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寂しさの人の話

War is over。
ピースマークが描かれた旗を振って何も生み出さない争いに疲れた人々は喜びを分かち合う。
残った戦死者は判別がつかず、各国から参加していた前線の兵士は、ゼログラウンドの中心の一点に吸い込まれ、遺品も痕跡も、地面ごと球形に、軒並み呑まれてしまった。過去に例を見ないMIAの数だ。

今なお滞空しているゼログラウンドの「点」。今はまだ帰らない人を弔い、終結した争いに安堵の睡眠を与え、途方もない緊張から解かれた喜びを噛みしめるだけでいい。
いずれ調査が行われ、市井に情報がおよび、不気味に佇む点に抱いた畏怖が大きくなるまでは、せめて失った痛みと束の間の休息に身を浸してほしいのだ。

私は、点の中にいる。厳密には「私たちは点になった」。
一人ひとりは相変わらず保たれているが、その処理機能、記憶、エネルギーを共有している。
私は私としてありながら、他者の気持ちや記憶も自分のもののようにわかる。
今までわからなかった、知らなかったことがわかる。
巡らせた思索は光のようで、従来の単一のことにフォーカスするのとは異なり、深く広く、複数の事象に思いを巡らせることができる。
球状にシームレスにつながる面が、既存の分野や領域の垣根を超えながら、次々に繋がって、人の形ではたどり着けなかった真理の数々に出会った。
重力に事象の地平面の向こう側の世界の様子、これから起こることにも。

人間の瞬きよりも早く、そのすべてがわかってしまった。しかし、それでもわからないことが残っている。
まもなく、個々の自我の境界はなくなって、単一の存在になる。優に一都市分の人口がここに集まっているにもかかわらず、私は孤独を感じている。
既に始まった融合によって生じた「彼」が私を理解できないと思っているのが伝わってくる。溶けて一つになったにもかかわらず、彼は私が抱くビジョンに価値を見出せないらしい。

一つになって史上比類のない処理機能をもっても理解されなかったのだ。理解できなかった彼は、その確実な処理能力をもって一回で判断が下せていたにもかかわらず、このビジョンに関しては何度も検証を試みていた。外界での1秒が数年に匹敵するここで、気の遠くなるほどの時間をかけて彼は意味を見つけようとしていた。
(数年分の処理を行ってはいるが、体感としては外界と同じなのだ。つまり数秒で人間であれば数十年分かかる処理を同じだけの時間で行い、理解・把握し、記憶しているのだ。)

あまりにも抽象的で、既知の方法で形容することができないビジョン。確実な価値を秘めていたと思っていたビジョンたちが、ずいぶん形が変わったが、報われると思っていた。しかしそれはとうとう果たされなかったのだ。
他者のクオリアを我が物として扱えるここでさえ捉えることができないのなら、いったい外の人間たちに理解できるものがいるだろうか。

「神」になってさえ理解されない、一人の寂しさ。
4次元時空の中の一個人の頭に生じた3次元的な映像達すら理解されないのはなぜなのだろうか。

色々な思いが伝わってくる。
「してはならない」「宇宙も融合して、さらなる「拡張」を行うべきだ」「孫だけは守ってくれ」「こんな存在あってはならないんだ」「どうせならメチャクチャにして終わってやる」。
境界の消滅によって力を増しつつある「彼」が「拡張」を決定したのだ。
しかし不思議と腑に落ちていた私は、融合された瞬間にそれを知ってからどこかそれを望んでいたのかもしれない。「世界の終末に立ち会う」ということに。

わからない。
複雑な感情に流され、自分の感情が失われ始めたのがわかる。もうじき私は彼の一部になる。
神になってさえ理解されなかったという孤独に溺れ、「それでも」と説くために口を開き、呑まれる苦しさに成す術が見つからない。
気泡になって消えていくような、何か忘れていたものを思い出しそうな感覚になる。
あったはずのものが溶けてなくなっていく感覚に後悔と諦めと恐怖を抱き、ついに無に帰す。

「神にさえ望まれなかった、寂しさの人」の話。

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