「オープンレーター」問題で損をするのは誰か?

ここ数日、1通の「オープンレーター」を巡って、ちょっとした騒動になっている。この「オープンレター」とは、歴史学者の呉座勇一氏のツイッターを巡る騒動に端を発している。人気歴史学者である呉座氏は、鍵アカと呼ばれるツイッターの中で、文学者の北村紗衣氏を揶揄・あるいは誹謗中傷していた。ここに至る経緯も色々とあるのだが、この件については呉座氏自身が謝罪している以上、争点にはならない。
問題はここからだ。まずは時系列に沿って問題点を整理してみる。調べるのが面倒なので、日付などは割愛する。重要なのは物事の順序だ。

1.呉座氏のtweetが北村氏の知るところとなり、糾弾される
2.呉座氏、謝罪
3.北村氏と賛同者が「オープンレター」を、呉座氏の勤務先である日文研に送付
4.呉座氏と北村氏、弁護士を挟み和解
5.呉座氏に対して日文研は、当初は厳重注意としていたが、呉座氏の昇格見送り、降格(事実上の馘)を宣告
6.呉座氏、日文研を、解雇権の濫用として提訴
7.オープンレター、そして署名者に対する批判が表面化
8.オープンレター署名者の中から、「署名した覚えがない」という声が何件か上がる
9.北村氏やその賛同者への批判が増える
10.北村氏を批判していた甲南大学非常勤講師に対して、北村氏が甲南大学に内容証明で批判を止めるように文章を送ったという訴えが当事者から出る。同時に、この件について発言していた弁護士に対して、北村氏が弁護士を通じて本件にコメントしないよう求めたという事実も当事者から明かされる。

私が把握している範囲では、こんな感じだが、大筋ではそれほど間違えていないと思う。先に書いたように、1から2については争点が存在しない。最初の問題は3だ。
オープンレターでは、性別を含む差別的な言動をアカデミーの世界から無くしたいという主張がなされている。ここまでは私も完全に賛成だ。問題はこのオープンレターが、その主張だけを目的としているかという点だ。上記5で書いたように、呉座氏に対して日文研は当初、厳重注意としていたのだが、このオープンレターが発表されて以降、厳しい処分を改めて下している。ここに至る経緯を日文研が発表していないため、真相は不明だが、普通に考えて大勢の署名がついたオープンレターが発表されたことで、日文研が厄介払いをした印象は拭えない。上記6の事態に至ったところで、一部メディアがこの件を報じ、それに伴い「処分が重すぎる」という声も上がった。同時に、署名者に対して批判的な声も聞かれたが、当時、ある署名者(ジャーナリスト)は「呉座氏の解雇は要求していない」と発言、問題は処分を下した日文研にあるとの見解を示した。またこの件に関して、レター作成の中心人物と目される人物(大学教授)は、「呉座氏を標的にしたものではない」と語っている。しかし文章内には、呉座氏の名前が頻出し、呉座氏を糾弾している印象は拭えない。
この件に関しては、オープンレターが呉座氏への追加処分に影響を与えたかどうか、日文研が説明すべきではないだろうか。その経緯が明らかになって、初めて処分が妥当かどうかの議論に移るべきだと思う。

これに関連してくるのが4の問題だ。呉座氏を標的にしていないというのであれば、文章が妥当でないように思えるのだが、当事者である北村氏が和解した時点で、オープンレターはその文章を含め、扱いを見直すべきだったようにも思える。

次の問題点は8だ。署名についてはもう少し慎重であるべきだったのではないだろうか。このオープンレター作成の中心人物と目される大学教授は、この件を「悪戯」と切り捨てた。その上で「悪いのは適当な署名をした人間であり、それによって運営者を糾弾するのはお門違いだ」という意の発言をしている。他人の名前を書き込んだ人間が最もギルティ―であることはその通りだが、開き直りとも見えるこの態度は無責任の謗りを受けても仕方ないだろう。仮にも一人の研究者の名前を頻出させ、社会的地位を失墜させる可能性のある文章を出しておきながら、その文章に重みをもたせる署名を適当に扱ったのは褒められた話ではない。今取るべき態度は、全ての署名者への確認、そして消しこみだ。その上で、運営者としての甘さについての謝罪であるように思う。

次の問題は10だ。ここには二つの問題がある。今回の騒動に対して批判的な人間に対して、運営者たちは弁護士の名前で内容証明を送付し、その言説を止めようとしている。これは学究の徒である学者としては、自殺行為だ。自由な発言こそが研究の基本であり、ここは自らの存在をかけて守り抜くべきだ。自分たちに批判的な発言を封じ込めるというのでは、これまでアカデミーに限らず、様々な場面で見られた性別を理由とした発言の封じ込めと、同質になってしまう。
この件に関して、もう1つの問題は甲南大学という組織の遵法精神だ。甲南大学の講師が、北村氏に罵倒とも言えるtweetをしていたことは事実であるようだ。これについて止めるよう求めた北村氏の態度は正しいだろう。しかしこの講師氏の発言を聞くと、北村氏からの親書は手にしていないという。この経緯を整理してみる。

ア.北村氏、講師氏に罵詈雑言を止めるよう手紙を出す
イ.講師氏、大学より手紙が来たことは知らされるが、実物の引き渡しは「大学に届いたものだから」という理由で拒否される
ウ.北村氏、講師氏より何の連絡もないため、匿名で甲南大学に電話、相談する。甲南大学からは事実であれば対処するとの返答
エ.北村氏、大学宛てに講師氏に発言を慎むよう求める内容証明を送付

ここでの問題はイだ。北村氏の言によれば、この手紙は講師氏個人に当てたものであり、送付住所が大学であったというだけだ。であるならば、甲南大学は私信を勝手に開封し、中身を読んだ上で、その実物を占有していることになる。通信の秘密は絶対に守られなければならない権利の一つであり、憲法でも保証されている。それを犯すような大学であれば、甲南大学には問題があると思う。繰り返しになるが、講師氏の発言(特に表現)は問題視されるべきだろう。一部には北村氏の行為を脅迫的として非難する声もあるが、ここに関しては北村氏は正しい手順を踏んでいる。それを脅迫的に見せているのは甲南大学の対応だ。甲南大学は北村氏、講師氏が真実を述べているのであれば、双方に不利益を与えていることを自覚しなければならない。

今回、問題とすべきは上記の点に収斂すると思うのだが、どうもSNS上ではフェミニストに対する非難に向かいつつあるように見える。呉座氏を巡る騒動に端を発した本件は、大事な問題を含んでいる。性別による差別が未だこの国では根強い。それを止めるための運動は、全て肯定されなければならない。それを考える契機になるだけの材料を含んでいるにもかかわらず、問題点整理が為されないまま、党派性をまとった議論になりつつある。こうした事態が続くことで、最も不利益を被るのは、性差別によって息苦しさを覚えている人たちだ。重箱の隅をつつくような批判合戦ではなく、健全な議論となり、性差別撤廃への一歩となることを切に願うばかりだ。


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