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ホラー短編小説『夜叉の涙は黄泉に流るる⑤』

⑤ 縒子の死の真相


 縒子の葬式は、千代田万世会館で行われた。治代と親戚数人の、つつましいものだった。縒子は人間関係が希薄だったのだろう。出版社からは、お悔やみの電報だけが届いていた。出版社に送ったとされる、脅迫めいた手紙のせいだろうか。治代は青白い顔をして、ぼくが声をかけてもただ頭をさげるだけだった。治代の頬に流れとまらない涙のしずくが、治代の哀しみの深さを伝えていた。

 治代から、神道式の葬式である、神葬祭で行いますと手紙で連絡が来ていた。神葬祭でのお葬式を行う人は少ないため、神葬祭のやり方などを記したパンフレットも同封されていた。神社の社のような祭壇。その祭壇の両脇にはたくさんの榊が飾られていた。祭壇の白い花たちで囲まれた遺影には、縒子の若かりし頃の笑っている写真が使われていた。神葬祭では神職の人が神社でしているようにお祓いをするらしい。神職が大麻という榊の枝に布を取り付けたもので神饌、玉串、斎主、喪主、参列者を祓い清めるのだ。その神職もまだ現れず、複雑な思いで縒子の遺影をみていると、うしろの席から肩を叩かれた。すぐに振り向くと、刑事の鶴山雅祥だった。推理小説を書くさい、出版社の人のコネをつかって紹介してもらった刑事だった。いままでなんども取材をさせてもらってきた。いつもジャンパー姿で、角刈りの姿は、一見ヤクザのようにみえる。しかし、根は情熱家であり情け深い、私よりもひとまわり年上の男だった。

 ぼくと鶴山は葬式場の人のいないところに場所を移した。

「悪いねぇ。ちょっと訊きたいことがあんだけどさ」

「鶴山さん、あいかわらずだね。葬式なのにジャンパーですか?」

 鶴山は頭をかきながら、

「刑事は常時戦時だからなぁ。スーツなんかじゃ、いざというとき動けないだろうが。それに今日は葬儀に来たんじゃない。捜査だよ」

「なるほど。で、警視庁の捜査一課の刑事さんがでばっているということは、縒子が自殺ではなく他殺だと?」

「おうさ、察しがいいな。まあ、ここだけの話にしといてくれよ。事件が解決して、ほとぼりがさめたらおまえの小説のネタにしていいからよ」

 一見ヤクザではなく、ほんもののヤクザみたいな口調になるのは、かなり核心に迫っているときの鶴山のクセだ。

「捜一は、田丸が怪しいと思っている。だがなかなか尻尾をださない。俺とおまえのつきあいもあんだろ。おまえは田丸と仕事の関係で親しくしているそうじゃないか。おまえのほうでちょっとさぐってくれないか」

「ええ、いいですとも。推理小説を書くさい、いつもお世話になっていますからね。にしても、鶴山さん、出世しませんね~。いまだに警部補なんですってね」

「まあな。出世してないのが俺の勲章みたいなもんかな。以前はこれでも警部だったんだがな。まあ、警察大学校を卒業すればなれるんだけど。上役にはたてつく。勝手な行動はするでは出世なんてできないわな」

「鶴山さん、いわゆるキャリア組だったんですね。でもまあ、鶴山さんのような刑事さんがいないと、犯罪検挙率は下がるばっかりでしようね。素人のぼくに捜査の手伝いをさせるなんて、ふつうの警察官ならしませんから」

「グダグダ言ってもはじまらんさ。どこの組織だって似たようなもんだろ。組織がでかくなればなるほど体裁つけて、保身にきゅうきゅうしちまう。部署どうしではりあう。しまいには不正、っていうのがおきまりのパターンだな。俺も、もうちっとお金大好きだったら平気で不正しちゃうんだけどなぁ」

 ぼくが黙ったまま、まじめな顔をしていると、「あっ、今笑うとこよ」
 鶴山がにっこり微笑みながら言った。

「そうそう、また鶴山さんの家に行って、奥さんの手料理いただきたいですね」

「それはだめだ。今別居しているから。朝も夜もない仕事だからな。おまえも結婚したら、なるべく奥さんと一緒にいるようにしてやれよ」

 鶴山は頭をかきながら言った。
 ぼくは、なにを言っていいのかわからなくなり、いままでの経緯をかいつまんで話し、もとの席に戻り、神職が現れるのを待っていた。それからしばらくすると、涙をハンカチでふきながら治代がやってきた。さきほどとはちがい、表情がひきしまっているようにみえた。そしてポツリと、

