ZHENJI

ネオン眩しい都会から、月の青い光が道を照らす小さな町へ越してきました。ここでは土星も肉…

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ネオン眩しい都会から、月の青い光が道を照らす小さな町へ越してきました。ここでは土星も肉眼で見えるのです。

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2023年12月28日

表からトラックの停まる音と缶と瓶のぶつかり合う音が聞こえて、しまったと思い目が覚めた。 時計を見ると朝8時。一度、6時に目覚めた記憶がある。心地よい二度寝のループは、年内最後の資源ごみの収集を逃した落胆によってくだかれ、渋々私は寝床を出た。 父の3回目の命日だが、仏壇のガーベラの花びらがしなびていた。 米を炊く前に買い物に出かけ、帰宅してすぐに雪かきをした。生前の父は冬になると趣味のようにして雪かきをしていたから、これもきっと供養になると言い訳をして、買ってきたばかりの黄

    • 異世界転生してチートスキルをもらって活躍するのもいいけれど、モンスターを倒すより、いまこの世間を生き抜く方がやりがいあるんじゃないかって。今私が持ってるスキル『無視と悪口のスルースキル』。足りないものは『自己プロデュース力』がんばろ。

      • 母が死んでもうすぐ

        母が死んでもうすぐ一か月になる。 死んでから、こんなに会いたくて仕方なくなるなんて思わなかった。 母がこの世のどこにもいないという現実が受け入れられない。 火葬場で見た骨も、ただの物体だったように思う。 声が、どうしても思い出せない。 そういうものかもしれない、とは、頭では理解していても。 *** 母の病が見つかったのは、2022年6月。 初期の胃癌の手術の「ついで」に他の臓器も検査しましょうと言われて、末期の胆嚢癌が見つかった。ステージ4ですでに手遅れだった。 気丈

        • 夜とステーキ

          母が胃癌の宣告を受けて帰ってきた。 私はそれを、離れた場所にいて電話口で聞いた。幸いなことに初期の初期で、癌になりきる前の赤ちゃんみたいなものだって、というのんきな声を、呆然としたようなほっとしたような、複雑な気持ちで聞いているしかなかった。 このタイミングで来ちゃうのかあ。その夜は眠れなかった。 転職のために母と離れて暮らす決断をして、車で2時間弱、離れた場所にひとり越してきてから、わずか、たったの2か月だったからだ。転職そのものは私が生きるためにはどうしても必要だった

        2023年12月28日

        • 異世界転生してチートスキルをもらって活躍するのもいいけれど、モンスターを倒すより、いまこの世間を生き抜く方がやりがいあるんじゃないかって。今私が持ってるスキル『無視と悪口のスルースキル』。足りないものは『自己プロデュース力』がんばろ。

        • 母が死んでもうすぐ

        • 夜とステーキ

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        • 小説
          6本
        • 創作
          6本

        記事

          ココ、わたしもう一度

          林檎を剥いているうちに、ガス火にかけた薬缶がシュンシュンと湯気をたてはじめた。紅茶のティーパックに熱いお湯を注ぎこむと、アールグレイの香りがキッチンいっぱいにぶわっと立ち上がる。白い湯気が、冬の朝を先取りしているような気分で、沈んだ気持ちが穏やかになる。11月。もうじきこの町にも雪が降るだろう。 この町へ越してきてから、ずっと規則正しい生活をしている。 朝起きて、冷たい水で顔を洗い、ご飯を食べて仕事へ行く。夜は7時には帰宅する。夜ご飯を食べて、湯船にあたたかいお湯を張って

          ココ、わたしもう一度

          二度と言えない”おはよう”だけ抱えて

          時間が経つにつれて、あなたの死がじわじわとわたしを蝕んでいる。 ああ、もういないのか、と思うことが増えた。朝目覚めると、心臓と背中のすきまあたりに大きな悲しみのカタマリのようなものがずっしりと詰まっていて、起き上がれない。いつも涙がこぼれる寸前のように胸の痛みが消えない。以前はへいちゃらで乗り越えられた日々の小さな衝突が、今ではいちいち大事故だ。好きだった音楽も、わたしの気持ちを晴らさない。 そういえば、年の近い人を見送ったことがわたしにはなかったのだ。だとしたら、これは

          二度と言えない”おはよう”だけ抱えて

          いまごろどこで

          10月、同僚が死んだ。 夕刻、胸をおさえて倒れた。それきりだったらしい。 *** その同僚とはフロアが違うから、私はその場にいなかった。救急車の音もまるで耳には入ってこなかった。しばらくして後輩のSが泣きながら駆け込んできて、Kさんの心臓が止まって運ばれた、と教えてくれた。いやいや、と思った。いやいやまさか、そんな大袈裟な。 彼とは2つ違いで、彼の方が年上で、転職してきた私に比べて職歴も彼の方が数年長かった。癖の強い社風のいろはを聞くうちに、彼と私は仲良くなった。嫌い

          いまごろどこで

          死は人にとって唯一確実に約束されたことだけれど、さよならが今日だとは思わなかった。あなたの死に顔を、私はこれから先、何度も思い出すだろう。あなたの人生、毎日のごはんはおいしかったですか。嬉しい出来事が、一日に一度はありましたか。豊かな人生だったなら、それでいいんです。

          死は人にとって唯一確実に約束されたことだけれど、さよならが今日だとは思わなかった。あなたの死に顔を、私はこれから先、何度も思い出すだろう。あなたの人生、毎日のごはんはおいしかったですか。嬉しい出来事が、一日に一度はありましたか。豊かな人生だったなら、それでいいんです。

