どこかのサッカーチームのような、あるレストランのお話し

その町は「日本で最初に洋食が食べられた町」と名乗っていました。本当かどうかは、誰も知りません。でもその町の人たちはそれを誇りにしていました。

20世紀も終わりに近づいた頃、日本中を洋食ブームが席巻しました。それまであまり見向きもされず、ハンバーガーばかりに夢中になっていた日本人にとっては衝撃でした。長髪、髭はOK。何なら入れ墨だってOKのお店が10店生まれ、そんな派手な店員さんたちが働く洋食屋さんはすぐに若者の心をつかみました。

それを横目で見ていたあの町の人は「洋食発祥の地に洋食店がないのはいかがなものか」と思い、「この町に洋食店を作ろう!」という署名活動を始めました。町の人たちはみんな快く署名してくれました。そして紆余曲折を経て、少し西の町から料理店を連れてきました。それでも洋食屋さんとして認められるためには、「洋食連盟」に加盟しなければなりません。最初は洋食連盟の下のランクの「洋食組合」からのスタートでした。それでも町の人たちは、希望に燃えていました。その町の出身である優秀な店員さんたちが、故郷のために集まってくれたからです。
「洋食組合で1番の売り上げを挙げて、洋食連盟に入ろう!」
これを合言葉に開店準備を続けていました。

しかし、いざ開店!という日に、その町はかつてないような災害に見舞われました。町の人たちは洋食を食べている場合ではありませんでした。一時は「開店を見合わせようか」という話も出ました。それでも店員さんたちは「頑張って洋食連盟に入ろう。それが町の人たちを勇気づけるはずだ」と考えて、開店しました。
それから2年後、洋食組合で売り上げ2位となり、晴れて洋食連盟への加入が認められました。お店の人たちは「町の人たちと一緒に頑張ったからだ」と胸を張りました。確かに町の人たちは暖かかったのですが、実はその洋食店は「復興のシンボル」ではありませんでした。その町にあったハンバーガーショップが、2年連続でハンバーガー人気ランキング1位になっていたからです。そしてそのハンバーガーショップには、大人気の店員さんがいました。何でもできてしまうその店員さんは、後にハンバーガーの本場アメリカに渡り、そこでも伝説的な店員さんとなるのですが、それはまた別のお話し。

洋食連盟に加入したそのレストランですが、売り上げはパッとしませんでした。洋食連盟からは毎年売り上げの悪いお店が、下部組織として作られた洋食連合に移されてしまうのですが、そのレストランはいつもギリギリで何とか残っていました。お客さんも少ないままです。当然、お金はいつも足りません。気がつけば、経営難になると町長さんからお金を借りて、どうにかこうにか洋食連盟の劣等生として生き残っているだけのレストランになっていました。しかし、ついに町長さんから厳しい通告がなされました。「これ以上、町のお金を渡せないよ」。誰もがもう駄目だと思いました。しかしそこに一人の救世主が登場しました。

救世主とは、その町の出身である大実業家です。頑張ってとても大きな会社を作ったその実業家は「私がそのレストランの経営者になろう」と名乗り出てくれたのです。その実業家は「今太閤」として話題の人だったので、そのレストランはにわかに注目を集めました。再出発に当たって、実業家はトルコから人気者を連れてくるなど、とても意欲的に経営再建に取り組みました。ポケットマネーで店員さんたちの寮も作ってくれました。

そしてその実業家が経営に携わって2年目のことです。ついにその日がやってきました。洋食連盟から降格したのです。その年の売り上げはダントツのビリでした。その年、料理長が3回交代するなど、厨房の中もごたついていました。一説には実業家が口を出し過ぎたと言われていますが、本当のところは解りません。

洋食連合に降格した年、合言葉は「1年で洋食連盟に戻ろう」でした。その中心となったのは、ある九州出身の店員さんでした。彼は前年に別のお店から引き抜かれてきたのですが、とても優秀だったので、世界コンテストに出るチャンスもありました。それでも「僕はこのお店が大好きです」といって、世界コンテストの出場を見送りました。
「全ての洋食店で働く人の目標である大会を棒に振ってでも、このお店を立て直そうとしてくれている」
そんなストーリーが出来上がり、彼は常連客からとても愛されました。そして、苦労はしましたが、見事に1年での洋食連盟返り咲きを実現しました。
そして翌年、新しい料理長と喧嘩して、彼はお店を去りました。その喧嘩の原因を知らない常連客は、一方的に料理長を悪者として糾弾していましたが、その料理長の腕が確かだと判ると、その騒動も終息しました。

それから10年の月日が経ちました。この間、そのレストランは再び洋食連合に降格したりと、色々なことがありました。料理長が毎年のように代わるので、作る料理も安定しませんでした。それでも実業家はお金を出し続けました。そしてある日、その実業家は大きな決断をくだしました。
「これからは本場であるヨーロッパのお店と提携しよう。そして本格的な洋食を出すお店になろう」
実は実業家は自分の本業で、ヨーロッパの超一流店と提携を結んでいたのです。そしてそれを自分のレストランに還元するという話を思いつき、ヨーロッパのお店の了解も取っていたのです。