「実は、縒子は自殺じゃないかもしれないんですの」

「ええ、自殺じゃないんですか?」

 ぼくはわざと驚いたふりをした。

「私にはよくわからないんですが、たった今、警察で、縒子の死に不審な点があると聞かされたの。たしかに、縒子は火をみるのが怖くなって火をつかうことなどなかったはずなのに、ほんとうは誰かに殺されたんじゃないかしら」
 
 そのとき、治代がぼくの目をのぞき込むようにしていたのが心に残った。

 はじめての神葬祭によるお葬式を終えたあとも、鶴山と治代の話がどうにも頭から離れなかった。それだけでなく、とても気になるのは、縒子が亡くなり、しばらくしてからぼくの体に異常なことがおきはじめたことだ。怪異に思えるのは、どんなに食べてもぼくの体重がさほど変わらないのだ。食事をするたびに、縒子の悲しげな声が聞こえてくるのは、ただの幻聴なのだろうか。お祓いをしようがなにをしようが、飯を喰らいつづける勢いが止まらない。ぼくの心に巣くう餓鬼が、吐こうがわめこうがかまうことなく両手で強引に飯を詰め込んでゆくのだ。

 人間の醜さや社会の汚さにふれるたびに、虚無の世界に住む鬼どもが雄叫びをあげ、長く尖った爪を突き立て、胃を拡張させてゆく。満たされず飢えていくだけの絶望感。日毎に、底無し沼にどろどろと沈んでいく感覚。虚無、虚無、虚無、ひたすら、ただ虚無だけが広がってゆく。黄泉の国にいる雷や、醜女たちの無数の手が、そして、イザナミに化身した縒子の焼けただれた両手が、目をとじるたびにみえてくるのだ。

 縒子の怨念めいた声に突き動かされたわけでもないが、縒子の不審な死について少し調べてみようと思い立った。
 ただ、少しばかり気になったのは、印字された書体だ。一般的には明朝体をつかうものだが、この印字はゴシック体。そういえば、田丸からのメールもゴシック体だ。
 小さな疑惑という子蛇がしだいに大蛇になり、首をもたげてぼくの心を締めつけてくる。意を決し、田丸が休暇で自宅にいる時を本人に確認したあと東京に向かい、直接疑問をぶつけてみることにした。

 田丸は、マンションの三階、3DKに、ひとりで住んでいる。三年まえに、仕事で家をあけることが多く、愛想を尽かした妻の小百合さんとは別居し、子供も小百合さんの実家に引っ越していた。
 男ひとりの部屋にしては、かたずいているほうだろう。ただ、雑誌や新聞などは山積みにされてはいる。それは私もおなじだから、人のことはいえないが、朝はやくおきてごみ出しをするのは、よほど強い意志をもってやらないとなかなかできるものではない。

