父娘準強制性交無罪判決と近親相姦について

こんにちは、着太郎です。

愛知県の父娘準強制性交無罪判決は一般市民の感覚としては違和感が強く、一児の父としても色々考えさせられます。

これに関連して Twitter で佐原チハルさんの note の記事をお見かけして、視点としては面白かったのですが、少し違和感がありましたので、当該判決に関する一般的な反応への違和感と併せて少しまとめてみようと思いました。

判決とネットでの反応

毎日新聞の4月4日の記事などによると以下のような判決が言い渡されたそうで、はてなブックマークのコメントYahoo!ニュースのコメントを見てもその判決に対して沢山の疑問の声が上がっていることが分かります。

2017年に愛知県内で抵抗できない状態の実の娘(当時19歳)と性交したとして準強制性交等罪に問われた男性被告に、名古屋地裁岡崎支部が「被害者が抵抗不能な状態だったと認定することはできない」として無罪判決(求刑懲役10年)を言い渡していたことが4日、分かった。判決は3月26日付。

議論すること自体が本当に不当か

佐原さんは以下の記事で「この話を議論することは、それ自体が不当だからやめるべき」と述べられています。どういうことか論点を確認してみましょう。

目次を見ると以下の3つの論点があります。順番に見ていきましょう

1、子どもの同意や積極的意思があったか否かは関係ない
2、親とのセックスに同意する・積極的に求めてしまう子は、いるかもしれない。
3、洗脳や脅迫によってその状況を選ばなければならなかった子にも、排除の言葉は響いてしまう

まず1つ目では「親側の問題の話なのに、子どもの意思や、子どもの意思に基づく「自己決定権」の話にすり替えてはダメ」というのが根拠として述べられています。
一般的な反応でもこの辺りを指摘する人を多く見かけますが、少し冷静に考えてみると、裁判の判決とは裁判官が「はい、お前むかつくから死刑」などと胸先三寸で決めるものではなく、事前に定められた法律に基づいて判断されるはずのものではないでしょうか。

裁判所は親の規範を律する機関ではないはずですので、ここは根拠となる法律や判例とのバランスを確認すべき所だと思うのですが、皆さんどうしても判決のインパクトで社会正義に走ってしまい、判断すべき根拠を見誤っているように感じます。

重要なことは、どのような罪をどのような法律と基準に基づいて判断したのか、ということであり、法の支配という原則と、法曹界での実際の運用状況を把握することが大事だと思います。

今回の判決に関する法律は以下の記事などを参考にするといいかもしれません。

自分も十分整理し切れていないので、引き続き情報収集に努めたいと思います。

議論を深めるよりも子どもの安全が大事か

次に、2つ目と3つ目では「「異常」「いるわけない」というのは、強力な排除の言葉」であり、近親相姦を自ら求める子どももいるだろうから「相談や介入のチャンスを、道のりを残せる形でそれをして欲しい」「「異常だ」「いるわけない」という言葉は、それには当てはまらない可能性が高いのではないか」というのが根拠として述べられています。

性的被害者の子どもや近親相姦による社会的困難を抱えた子ども達を慮る気持ちはとても大事だと思いますが、一般的な社会規範として近親相姦は日本の近代史的にも禁忌とされているかと思いますし、社会通念を否定し、これを持って議論すべきでない、とするのはやや暴論である印象が拭えません。
「全ての子どもたちのおかれた環境をより安心・安全なものにしていくこと」は必要だと思いますが、そのためにも「議論を深めること」はとても大事なことだと思います。

ご自身で「議論の場の設定、文脈、発信の方法やその表現方法を、少し気をつけたい」と述べられていますし、議論そのものを否定するものではないと推察しますが、ご自身が述べられているとおり「慎重さ」は多くの親が持つべきものなのだろうなと思います。

近親相姦はなぜ禁忌なのか

そもそもなぜ近親相姦は禁忌なのでしょうか。光浦晋三の「近親相姦はなぜいけない?意外と説明できないタブーの正体」(ブコメ)という記事を読むと生物学的理由や社会学的理由が挙げられていますが、いまいちはっきりしません。

「幼少時から一緒に育った男女は、成人してもその相手と性交したがらない」という「ウェスターマーク効果」が説明として受け入れやすいでしょうか。これが正しいとすると、一般的な感覚として普遍性が高いことになるので、この感覚を否定するのは筋が悪いように思います。

歴史的には、 Wikipedia の「近親相姦#日本」の項目を見ると927年に既に「国つ罪として母及び子との近親相姦が禁止」されているようです。
19世紀初頭の記録では「許嫁がいる衣服商の娘が兄と通じたとして兄妹もろとも磔で処刑された」事例もあるようで、いかに社会的に受け入れがたいことだったのかが分かります。

終わりに

子どもを思う気持ちはとても大事ですが、その気持ちは子どもに不利益を生じさせないために発揮することが好ましく、今回のような感情的に違和感を生じさせる事象に対しては、正しい知識と冷静な態度を持ってあたらないといけないものだと強く感じました。

今後子どもが大きくなるにつれて、より複雑な社会や人間の問題と向き合っていく必要が出てくると思うので、日頃から様々なことを少しずつ積み上げていきたいと思います。

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