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【エッセイ】立ちはだかる問題が文明や技術を形作る

最近買った素粒子本を読んでるんですけど、その中でケプラー始め西洋人が原理や法則を導き出せた理由を著者が推測してたんですよ。

東洋では八百万の神々に見られる様な混沌を根本とし、「端的で唯一の何か」は(象徴として)存在しないとされる。

他方西洋では「唯一神を崇める宗教観」が、神的なシンプルさから逸脱する様々な実験結果から完璧な根本を証明する為に「非神的な歪さ」を削らせたのだと。

それ自体私も納得するところがあって、結論「環境が強いる問題が志向を作って、技術・文明の行末を決めるのだ」と。

経験談でもありますが、答えが出なさそうなものを考え続けて、あるとき閃く。

でもその発想は確証がなくて押されて倒れる様な強度なわけです。

しかし何がそうさせるかはわかりませんが、「それでも信じたい(賭けたい・寄っかかりたい・酔っ払いたい)と思った」から、「価値あるものを思い至った事が運命だったのだ」と決めつける事にして、これを根拠に進む訳です。

そしてこの繰り返しこそが「選択時の優先順位や方向性としてベクトル量として志向になった」のだと思ったのです。

その実「その直感は間違ってなくて、後々正しかった」とされるケースは世の中にはごまんと存在してて、(私が知らないだけかもしれませんが、)きっとこの感覚は普遍的なものなんです。

ある種のコンコルド効果でもあるでしょう、「これだけ考えてきたんだから他にあるわけがない」という思いと渇望に応えられた高揚感。

これらが冷静さを欠かせているのかもですが、それは宗教でも同じじゃないかと。

とまあ窓意的な持論ですが、結果論の一つとして間違ってないかもしれないですよね?

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