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中山太陽堂と資生堂の1920年代 Ⅱ

前回の記事では、1920年代の特徴を一通り挙げてみました。今回は1920年代の資生堂を見ていきます。

1920年代の銀座・資生堂

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御婦人手帳「銀座風景図」より

化粧品業では後発

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矢部季編『資生堂図案集』東京銀座資生堂意匠部、1925

資生堂は、日本初の洋風調剤薬局として開業。少しずつではありましたが、自社製の化粧品も発売していました。資生堂が化粧品業界へ本格的に参入したのは1916年、福原信三の時代になってからです。かの有名な「オイデルミン」で高評価を得ていたものの、あくまで薬局として認知されていたため「クラブ化粧品」や「レート化粧品」のように知名度は高くありませんでした。後発である資生堂は都市富裕層を中心に、他社と異なる高級路線で事業を展開していきます。そして、1922年頃の「銀座資生堂」のコピーのもと、より高級なイメージを形成していきます。

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