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私が目指している自由とは

私自身の理想として、この世界でいちばん尊いことは「自由であること」だと考えています。私自身もできるかぎり自由でいたいと思いますし、私に関わる人たちの自由も尊重したいと考えています。

私の考える「自由」とは、おたがいの自由を尊重しあうこと。
おたがいの個性、考えを認め合うこと。
それができたなら、争いも戦争もありはしないのです。

自分だけの狭く小さな自由ばかり追い求めているから、この世界は争いが絶えないのです。

なにをしても自由というのは、自由とはいえないと思います。
たとえば、人殺しも自由だとなると、相手の生きる自由を剥奪するということになります。
自死もまた、それは人殺しとおなじだと私は考えていますので、自死の自由も私は認めたくはありません。

私が共に過ごしていた猫のミャーちゃん。
ミャーは毎日、外に出たがりました。
私は帰ってくるまでとても心配するので、ほんとうは外にだしたくなかったです。
ですが、ミャーの自由を尊重して、毎日、ハラハラドキドキしながら、ミャーの帰りを待つ日々がありました。

そして、生まれてきたからには、いろいろな体験もさせてあげたいと思ってもいました。
ケガをしたり、数日帰らないこともあり、とても心配で、遅くなるたびに近所をさがしまわってたものです。

フリーアナウンサーなど、フリーになる。
自営業をする。起業する。

確かに自分の好きなことができるでしょう。
ですが、嫌だと思うオファーを拒否していたら仕事は無くなります。
会社や組織にいたときは、上からの指示で働いていて、不自由だと思っていたでしょうが、環境的には、フリーのほうが不自由になると私は思っています。

生きていく、生活していくためには、嫌な仕事でも受けていかないと明日の生活費に差し障ります。ある程度、成功して、個人事業主としてうまくいく時期もありますが、病になれば収入がなくなります。

会社、組織に属していれば、病気のさいも長期療養できますので心配ないでしょう。
その意味で、私はずっと、フリーになるというアナウンサーや有名人のニュースをみるたびに、三年後が心配になります。

事実、とくにフリーアナウンサーになって、今でも活躍している人はどのくらいいるのでしょう? 少なくとも、局アナ時代ほどの露出はないと思います。

つくづく、自由とは難しいものだと思います。

              (了)

気にとめていただいてありがとうございます。 今後ともいろいろとサポートをお願いします。