          寿都と神恵内の決断に。ふるさとの海を想う週末

          北海道後志管内寿都町、および、神恵内村が、いわゆる「核のごみ」最終処分場選定のための文献調査応募に踏み切った。 私の生まれ故郷は、近隣市町村のうちに含まれる。 言ってしまえば、あの辺一帯、ふるさとだ。 *** 連続ドラマの「チェルノブイリ」を観たばかりだ。 放射能は、人の眼には見えない悪魔として描かれた。 事故のすぐ傍にいた人は、あっというまに体調を崩して吐き、倒れた。しかし目には見えないから、空気中を舞う放射性物質を含んだ塵の中でも人々は生活し、子どもたちは遊び続け

          寿都と神恵内の決断に。ふるさとの海を想う週末

          遊ぶみたいに生きたって

          ここのところ、23時には眠くなってしまうので困っている。 21時に帰宅し、お風呂に入って食事をしながら母とお喋りをしていると、もう23時になってしまう。(母が眠るのを見届けて、さあ、とパソコンの前に座るなり、目がしょぼしょぼとしはじめるのです。) 少しだけ贅沢をしたくて買った、ロクシタンのネイルオイルを爪先にもみこんで、困ったなあ、と独りごちる。 肌寒い秋の夜、たっぷりの毛糸で編まれたふかふかのカーディガンにくるまって、あたたかい寝床を仕上げて、努力を放棄する甘い背徳感

          遊ぶみたいに生きたって

          WORKSONG/あの9月のこと

          『何度回されても、針は極北を示す』 演劇集団キャラメルボックスの成井豊氏が、いつかのファンブックで座右の銘に掲げていた言葉である。 当時、私は高校生だった。この言葉が好きだった。生まれた場所や環境や、お金だとか、高校生の自分の努力では到底ひっくりかえせない現実を前に、たとえ遠回りをしたとしても、自分の信念は絶対に自分を裏切らないのだと、そう背中を押されるような気がしたから。 あれは2001年初秋のこと。 その前年に発売された、綾戸千恵『LOVE』というアルバムの「Wor

          WORKSONG/あの9月のこと

          おつかれさまです。わたしはあたたかい部屋にいます。

          一週間ほど、パソコンをひらかずに過ごしていました。 引越しでくたくたに疲れはてていました。繁忙期をむかえつつある仕事はジェットコースターのように問題がふりかかって来て、ひとつも解決しないまま課題は山積みとなり、後輩とふたり悲鳴をあげながら一日を終える毎日。なんとなく、喉がひりついて、例のアイツにかかってしまったんじゃないかと、内心ヒヤヒヤもしたし(無症状というやつだったらどうしよう。検査に行くべきかしら)。 風呂に入って夕食を終える頃には、既に0時をまわっているのが最近の

          おつかれさまです。わたしはあたたかい部屋にいます。

          とりとめのない宝物たちと10年の時を

          またも引越し準備の話。 いま部屋の隅に、とりとめのないものたちの山ができている。 瓶の中に7錠だけ残ったサプリメントや、ずいぶん昔に買った練り香水、インクが微妙に残っている蛍光ペン、冬の間使っていたけれど夏になって使わなくなったハンドクリームもそうだし、製図試験の時に大量購入した消しゴムとシャープペンシルの山、はぐれの文庫本や、ずっと昔に使っていたシオさんとおそろいのケースのiPhoneだとか、親友が妊娠したと聞いて準備したけれども、結局、送ることが叶わなかった出産祝いの

          とりとめのない宝物たちと10年の時を

          築40年マンションに引越す話(おもに本の話)

          引越し準備を進めている。 引越しの荷造りは、深く考えすぎてはいけない。 過去数回の引越し経験から―――というよりもむしろ、前回の引越し屋さんの手際のよさから、学んだことである。考えるのは、いかに運びやすく、手早く、箱数少なく、コンパクトに段ボールに詰めるかということだけ。 押入れの奥深くから、仕舞いこんだ引出しの奥の奥から、失くしたと思っていた宝物が見つかるのが、いわば引越し準備の醍醐味の一つではある。 が、ひとつひとつの思い出にひたってはいけないのである。 断じて。

          築40年マンションに引越す話(おもに本の話)

          ある晴れた朝、目を覚まし、ティファニーで

          残業終わり。深夜営業のスーパーで買った、半額シールの貼られた筋子おにぎりをむしゃむしゃ食べながら帰路につく22時。ふと、ネットで見かけて突き刺さった一文が頭をよぎる。 「今の努力の延長線上に、劇的な変化は訪れない」 ああ、もう。そんなことはわかってる。 *** 子供のころは小説家になりたかった。 自分の想像の世界が、自分にしか見えていないことが寂しくもどかしかったからだ。絵でも文章でも、自分が見ている世界を自由に誰かに伝えられたら、どんなに素敵だろうかと思っていた。

          ある晴れた朝、目を覚まし、ティファニーで

          築40年マンションを買う話(進行中)

          先日、築40年マンションを買おうとしている話を投稿して、およそ3週間。あれよあれよという間に、住宅ローンの審査が無事に通った。 マンションを買う、という、人生で大きめの決断をするのに、熟慮したかと問われれば案外そうでもない。完全に勢いだった。それは認める。 そして職業柄、やはり購入するマンションが「旧耐震」であることに引っ掛かりがあり、職場にはまだカミングアウトしていない。絶対に何か言われるだろうな。 しかし、私はこれぽっちも後悔していないのだ。 今より家賃は安くなる具

          築40年マンションを買う話(進行中)