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ホラー短編小説『夜叉の涙は黄泉に流るる』⑥

⑥ エピローグ・神話の女


 事件が起きてから三ヶ月。話題になった殺人事件のこともからんで、縒子の本はベストセラーになっていた。当初、文庫本での出版が急遽単行本での出版となった。単行本にはめずらしく、私の解説ならぬ、縒子への想いを綴ったエッセイが収録されることになった。縒子の本はつねに売り上げベストテンの上位にくいこみ続けていた。編集者の話では、外国へも翻訳本がでるらしく、映画化も決定されたらしい。そしてぼくの異常な食欲もおさまった。それだけでなく、縒子が残した作品たちを、ぼくが手直しするなどして発表することにもなった。ときには共作としての本になるだろう。ぼくと縒子には子供はいなかったが、そのかわりにふたりの作品という子供たちが生まれ続けることになったのだ。きっとこれで縒子も気がすんだのかもしれない。

 鶴山の、夜叉は誰の心にも潜んでいるという言葉を聞いて、ぼくは本やネットで夜叉というものを調べてみた。夜叉という言葉は、今では非道な行いをする者という意味合いが定着しているようだが、本来は、人間に恵みをもたらす神でもあったらしい。仏教では、人間を守護する神の眷属だとされているのだ。また、夜叉と呼ばれる鬼神のなかには阿修羅がいる。帝釈天に、自分の娘を陵辱されて怒り、帝釈天に戦いをなんども挑んでは負け続けたのだという神話がある。子供を愛するがゆえに、しだいに善神であったものが悪しき存在と思われるようになってしまったのだという。治代とどこか重なりあうようだ。イザナミもまた、イザナギが黄泉に訪ねてくることがなければ、もっと忍耐強くイザナミを待つことができたなら、イザナギとイザナミの激しい戦いはおこらなかったはずだろう。闇とされ、魔とされるものの悲哀は、つねに情愛によってもたらされるものなのかもしれない。

 書斎の窓から、桜が散ってゆくのがみえた。ぼくは桜が好きだ。枯れて醜い姿をさらす花ではなく、枯れるまえにいさぎよく散っていく桜が好きだ。桜のような生き方ができないからこそ桜の花に憧れているのかもしれない。縒子のはやすぎる晩年は、まさに桜が散る如くのように、イザナミが火の神を生んだときのように、真っ赤な炎に包まれ、散っていった。しかし、火の神はイザナギの剣によって斬り捨てられた。だが、火の神を斬ったときに流れ出たものからも多くの神々が生まれたのだという。黄泉の国で再会したイザナギとイザナミだが、途中でイザナミが生んだ子を殺したことを知らされたのではないか。母として決して許せないことであっただろう。それが二柱の争いになったような気がしてならない。イザナミ自身が黄泉の国に逝くことになっても生んだ愛おしい子であったのだから。

 神話になぞらえてみれば、イザナミと天照大神は縒子であり、イザナギとスサノオはぼくだったのかもしれない。天照大神とスサノオは御子神もたくさん生んでいる。イザナミは黄泉の国に逝き、天照大神は天の岩戸にお隠れになられた。思えば、男と女というものは、神代の時代から離別と争いを続けてきた関係だったのかもしれない。

 神代の時代。天照大神が天の岩戸にこもられ、世界は闇に包まれてしまったそうだ。その後、神々が知恵をだしあい、アメノウズメを中心にして、賑やかに宴会のような催し物をした。その騒がしさに気をひかれた天照大神が天の岩戸から姿を現したとされている。縒子もまた、闇のなかに逝ったのだが、縒子の書いた物語という子供が世にでて、まるで太陽のような脚光を浴びていた。

 ぼくは書斎の窓からみえる散りゆく桜の花びらに、縒子の姿を重ねつつ合掌し、冥福を祈った。

             (fin)

   ホラー小説短編部門『夜叉の涙は黄泉に流るる』30531文字       


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