この計画をサポートするために、一人の人物が「総支配人」としてやってきました。10年前にお店を去った、あの九州出身の元店員です。彼は言いました。
「僕は若い頃、超一流店の料理を食べています。味を再現する自信はあります」
実業家はこの言葉を信じ、外国から超優秀な店員さんをどんどん連れてきました。そしてついには「世界一の店員」と呼ばれる人物まで連れてきたのです。これには世界中が驚きました。

そこで料理長に任命されたのは、ちょっと前までそのレストランで働いていた店員さんでした。彼はいい人でしたが、料理の腕は・・・でした。海外から来た超優秀な店員さんを使いこなすことなど、とてもできませんでした。「このままではまた洋食連合に降格してしまう」
誰もがそう思った時、実業家は海外から超有能な料理長を招聘しました。その料理長は店員さんたちに、細かなマナーから始まり、ありとあらゆる知識を植え付けようとしました。その指導が素晴らしかったため、店員さんたちは「いいレストランになるぞ!」と再び希望に燃えていました。噂を聞きつけて、他のレストランからも優秀な店員さんたちが続々集まってきました。

いよいよ最高のレストランになる!そう周りが思い始めた時、またもや激震が走りました。その料理長が突然帰国してしまったのです。一説には実業家と衝突したと言われていますが、本当のところは誰にも分かりません。
そして次の料理長に任命されたのは、いい人だけど料理の腕が・・・の前の料理長でした。これには誰もが驚きました。そしてまたもやレストランは迷走します。料理は確実に質が下がり、目も当てられない状況になりました。期待を裏切られたと思ったお客さんたちは、総支配人を問い質そうとしました。しかし一部の古い常連客が総支配人を励まし始めました。「アレ!アレ!」の大合唱です。この声が大きかったため、大勢のお客さんの声は届きませんでした。

しかし確実に料理は酷くなっていきました。見かねた実業家は、新たに外国から料理長を招聘しました。その料理長は、店員さんたちの配置を変えることで、見事に立て直しました。そして年末には最も古いコンテストで優勝するまでに成長させました。
「今度こそ、このレストランが日本一になる」
誰もがそう思いました。しかし今度ははやり病のため、レストランが一斉に休業することになりました。店員さんたちもお休みです。何か月にも及ぶ休業期間が明けた時、レストランは以前と同じには戻りませんでした。それでもやり方は間違えていなかったため、時間が解決すると誰もが思っていました。しかし、またもや料理長の退店・緊急帰国という非常事態に襲われました。今度も理由は解りません。一説には世界を襲ったはやり病を心配し、外国に残してきた家族を思っての帰国と言われています。

そして次の料理長です。なんと総支配人だった彼が、料理長を任されました。誰もが心配しました。なぜなら彼には料理長の経験がなかったからです。最初の数日間は、それでも何とか恰好はついていました。しかし確実に料理は変質していきました。本場ヨーロッパと同じ料理を目指していたはずなのに、気がつけば日本古来の洋食に戻っていました。それならそれと看板を掛けかえればいいのですが、新しい料理長はプライドが高いのか「本場欧州料理」の看板は下ろしません。「本場欧州料理」と名乗りながら、アジフライや鶏のから揚げが提供されました。時には肉じゃがや筑前煮なども登場し始めました。

この状態を見たお客さんたちはざわつき始めました。
「なんだこれは!」「料理長を代えろ!」
そんな声が目立ち始めます。しかし古くからの常連は「売り上げは伸びている」、「元総支配人はよくやっている」と言い続けます。

その年の年末、アジア洋食選手権に、そのレストランは出場しました。変則的な開催となりましたが、他のレストランの調整不足もあり、割といいところまで行きました。新しい料理長は自信を持ちました。その陰で、世界一優秀な店員が大きなケガをしたことも忘れてしまったかのようでした。
彼の奥さんも、彼を援護します。
「うちの旦那は底なしの愛情で店員を育てている」「彼の愛情を受けた店員は確実に成長している」
この店員さんへのリスペクトも微妙な「旦那ファースト」の言葉も、お客さんを苛つかせました。

年が明けました。新しい総支配人には「料理長を代えないのか?」、「本場欧州料理の看板は下ろすのか」という声が、お客さんから寄せられました。新しい総支配人は看板は下ろさないとした上で、初のコンテスト優勝をもたらした前の料理長を「店員の力を引き出せていなかった」と批判し、新しい料理長を擁護します。自分をレストランに呼んでくれた料理長に忠義を尽くしているのかもしれません。

そして料理長は今日も迷走を続けています。彼の手にかかればトリュフさえもキノコとして、鶏肉といっしょにオイスターソースで炒められてしまい、その芳醇な香りもどこかに行ってしまいます。ついにはお客さんが料理を残すと、「店員が気持ちの入っていない接客をしたからだ」と言い出しました。厨房には「アラートさ」という謎の標語が貼られました。優秀な店員さんたちのおかげで何とか売り上げは上がっていますが、その先行きには不安しかありません。

このレストランがどうなっていくのか。その答えは誰も知りません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?