 田丸の机に、写真立てが置かれていた。田丸ともうひとり、少し田丸と顔立ちが似ている男性がふたり並んで写っていた。

「この写真に写っている男性って誰?」

「ああ、私の兄の田丸義之さ。しばらく失踪していてね。最近突然、私のマンションに訪ねて来たんで、セルフタイマーで撮影しておいたんだ」

「へぇー、君たち兄弟は仲がいいんだね」

「いやあ、そうかなあ。私たちはふつうだと思っているけど」 

 ぼくは雑談をやめて、さっそく、本題にうつることにした。
「ところでさ、田丸君は縒子と親しかったようだけど」

「ああ、そう、そうだ。最初に面識がないと言ったのは、中田さんの頼みを断る口実のためだったんだよ」

 田丸はふと、目をそらした。どこか怪しい。

「今回の縒子の自殺のことだけど、治代さんは、どうもおかしいって話しているんだよ」

「ええっ、おかしいってなにが? 私も警察からいろいろと訊かれたけど、やましいことなんてなにひとつしていないよ。なんだか私が疑われているみたいで嫌な気分だったよ」

 田丸に落ち着きがなくなってきた。

「いや、縒子がここ数年火をつかわなくなっていたのに、火事なんておかしいってさ」

「そんな、たまには火をつかっていてもおかしくないだろう」

 田丸が横を向いたままこちらをみようとしなくなってしまったそのとき、田丸のスマホの着信音が鳴った。

「はい、田丸です。ああ、島元先生、ええ、はい、わかりました」

 島元はぼくとも仲のいい小説家仲間だ。田丸を一時的にこの部屋から追い出すために、わざと田丸を呼んでもらうことにしたのだ。

「島元先生が、どうしてもすぐに今頼んでいる著作の相談をしたいって言うんだ」
 田丸が頭をかきながら言った。

「ああ、島元から聞いているよ。島元の対談集の企画だろう」

「そうなんだ。なんか急にいいアィディアが浮かんだらしくて、会って相談したいそうなんだ」

「電話じゃだめなのか?」

「ああ、最近、盗聴されている気がするって言っていて、電話じゃ大切な要件は話さないようになっておられるんだ」

 田丸はバックを片手にでかけようとした。とっさにぼくは腹を抱えてうずくまった。
「痛っ! イタタタタっ!」
「ど、どうしたあっ、大丈夫?」
 ようするに、この部屋に残るための仮病だ。

「悪いけど、帰ってくるまでソファに寝かせてくれないか」

「仕方ないな、あまりあちこちみないでくれよな。と言ってもその体じゃ無理だけどな。帰ってきてもおなじなら、病院に連れていってやるよ」

 ぼくはソファに寝そべり、薄目をあけて、田丸の動向をみていた。
 しばらくして田丸が出ていったことを確認すると、おもむろに起きだして、田丸の衣服を収納しているタンスをくまなく探した。しかし、火事のさいに燃えたであろう衣服や、石油がついたかもしれない衣類などもみつからなかった。いや、田丸がそのまま収納するわけがない。きっとごみとして捨ててしまったかもしれない。

 キッチンにいき、ごみ箱のあたりをみると、黒いビニール袋が目に飛び込んできた。まだ廃棄していなかったのだろう。なかをあけると、石油の匂いがした。少々こげついたワイシャツ。そのシャツのボタンには、赤茶けた長い毛がはさまっていた。この毛が縒子のものなら、田丸の疑惑はかなり強まるだろう。

 田丸が思ったよりもはやく帰ってきた。
「やけにはやいな」
「ああ、途中でタイヤがパンクしていたから、電話で島元さんに事情を説明して明日に延ばしてもらったんだ」
 田丸がソファにすわると、ぼくは、証拠の品々を田丸に突き付けた。田丸の表情は硬くなり、額から汗がふきだしてくるのがみえた。

「わかって、いたのか」

「縒子がどうしても犯人を捕まえてほしいと言っているみたいなんでね。それに警察も自殺ではなくて、放火殺人だと睨んで捜査をしているみたいだよ。治代さんもなぜ田丸君だけを部屋に入れてくれるのか不審に思っているみたいだ。治代さんは田丸君が放火した犯人だと疑っているみたいなんだ」

 田丸は無言のまま、肩をがっくりと落とした。

「中田さん、それはちがうよ。犯人は私じゃない。縒子の母親の治代さんなんだよ。出版社やテレビ局に中田さんのスキャンダラスな手紙をだすように命令されてやってしまったことなんだ。治代さんは中田さんをなぜだか恨んでいて、中田さんを小説が書けないようにしようとたくらんでいたんだ。頼むから聞いてほしい。縒子さんのアパートが火事になった日、私は縒子さんにエッセイを執筆してもらうことになって、その打ち合わせに行ったんだ。そしたら縒子さんの部屋のあたりからどす黒い煙がでていて、治代さんは腰を抜かしたように座り込んでいたんだ。私はとっさに部屋に入っていたけど、なかは煙と炎でもうどうしようもない状態だったのさ。もしも自殺ではなくて他殺だって言うんなら、犯人は治代さんに決まっているよ。私が犯人だったら、焼けた衣類なんかとっくに処分しているよ。治代さんもみていたわけだし。それに私は縒子さんの才能に惚れ込んでいた。かならず大作家として読者を感動させ、喜ばせてくれる人になるって信じていたんだ。そんな私の熱意が伝わったのか、縒子さんも私だけは部屋に入れてくれていたんだ」

