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こよみだより *春分* / 二十四節気と七十二候について



2022.3.21
今日は、二十四節気の「春分」入です。
太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ同じになる日。
季節の大きな節目となる「春分の日」です。

そろそろ 待ちに待った桜の季節でもあります。
私の住む場所では、ぽつん、ぽつん、ふわっ、ふわっと開花を始める木もあり、春の訪れを実感する今日この頃です。


春分の日については、昨年 綴りましたので、よろしければ こちらをご覧ください。


* * *


このあと、「二十四節気について」、そして「七十二候について」おはなししたいと思います。
ただ、多くの方がご存知のことかもしれませんし、二十四節気については、私自身、以前にも綴っています。
ここで説明チックなことなど ご無用でしたら… 文字は読み飛ばしていただいて、写真だけご覧いただけましたら幸いです。

今日の写真は、先日、埼玉県秩父市を訪れたときのものです。
タイトルと二十四節気の部分は『西光寺』、七十二候は『秩父神社』、最後に『武甲酒造』さんの写真を添えています。お寺と神社と、酒蔵です。



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二十四節気について


二十四節気とは、一言でいうと、昔の暦と実際の季節感のズレを調整するために生まれたものです。

太陽の運行をもとに、1年を24分割して決められており、季節を表す名前がついています。

二十四節気について、以前に綴った記事はこちらです。


ここでは、上記の記事とは ちょっと言葉を変えておはなししたいと思います。


* * *


旧暦では、月の満ち欠けをもとに月日が決まっていました。(※)
新月から 次の新月までが1カ月です。 


でも、その暦法ですと、月日と 実際の季節はズレてしまいます。
月日は 月の満ち欠けをもとに進んでも、季節の変化は 太陽の動きによって起こるからです。
旧暦の月日は、季節の目安になりにくいものだったのです。


そこで、季節の指標として取り入れたのが、太陽の運行をもとにした二十四節気です。農作物を育てる目安として、とても重宝したそうです。

二十四節気は古代中国で生まれ、日本には奈良時代頃に “輸入” されたと言われています。

(※) 日本では、明治6年(1873年)の1月1日から現在の太陽暦(グレゴリオ暦)が使われるようになりました。それ以前に使われていた旧暦は、月の運行に太陽の動きを加味した「太陰太陽暦」です。
詳細は、先ほどご案内した以前の記事に記しています。

*


 季節の区分け

では、どのようにして、1年を24の 節気に分けているのでしょう。
まず、季節の区分けについて、おはなししたいと思います。
二十四節気において、季節を捉えるのに重要だとされていることです。


① まず黄道の円を 夏至と冬至で2等分し
② さらにそれを、春分と秋分で4等分にし 
③ それぞれの中間に立春、立夏、立秋、立冬を入れて八等分する。
④ それを さらに3等分したのが「二十四節気」

です。

この分割がシンプルにわかりやすい図を探してみたところ、AERAdotさんの記事中にあった画像が良いと思いましたのでお借りしました。
①②の4分割が わかりやすいと思います。


少し詳しくおはなしします。

①「夏至げし」と「冬至とうじ」を “二至にし” といいます。
夏至は1年で最も昼が長くなる日、冬至は最も昼が短くなる日です。

まずこの二至にしで2分割します。
夏至から冬至に向かう間は、昼間がだんだん短くなり、
冬至から夏至に向かう間は逆に昼間が長くなっていく時期となります。

② 次に、「春分」と「秋分」の “二分にぶん” で それをさらに半分にします。
冒頭でおはなししましたように、この二つは昼夜の長さがほぼ同じになる日です。

二至と二分をあわせて、 ”二至にし二分にぶん といいます。


③ 
二至二分それぞれの真ん中に、「季節が立つ(始まる)日」として、立春、立夏、立秋、立冬が決められました。
この4つを四立しりゅうといいます。

この四立と、先ほどの二至二分を合わせた8つの節気を “八節はっせつ” といいます。上図で見ると、線の引かれている節気です。
八節は、「1年のうち、8つの季節の変わり目」であるとされています。

④ そして この八節の間に、それぞれ2つずつ節気が加わって、二十四節気のできあがりです! 



