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西行が茶目っ気出したら、こんな感じかもしれない

前回に引き続き、WAKA NOVAで寄せられた和歌を激奨する記事です。


今回は、こちらの歌。

陽の光 枯野を歩く 旧友の なびく薄髪 みて草はえる

どこか素晴らしいかというと、ずばり枯野というワードチョイス!

平安の昔より、寂寥感を演出する装置として使われてきた「枯野」。もうこの単語をぶっこむだけで、そこはかとなく日本の「さび」が表現できちゃう。

「陽の光」から始まるので、明るい物語なのかなと読み手にイメージさせておいて、二句目で「枯野」のゼロ距離パンチ。場面暗転。あれ、明るくないの?そこにシルエットが浮かんできます。勝手知ったる友だちの歩く姿。そして、視線はその友だちの頭に自然と向かい、あることに気がつきます。

「あれ、髪薄くなってない?」

それを見て、草生える。心の中でクスッと笑うわけです。

この「草生える」のワードチョイスも脱帽なのです。なぜか。ここでまた、枯野が登場します。「枯野」と「草生える」が縁語的なのです。

「縁語」とは平たくいうと、ある単語とそれからイメージされる状態を一つの歌の中に一緒に詠む和歌技法。例えば、

[縁語の例]
火→もえる、もえ
水→ながれる、ながれ
風→なびく、ふく

のように上の句(5、7、5)に伏線になる単語をおいて、下の句(7、7)で関連ワードを詠みあげて伏線回収するようなものです。これ、けっこう高等テク。でも、多分この詠み手さんは縁語を知らないはず。

ちなみに、枯野というワードは古来から多くの日本人に愛されてきました。有名なのは松尾芭蕉の句「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」。「これは芭蕉の辞世の句かも!」と人々のロマンを掻き立てたのも、「枯野」という単語が盛り込まれていたからでしょう。

そして、この枯野を愛した歌人といえば、平安のインテリ武士、西行も忘れてはなりません。

彼が自費出版した「山家集」という和歌集には、枯野を詠んだ和歌がいくつか記載されています。

・生ひかはる 春の若草 まちわびて 原の枯野に きぎす鳴くなり(32)
・霜かつく かれのの草の さひしきに いつくは人の こころとむらん(508)
・花に置く 露に宿りし 影よりも 枯野の月は あはれなりけり(519)
・秋の色は 枯野ながらも あるものを 世のはかなさや あさぢふの露(767)
・朽ちもせぬ その名ばかりを 留めおきて 枯野の薄 かたみにぞ見る(800)

一番最後、800の和歌は「目の前の枯野に広がるススキに、あなたの朽ちることのない在りし日の面影を見るのです」という意味なのですが、これが冒頭の和歌とどことなく通じる気がします。アンニュイな西行が茶目っ気を出したら、詠みそう。直接的ではなく、「草はえる」と文語的表現でさらっと身を翻しながら。


現代の西行さん、また和歌をお寄せください。


ごちそうさまです。

※辞世の句とは、この世を去る時につくるエンディングメッセージ。古来は和歌、漢詩などがあり、江戸時代から俳句も加わりました


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