「そんな、あり得ない。あの治代さんが……」

「中田さんもみただろう。彼女の姿と部屋を。うんざりしていたんですよ」

 田丸はぼくを哀しげにみて、つぶやくように言った。

「しかし、なぜ田丸君が治代さんに手を貸したんだい?」

「ああ、彼女を騙して性的な暴力をふるったのは、私の兄の善之なんだ。私と兄とは幼い頃から親友のように仲がよかった。学生の頃までの兄はとても純粋で正義感の強い男だったんだ。それが信じていた人から裏切られたり、会社から突然解雇されたりしていくうちに、すっかり変わってしまった。あんなことをする人間じゃなかったんだ。だからつい兄をかばってしまったんだ。私が兄に業界の話をよくするものだから、いろいろと知識だけはあったようなんだ。兄がホテルで縒子さんを襲ったさい、兄が通院している病院の診察券を落としてしまったらしい。縒子さんはとっさにその診察券を手に握りしめたまま帰ってきたそうだ。しかし、縒子さんは警察に届け出ることはしなかった。一般的にも泣き寝入りすることが多い犯罪だからね。ほんとうに縒子さんには申し訳なかったと思っているんだ。治代さんはその診察券を探偵社に持ち込み、私と兄貴の関係を知ってしまったようなんだ。そのことを知った治代さんに脅されて仕方なくしたことなんだよ、許してほしい。本当に悪かったと思っているよ。そうだ、治代さんに脅されはじめてから、万が一のことも考えて、マイクロカセットのテレコで治代さんとのやりとりも録音しておいたんだよ。聞いてみてよ」

 田丸は黒いポシェットからテレコを取り出し、再生ボタンを押した。

「田丸さん、あなたのお兄さんを前科者にしたくなければ、そしてあなたの出世も思うんなら、私の計画を手伝ってちょうだい」

 確かに、治代さんの声によく似ている。いや、治代さんだろう。聞いたこともない低音ですごみのある声だが、現実から逃げてはいけない。ぼくはテレコの再生を止めた。

「縒子の作品を出版したのも脅されてのことでもあるんだな」

「そうだよ。君の話したことが真実であるならば、警察が、縒子さんが自殺ではなく、偽装された殺人だと捜査しているらしいと気づいた治代さんは、すべての罪を田丸君にかぶせようと思ったんじゃないかな。いや、罪をかぶせたうえで口封じをしようとたくらんでいるんじゃないか」

「恐い人だ。治代さんは。それにしても縒子さんはあの作品を最後に燃え尽きたみたいで、なんど書いてもらうようお願いしたんだけど、まるで書けないみたいだった。ひとつの作品を世にだすことだけに執念を燃やしていて、ほんとうは小説を書くことがあまり好きではなかったのかもしれない。それなら自殺したようにみせかけて、話題作りをして本の売り上げにつなげようとしたんじゃないかな。私は縒子さんからたくさんの小説とエッセイや詩を預かっている。これらの作品を推敲していけばもっと多くの本をだせたはずなのに。ほんとうに残念でならないんだよ」

「治代さんのことはともかく、縒子はなぜそれほどまでに、世にだすことに執着していたんだろう」

「中田さん、たぶん、縒子さんはあなたとおなじ土俵に立ちたかったんじゃないかな。おなじ世界の空気を吸い、ほんとはあなたのことが忘れられなかったんじゃないかな」

 ぼくは田丸の言葉に、なにも言えなかった。田丸の話がほんとうであったのならば、縒子は、小説家として成功したあと、閉じこもった部屋から飛び出してから、さまざまな準備をしてから、ぼくと会うつもりだったのかもしれない。ぼくはイザナギの神のように、性急すぎたのかもしれない。そう思うと、ただただ悔恨の思いで胸が引きちぎられていく思いで胸が苦しくなった。
 そのあと、ぼくは鶴山刑事に電話をかけ、田丸が話した内容をかいつまんで話した。

「おう、お手柄、と言いたいところだが、刑事みたいなマネをされちゃあ困るなぁ。で、俺に電話してきたってことは、刑を軽くしたいから自首するってことだな。それにしても、真犯人というか首謀者が娘の母親だってか、まったく世も末だな。俺も妻や子供に寝首をかかれないように気をつけなくちゃな」

