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映画「Winny」23/02/27 京都弁護士会主催試写会/トークショー・IT系関係者向け特別試写会によせて

弁護士と技術者の共闘を描いた作品

本作では、法律に疎い青年を取り巻く刑事裁判、そして警官によって暴かれた県警の不正という2つのストーリーが並行して進行する。

技術者の金子勇氏は、善良な市民として捜査に協力したつもりが、自らも不当捜査に嵌められてしまう。
それは私達一般市民にとっても他人事ではない。

トークショーに登壇された弁護士各位は、作中に描かれた裁判のリアリティを絶賛した。
そして、不正な取り調べに対する抵抗ならびに、弁護士の業務や頑張りについて強調された。

今日の技術者に与えた示唆

私が試写会を鑑賞した1週間後、IT技術者である知人から、
インターネット関係の学会内で特別試写会が行われて本作を鑑賞したとの連絡を受けた。
原作本を執筆された壇俊光弁護士や松本優作監督も来られたという。

そこで現役のIT技術者から寄せられた感想を、本稿でも紹介したいと思う。

技術者のコミュニティとして、技術を追い求めることを恐れてはならず、そんなコミュニティの中で檀弁護士は心強い存在であると、本作を鑑賞して思ったという。
そして、コミュニティや社会として助け合っていきたいと感じたとのことだった。

学会参加者の中には、生前の金子氏を知る人物も多かったそうである。
そういった中で、
実際の金子氏は作中で描かれたような天才奇人的な人物ではなく、大人しい好青年であったこと、
作中では多少の演出方面はあったものの、リアリティを追求した映画であったことが語られた。

映画作中では、三浦貴大演じる檀弁護士が「ナイフで人を刺したとして、そのナイフを作った人が逮捕される訳はないだろう」という比喩を述べている。
しかし、金子勇氏を取り巻く裁判では、その「ナイフを作った人が逮捕」されるシナリオが当初描かれていた。
これは技術者に対する脅威にほかならず、技術の発展を妨げる風潮となったことは間違いない。

本試写会に参加した技術者が、技術を追い求めることを恐れないように感じ、檀弁護士という拠り所を再確認したことにも、本作は強い意義を持っていたと言えるだろう。

作中に描かれた「あの頃」へ思いを馳せる 

ところで私は、この物語に描かれた時代をリアルタイムに知っている。せっかくなので、本稿ではそこにも触れてみたい。

匿名という性質の変化

かつて2ちゃんねるという掲示場は、どこかアンダーグラウンドな匂いを漂わせた匿名地帯だった。twitterやfacebookどころか、mixiすらあったかどうかという時代のことだ。

2ちゃんねるでは、名前欄を空白にして書き込むと、「名無しさん」というような名前が付与された状態で書き込みが表示される。
強い口調や、誹謗中傷がなかったわけではない。
しかし、SNSほど自らの情報を明らかにしない交流が主であり、自他境界線がほどよく曖昧なその空間には、ある種の結束感と、心地よさがあったのも事実だ。

予告編や作中では、以下のようなシーンが描かれた。
2chの有志が金子氏に対するカンパを入金する際に、振込名義欄に金子氏へのメッセージを入力し、
メッセージの並んだ通帳を、面会に訪れた檀弁護士が、アクリル板越し、拘留中の金子氏へ見せる。

私はそのシーンに涙した。
あの一体感は、今日のSNSでは感じ難いもので、ある種のノスタルジーがあった。

暗黒時代「Winny全盛期」が作った今日の礎

Winnyの流行が社会現象化していたのは、ちょうど2000年代前半頃だった。我が家にインターネットが引かれたのは2000年の正月明けだったが、既に私は、この文化を知る者であり、当事者であった。

昨今の倫理観でいうと、映画や音楽、ゲームを無断ダウンロードしまくる行為は極悪非道であるが、あの頃は「そういう時代」だったとしか言いようがない。
コンビニでも書店でも、違法ダウンロードの指南書が堂々と並べられていた。タダで入手できるのに、金を払うのは愚かだとばかりに。
現在では、文化人として一目置かれ、官公庁のプロジェクトに携わっているような人物でさえ、当時はそんな指南書を執筆していたのである。

作中で、Winnyを用いてファイルを共有して逮捕された青年は「こんなの皆やっている!」と主張していた。まさしく、その言葉が現実だった。
スクリーン越しにそれを見た私は、今日の倫理観を以て、当時の様子にグロテスクさを感じた。

作中では金子氏の、著作権の壁に風穴が開けられ、新しいシステムが制定されるべきである旨の書き込みが取り上げられた。

今2023年に生きる私達は、サブスクリプション制で定額料金を支払うことによってたくさんの音楽や映像にアクセスできるようになった。
YouTubeや各種アプリでは、広告を見るかわりに、合法的に無料のコンテンツを楽しめるようになった。

これはまさしく、金子氏の述べた新しい著作権時代の到来だと言えるのではなかろうか。

人々がサブスクリプション料金を支払うようになり、権利者が広告収入を見込んで無料でコンテンツを公開するようになった今日の礎には、
前述したWinny全盛期という暗黒時代が不可欠だったのではと、私は肌感覚に感じる。

本作に寄せる東出の想い

端的に見れば、本作には「警察の不正に対する批判」というテーマが込められているように見えるが、
主演東出は、京都弁護士会館のトークショーの最後に以下のような締めくくりを述べた。

東出個人の主張として、物事は一つのことでも、どこから見るかによって多角的な物の見え方をすると考えている。
本作は金子氏や弁護団から見た物語であり、警察や検察から見ると、見え方が変わるかもしれない。
その見え方が変わっても、善悪の一言では解決できない。だから人間は奥行きがあって面白い。
このWinnyという作品を、一つの角度から見た物語ではあるが、様々な人々の想いが交錯して裁判などは成り立っている、と考えるきっかけにしてほしい。

23/02/27 京都弁護士会主催試写会/トークショーでのコメント
(筆録によるため、原文とは異なる可能性があります)

私個人の感想として、この作品を、盲目的に「よかった」「面白かった」と支持することには違和感を感じる。
インターネットや技術に触れる一当事者として、そして、報じられる様々な出来事を見る立場として、本作に向き合っていくことができればと考えている。

余談ではあるが、私個人の役者に対する思いとして、
演技以外の部分や、アンオフィシャルな部分をメタ的に通して作品を捉えることは、役者という職に対する冒涜であると考えている。
しかし、最後に述べられた東出の言葉は、ここ数年、有象無象から様々な言葉を投げつけられた彼の発言として、非常に重く感じられた。
心無い言葉を安易に投げる昨今の「名無しさん」たちにも、こういった考えが届いていくことを願いたい。

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