見出し画像

種子の鞄(駅舎にて#3)


「へえ、ここが」
声と同時にジバンシイの香りがして、振り向くとAshleyだった。たったいまの電車で着いたらしい。一両編成の粗末な電車から降り立った青年は、ここには不釣り合いなほど立派なジャケットを羽織っていた。
「一張羅です。仕立てたんです、ここへ来るために」
そう言って照れくさそうに笑う彼は、私の知る彼とはどこか少し違っている。君はもう死んだのか、と問うと、「はい」と言う。どうやって、と重ねて問うと、「それは、まだ」。

種を送ってほしい、と頼んだのは私の方だ。いま、私の新しい家の前には花壇がある。黒く栄養価の高そうな土が用意されていて、私の心は沸き立った。ここで何を育てよう。そうだ、花がいい。色とりどりの、たくさんの人の目を喜ばせる、しかし咲き誇った以上は潔く枯れゆく運命の、花々を。

「随分ご無沙汰でしたから、顔を見たくて」
それで手を挙げて、ジャケットを準備し、種子の鞄を手にここへやって来たという。
「死んだから、いまは自由なんです」
そうだった、と私は頷く。彼らは自分の役目を終えると、子供たちが活躍できないからという理由だけで勝手に死んでいった。今目の前にいる青年の、両親も祖父母もだ。ということは、彼も同じようにしたのだろう。
今で何年になるのかと問うと、「195年ほど経ちました」と彼は淀みなく答えた。聞けば、今は彼の傍系にあたる娘が医者として疫病と戦っている最中だという。国難は、もうじき去るらしい。

***

夕方の電車で、彼は帰って行った。人の気配の無い駅のホームでは、いよいよ春の強風が吹きはじめた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?