「鶴山さんなら大丈夫ですよ」

「なんでだ?」

「鶴山さん、いつも家で寝てないでしょ。というか、家に帰りたくても奥さんが入れてくれなかったりして」

「まあな、ほんとおまえさんはお察しがよいことで」

 そのあと、ぼくは田丸と一緒に丸の内警察署に行き、田丸を自首させた。受付をしてくれた女性警察官に、鶴山警部にお願いしたいと話すと、彼女はどこかに電話をすると、しばらくするとジャンパー姿の鶴山刑事が片手をあげてやってきて、田丸を署内のどこかに連れて行った。

 翌日、治代と田丸が逮捕されたと新聞とテレビのニュース番組で報道されていた。しかし、ぼくの異常な食欲は変わらなかった。縒子はまだ不満のようだ。ぼくはもういちど冷静になって、いままでのことを思い返してみた。なにかがおかしい。治代がたんなる金の亡者で縒子を殺害したというのも疑わしい。確かに縒子はスランプにおちいっていたのだろう。しかし、縒子の小説が出版化されて一息ついての充電期間のようなものだ。それほど焦ることはないはずだ。おなじように田丸にも動機というものがみあたらない。動機がなくても行われる殺人が多くはなってはいる。人からみればなぜそれくらいのことで殺人をするのかと思われる事件も多発している。しかし、今回の事件には真犯人がいるように思えてならなかった。たとえば、失踪していた田丸の兄貴というやつが、最近ひょっこり田丸のマンションに訪ねて来ていることがひっかかる。これはいちど田丸と治代に面会して、少しでも話を聞きたいと思った。

 ぼくは、鶴山刑事に電話をかけてみた。

「よお、中田さんよ、治代も田丸も縒子の殺害は否認をしているぜ。俺の長く哀れな刑事生活のカンによると、どうもふたりとも縒子の殺人の件はシロだな。あれが演技なら稀代の悪女だといえるだろうな。田丸も取り調べでぜんぶ白状したよ。田丸は治代の放火現場をみてはいなかった。田丸が治代が犯人だと言っていたのは、みんな田丸の憶測にすぎないってわけだ。そうなれば、ふたりとも、軽微な罪だとされて、執行猶予つきの懲役二年か罰金刑くらいになるんじゃないか。それにしても驚いたのは、治代がおまえさんをひどく恨んでいたらしいってことだ。おまえさんに送りつけていたFAXも、呪いの人形みたいなもんも、いろんな出版社やテレビ局に送りつけていた手紙も、治代が田丸に脅迫まがいに命令してやってきたことも吐いたぜ。自分の娘をだめにしたもともとの張本人は、中田さん、おまえだと思っていたみたいだな。治代は、文庫本の解説を頼むことでおまえに近づき、おまえを安心させたところで治代なりの復讐、つまり、スキャンダラスな手紙をばらまいておまえの小説家としての生命を絶とうとしたわけだ。しかもその行為をした者が縒子だと思わせることで二重の苦しみをあたえようとしたわけだな。まあ、逆恨みみたいなもんだが」

「ああ、そのことなら、ある程度は田丸から聞いて知っている。そりゃ、ぼくにも原因はあったと思うけどね。それよりも、まだ留置所にいると思うんだけど、治代さんと田丸と面会したいんだけど」

「ああ、二日ほど過ぎたら面会は大丈夫なはずだ。俺が口をきかなくても接見できるはずだが、一応、話はつけとくよ」

 翌日、ぼくは麹町警察署に行き、留置所にいる治代と、田丸と面会した。
 治代は、泣きながらぼくにあやまっていた。誰かを憎まなければ生きていく勇気がわいてこなかった、という言葉が心に残っていた。しかし、治代は絶対私は縒子を殺していませんと言っていた。
 田丸もまた、治代が犯人だと言い張っていた。そこで田丸の兄貴、田丸義之の連絡先を聞き出した。田丸は犯罪者ではないと知らせたいからだと言ったら、すぐにスマホの番号を教えてくれたのだ。

