ホンダの亡霊との決別~日本サッカー再建に向けて

 サッカー日本代表は、昨夜(9月2日)行われたW杯最終予選の初戦において、「格下」のオマーンに0-1で敗れた。得点差こそ最少差ではあるが、その試合内容は惨憺たるものだった。多くの人が指摘しているが、ゴールへの道筋を描けていない日本は、ボールこそ保持するものの、それを効果的な攻撃には全くつなげることができなかった。個々のプレー、そして代表を率いる森保一監督の采配については、これまた多くの人が指摘しているように、問題だらけだったと言う他ない。
 多くの選手が欧州でプレーするようになった今、日本代表は進歩しているのか?残念ながら答えはNOだ。個々の選手が上達していることと、彼らを集めたチームが結果を残すことはイコールではない。むしろ巧い選手が増えただけに、彼らをつなぐ指針が必要なのだが、残念ながら指導者の側にそれが備わっていない。というより、それを作る能力がないと言うべきだろう。例えて言うならば、一流の、しかし癖のある食材を集めてみたが、肝心の料理人が家庭料理に毛が生えたレベルであったため、食材の良さを全く引き出せなかったようなものだ。

 日本代表チームには多くの問題があるが、その根底にあるのは「Japan's Way」と呼ばれる、自己過信としか思えない拘りだ。これはサッカーに限った話ではない。先の東京五輪でそこにこだわりを見せた女子バレーは惨敗を喫した。逆に、それを捨てて世界と向き合った柔道や女子バスケットボールは輝かしい結果を残した。この「Japan's Way」こそが、スポーツにおいては癌であり、日本サッカーにこれを持ち込んでしまったのが「本田圭佑」だと思う。
 本田の名前を括弧つきにしたのは、本田個人を糾弾することが目的ではないためだ。本田的なものとでも言うべきであろうか。本田個人については、己の身体1つで、日本代表の主力にのし上がった訳で、その自己実現能力は尊敬に値すると思っている。しかし自分たちのやり方へのこだわりこそが、進歩を止め、世界との距離を広げてしまう。その象徴としての本田である。

 日本サッカーの歴史の中で考えてみると、ターニングポイントは2010年だったと思う。この年南アフリカで開催されたW杯において、日本はベスト16に進出した。その中心となったのが本田だった。当時、代表を率いた岡田武史氏の戦術については、様々な評価があるが、結果を残したという点においては評価すべきだと思っている。問題はこの大会後だ。この大会で一躍スターに上り詰めた本田は「俺はW杯優勝を狙っている」とことあるごとに発言していた。これに呼応するように、盟友の長友佑都は「俺と(本田)圭佑は本気で優勝しようと思っている」と発言し、その覚悟を代表全員が持つように促していた。
 90年代、奇跡のように急成長を遂げた日本サッカーだが、そのレベルは「アジア最強の1国」というところに留まっていることは、誰の目にも明らかだった。目標を大きく持つことは悪いことではないが、実現可能性のない目標は、却って本来の目標を立て難くしてしまう。

 そしてこれ以降、日本サッカーは本田を中心に動いた。能力が高いためという見方もできるだろうが、本田を本田たらしめていたのは、その発言力だったと思う。ビッグマウスと取られかねない強気な発言は、内容を吟味することが苦手な日本のスポーツメディアには受けた。俗にいう「見出しになりやすい」発言が多いためだ。そしてメディアが取り上げることで、本田にはサッカーとは別の力が備わってしまった。それがこの先、最悪の形で発揮されていくことになる。

 2014年のブラジルW杯を目指す日本代表の監督に就任したのは、イタリア人のザッケローニだった。やや現役感が薄らいでいたとはいえ、欧州のスタンダードを知る人物だけに、期待は高かった。そのザッケローニの監督生活を垣間見ることのできる「通訳日記」という書籍がある。文字通り、ザッケローニの通訳を務めた矢野大輔氏の著書だ。それによれば、ザッケローニは、得意とする3-4-3の布陣で戦いたかったようだ。そこで鍵となるのが前線の両サイドに展開してほしい本田と香川真司だった。しかし彼らはサイドではなく、中央でのプレーを希望した。ザッケローニは、ずっとサイドでプレーするわけではない。ボールを持ったら、そこから中に入ってプレーしてほしいと説得したが、本田と香川の同意を得るには至らなかった。それどころか、「自分たちのやり方で戦わせてほしい」と監督にリクエストしたという。ザッケローニは、選手に無理やりやらせることの愚を考え、そのオーダーを承諾した。その結果、ブラジルW杯では0勝3敗の惨敗を喫した。

 本来であれば、ここで日本サッカー協会は、その敗因を検証すべきだった。なぜ欧州のスタンダードの監督を招聘しながら、日本人選手に戦い方を委ねてしまったのか。その構造を解きほぐすべきだった。しかし、そうしたことに焦点は当てられることなく、プレーの話に終始した。
 メディアも同罪だ。本来メディアにはチェック機能がある。W杯惨敗の根本には何があったのか。それを様々な角度から掘り下げるべきだった。しかしザッケローニと本田の意見の相違すらも「ザックジャパンで内紛」としかとらえることのできない、日本のサッカーメディアは、表面的な話ばかりを書き立てた。
 この結果、本田や香川が言うところの「俺たちのサッカー」は、何よりも優先されるべきものとなってしまった。

 そして2018年のロシアW杯だ。ザッケローニの後任として指揮を執っていたのは、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のハリルホジッチだった。コートジボワールやアルジェリア代表監督として結果を残してきたハリルホジッチだったが、それが考慮されることはなかった。最後は本田との意見対立を避けるため、ハリルホジッチがW杯前に解任されるという、最悪の事態を迎えた。W杯の予選を勝ち抜いた監督が、1選手を守るために解任されたのだ。そしてこの時も、日本サッカー協会は、その構造から目を背けた。W杯本番では、ガンバ大阪の監督として結果を残してきた西野朗を監督として配置、またもやベスト16という結果を残した。本番で本田や香川は主力としての扱いは受けていなかったが、彼らが残ったことで、「俺たちのサッカー」は水戸黄門の印籠のような存在となった。

 そして今だ。かつては数人の選手だけが主張していた「俺たちのサッカー」は、日本サッカー協会の主流となった。その結果、日本のサッカーは戦術的な芯を持たず、選手個々が思うがままにプレーするだけのものになった。

 こうした事態を招いたのは、やはり「本田」だったように思う。もはや代表に招集されることのない本田の亡霊は、その価値観を否定されない限り、今後も日本サッカーに祟るのではないだろうか。

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