察がやってきて、逮捕されかけたこともあった。
 幸い、雑誌などで、ありもしないスキャンダルが掲載されることはなかったが、この数か月、あいかわらず、作品依頼はこなかった。
 そんなある日、縒子からメールが届いた。
 メールには添付された画像があった。鉛筆でつくられたらしい、藁人形ならぬ、鉛筆人形が入っていた。鉛筆を切るなどして加工し、赤い糸で巻きつけ、人形にしたてあげられたその上に、私の名前を書いた紙の上に、小さな針が突き刺さっている画像だった。
 縒子は、外にでることが怖くてならない人間になっている。藁を買ってほしいと頼むと治代も不審に思う。だからあえて、鉛筆で自分で呪いの人形をつくり、ぼくに呪いをかけていることを伝えるために画像を送ってきたのだろう。

 翌日、永田町にある日枝神社に参拝をした。いや、縒子の呪咀返しをするためにと言ったほうが正確だろう。神職からお祓いしてもらうことで、かけられた呪いは、呪った本人に帰ってゆくものらしい。本当かどうかは知らないが、ときどき怪奇現象をあつかったテレビ番組に出演したさいに覚えたことだ。

 縒子のことをとても気の毒なことだとは思っているが、なにもせずに呪いをうけとめる度量など、ぼくにはなかった。
 日枝神社の祭神は大山咋神で、摂社には国常立神とイザナミ、そして足仲彦尊が祀られていた。まわりをみわたすと絵馬がたくさんぶらさがっているのがみえる。それぞれに、入学試験や就職試験、それぞれに思い思いの祈願の祈りをこめて願い事を書いたのだろう。
 ぼくは巫女さんに厄祓いの祈祷を頼み、神職さんからお祓いをうけて帰ってきた。重たかった体が妙にかるくなったように感じた。

 それから三日後、縒子が急死したと、田丸から電話があった。縒子の母親が、部屋から煙がでているのをみて不安になり、大家から合鍵をもらって部屋に入ると、浴室で石油をかぶり、焼身自殺をしていたという。もう少し遅ければ大火事になっていたらしいと、田丸が小声で話していた。ふと、厄が縒子に戻っていったのではないかと思った。

 いちどは愛しあった関係ではあったが、縒子が生きているときは、名前を耳にするだけで、身の毛がよだった。あのおぞましいばかりの姿が頭にうかぶと、吐き気すらもよおしてくるのだ。まるで、別人が縒子のなかに入り込み、心のなかではあきたらず、縒子を我がモノとせんと、時期が来たら縒子の肉体までをも乗っ取ってしまうつもりなのではなかったか。そんな馬鹿げた空想をしてしまうほど、ぼくの心も病んでいた。

 縒子が亡くなってから、出版社への告発の手紙がぷっつり絶えたと、田丸から電話がかかってきた。勝手なもので、縒子が死んだと聞いてからしばらくすると、いままで忌み嫌っていたにもかかわらず、なにやら、彼女が哀れに思えてきた。

 書によっては、イザナミは罪を肩代わりして黄泉の国に逝ったともされている。天照大御神も、スサノオの、目を覆うばかりの乱行に心を痛めて、天の岩戸に隠れた。縒子もまた日本のふくれあがったおぞましいまでの欲望を飲み込み、裏切られ、傷ついて、アパートという黄泉の世界に引きこもるようになった。ひとり煩悶しつつ、孤独に耐えていた縒子。自分の姿を誰にもみられたくなかった縒子を、私は強引なまでに盗み見てしまった。人を恨み呪う現代のイザナミへと化身させたのは、まぎれもなくぼく自身だったのだ。
 どうして誰とも会いたがらない縒子に会いにいってしまったのだろう。イザナミだって、本当はイザナギとともに地上に戻りたかったはずだ。しかし、変わり果てた姿では帰るに帰れない。イザナミはイザナギに正体を知られることなくどうやって帰ってもらおうか思案していたのではないか。それとも、待ち疲れて帰ることを願っていたのだろうか。それしても、なぜ縒子は私との思い出を作品のなかに書いたのだろう。いつか、縒子の作品にふれることがあれば、きっと気づいたことだろう。縒子自身は気がついていなかったかもしれないが、縒子は、ぼくに作品を読ませることで、暗に、自分の姿を察してもらおうとでもしたのではないか。心のなかではぼくに救いを求めていたのだと思えてならないのだ。

 美から遠く離れてしまった縒子は、美しさという概念を破壊したかったにちがいない。美しさなんて、どうせ人間が勝手に創りだしたものだと思いたかったのだ。だからこそ、少女に、瓦解しつくされた世界を見せて、美しいと言わせたのだろう。縒子は、闇の地下室で、美とはなにかと問いつづける男に、黄泉に住むイザナミを重ねあわせ、そのうえに、縒子自身をなぞらえていたのだろう。

           ⑤に続く


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