 ぼくは警察署をでるとすぐに、田丸の兄、田丸義之のスマホにかけ、皇居のお堀のあたりに呼び出した。目印に、黄色い帽子をかぶっていると伝えていた。たとえわからなくても、ぼくが善之に電話をかけた着信履歴が残っているから電話をかけて場所の確認ができるというもたのだ。皇居の近辺は、つねに警察官たちが見張っている。皇居のまわりをジョギングしている人たちのなかには、ジョギングしているふりをして皇居の近辺の警護にあたっているとのだと噂も聞いたことがあり、安心だと思えたのだ。
 神田橋の方向から、男がグレイのコートを着、黒いジーパンをはいてぼくのほうにやってきた。髪はあまり手入れをしていないようでボサボサだった。

「中田さんですか?」

「はい、ぼくが中田です。それにしてもよくぼくだとわかりましたね」

「ええ、テレビでなんどかお顔は拝見していましたから」

「では、あなたが田丸良雄君のお兄さんですね?」

「ええ、田丸義之です。弟がお世話になっていると聞いています。弟はどうですか?」

「警察は、田丸を縒子殺害の犯人だと決めて、立件するようですよ」

 ぼくはあえて嘘をつき、田丸善之の反応をみることにした。

「弟が殺人犯になるんですか?」

 田丸善之は、肩を震わせ、拳を強く握りしめていた。やはり、この男がとことん臭いと思った。

「そうです。このままでは弟さんは殺人犯にされてしまうでしょう。どうでしょう。弟さんのためにも、ここであなたが真犯人だと自首をされたら。ぼくはあなたが真犯人だと思っているんですよ。あなたの弟の田丸良雄君は治代の放火現場をみてはいなかったのだそうです。ただ火事の現場で座り込んでいた治代さんをみただけなんです。そうすると、あなたが放火して逃走したあとに、その現場に治代がやって来た。そしてそこに田丸が打ち合わせにやって来た、という推理も成り立つわけです。そしてごく最近、突然あなたが田丸良雄のマンションに訪ねて来たあとでの事件ですからね。まあ、なんの証拠もあるわけじゃありません。ただ、毎夜縒子がぼくの夢枕に立って、悔しいと伝えてくるものでね。というよりも、あなたは自分の罪を弟にかぶせて、それで平気なんですか?」

 田丸義之は、弟に罪をかぶせるつもりなのか、という言葉に落ちた。

「申し訳ありません。私がやりました。弟は殺人なんかしていません」

 田丸義之は、頭をかきむしりながら、大声をあげて泣き伏した。
 ぼくは、タクシーをとめ、田丸義之を車に乗せ、ドライバーに丸の内警察署に行ってほしいと頼んだ。

 翌日、鶴山から電話がきた。

「おいおい、中田さんよぉ。あんまり探偵か警察みたいなことしてると、いつかひどい目にあうからほどほどにしておけよ。まあ、それはともかく、田丸義之はぜんぶ白状したぜ。火をつけたのも、縒子を殺したのも私だったてな。なんでも、田丸義之は、過去の過ちをずっと懺悔するような思いでいたらしいな。ずいぶん前の話だが、縒子の出版詐欺をしたこともゲロしたぜ。やつの自供によれば、芸能人がテレビ出演をするために、いわゆる枕営業をしているという、ほんとかどうかの記事を読んで、縒子の小説を出版化させるという詐欺を思いついたそうだ。やつは魔がさした、と言ってる。あの事件があった日。田丸の部屋で、縒子の原稿をみて、以前に縒子の住所を知った頃とおなじ住所だったことを知り、彼女のアパートに行ってみた。以前の悪辣な行為をわびるためだったらしい。その証拠に縒子の原稿をみてからだな。なにを思ったか、四国で霊場めぐりをして、自分の犯した罪をわびる旅をしていたと言っていたぞ。霊場ごとのスタンプも、義之のアパートからみつかったよ。しかし、彼女が大騒ぎをしたため、思わず首を絞めて放火したんだとさ。なんだか哀しい事件だな。義之の供によれば、田丸だと名乗ったら、すぐに入れてくれたそうだぜ。それでも、こんな稼業をしているとな、誰の心にも夜叉ってやつが潜んでいるって気がしてくるぜ。ただ、子殺しみたいな犯罪じゃなかったことが不幸中の幸いってやつだ。ほんとによかったぜ。」

 鶴山刑事の声は、なにか少し安堵したように聞こえた。

「縒子さんは、田丸、弟の良雄のほうだけは部屋に入れてくれていたみたいだな」
 鶴山はそれだけ言うと、携帯を切った。

   ⑥に続く


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