先ほどの図ですと、春夏秋冬もわかりやすいですね。

春の季節 は立春りっしゅんから始まり、雨水うすい啓蟄けいちつ春分しゅんぶん清明せいめい穀雨こくうまでの6つの節気からなります。

春分の日は、まさに春を分ける日。春の真ん中です。
暦の上では春の後半に突入したことになります。

他の季節も同様に、立夏、立秋、立冬から始まり、中間地点で二至にし二分にぶんの1つを迎えます。

昔の人は、こんなふうにして、季節をとらえていたのですね。



 等分の仕方

等分するといっても、どうやって?

二十四節気は現在、国立天文台の観測により、黄道上の太陽の動きを24等分しています。
黄道は(いわずもがな?)、天球上の太陽の通り道。太陽が地球を中心に運行しているように見える大円です。
これは、地球の公転の裏返しであって、実際には、地球が太陽の周りを公転していますので、私は “地球の公転軌道を24等分したもの” と表現する方がわかりやすい気がしているのですが、いかがでしょう...。

いずれにしても、実際にどのように ”等分” しているのか、国立天文台ホームページの図をお借りして見てみます。


左回りで見ます。


基準にしているのは、太陽黄経 0゜の位置にある春分点
図のように、春分点から出発して次に春分点に戻って来るまでの360°を、15°ずつ分割しているのが二十四節気です。

太陽黄経が 0°、15°、30°・・・となる瞬間(を含む日)に、次の節気に移るのです。 
今日、春分の日は、太陽黄経 0°になった日、ということですね。

このように、二十四節気は天体観測によって決まり、その正確な日付と時刻は、毎年、国立天文台が発表しています
1つの節気は約15日となりますが、日にちで決まっているわけではありませんので、年により 多少変動することがあります。

例えば昨年は、「立春」の瞬間を迎えたのが2月3日となり、“立春の前日”と決められている「節分」が2月2日となりました。「節分といえば2月3日」というイメージとは異なる日になりましたので、ずいぶん話題になりました。

そもそも、1年365日を24(節気)で割ると、割り切れませんね。

日にちのズレについては、国立天文台『暦Wiki』で、ちょっと難しい内容の説明がなされています。私には、とても おはなしできません。。



なお、二十四節気では、春分点から315°の「立春」を、1年の はじめとしています。


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七十二候について


七十二候しちじゅうにこうも二十四節気同様、中国で考案されたもの。でもこちらは、日本に渡来してから日本独自に発達した暦です。

日本の気候に合わせてアレンジされたもので、季節の移ろいを知らせてくれる ”自然界からのサイン” だと言われます。



七十二候は、それぞれの節気を さらに3つに分けたものです。

3つは順に「初候しょこう」・「次候じこう」・「末候まっこう」と呼ばれ、気象や動植物の変化を 素敵な言葉であらわしています。

現在の「春分」を3つに分けた七十二候は、
初候:雀始巣 (すずめ はじめてすくう)
次候:桜始開 (さくら はじめてひらく)
末候:雷乃発声 (かみなり すなわちこえをはっす)
です。

末候の「雷乃発声 (かみなり すなわちこえをはっす)」は、秋分の初候「雷乃収声 (かみなり すなわちこえをおさむ)」と対になる候とのこと。
春分の末候と、秋分の初候が対になっているとは、粋なものです。


七十二候も、太陽の運行をもとにした二十四節気を3分割したものですので、年により多少日にちが異なることがあります。

ですから七十二候は、「二十四節気を ‟“ 5日ごとに分けたもの」とされているのです。


私は昨年、こよみだよりで日にちを記すときには、「2021.」と年をいれていました。他の年には、日にちが異なることがあるかもしれませんので。。


秩父神社 御本殿の四面には立派な彫刻が。


雑節

二十四節気、七十二候ときたら、雑節に触れないわけにはいかないと思いましたので、簡単に。
おはなしした二十四節気や七十二候の他、日本人はさらに、季節の変化をつかむために『雑節』をつくりました。雑節は、日本生まれというわけです。

八十八夜、入梅、半夏生、土用、節分などがあります。


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日本人は古来、季節に寄り添いながら暮らしてきました。
これらの こよみ は、農作業や行事の指標となるだけではなく、季節を慈しむ日本人にとって、その“時”を意識する よりどころにもなっていたことでしょう。

時計やカレンダーなどなくたって、流れる時の中で、ぽーん、ぽーんとくさびを打つように、季節を心に刻んでいたのではないかと思っています。




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さて。。やっぱり長くなりました。
最後に、武甲酒造さんの写真を数枚添えて、おしまいにいたします。「武甲正宗」をつくられている酒造です。






最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。



素敵な春の日をお過ごしください。



秩父神社の手水舎





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