なぜTwitterで議論は成り立たないか?殲滅戦から消耗戦へ

Twitter、それは痛みを意味する。あらゆる者たちが憎悪の感情むき出しに、動物的快不快をもとに言論を行い、敵対勢力をさながらプロイセン/ドイツの殲滅戦理論のように完膚なきまで粉砕根絶することを目的とする。引用リツイートは要領を得ないイチャモンか、はたまた道徳心を失ったかのような暴言ばかり。もはやTwitterに理性はない。第二次世界大戦独ソ戦のイデオロギー戦争のようなものだ。正気の人間から消え去っていく。狂気の中で生きるには狂気にならざるを得ないのだ。

Twitterが憎悪育成機構とも呼べるプラットフォームなのは数々の理由がある。ユーザー層の問題からプラットフォームの問題まで。ここではいくつか(全てではない)紹介したい。


まず大前提として、「議論」……健全な議論とは、新たなあるいは異なる提示された意見を出発点として、より正しい共有の結論を見出そうとする言葉の往復である。健全な議論をするために は、(1)一定の共通認識、(2)議論すべき異なる見解、(3)相手に対する信頼と敬意、(4)共通の結論を見つけようという意思、が必要である。これがあって初めてよい議論は成り立つのである。

ではTwitterにはこれらの要素はあるだろうか?まず、(1)の「一定の共通認識」、この時点で怪しい。先に例えた独ソ戦のドイツ(ファシズム)とソ連(スターリン共産主義)はもはやなにからなにまで違うが、これと同様にTwitterの議論において共通認識があったことはほぼない。「理想」を語るならば、議論や論理には、好き嫌いや個人の考え・立場とは関係なく客観的法則があるので、それらの客観的法則を根拠に対話すべきだ、といえる。しかし、憎悪と自意識が肥大化したツイッタラーにはこれらは欠けている。

(2)の「議論すべき異なる見解」に関しては、これはTwitterには存在する。それも超大量に。後述するが、この超大量に、というのが問題の解決を著しく困難にしている。

(3)の「相手に対する信頼と敬意」……これは懸命な諸君らにわざわざ説明するのが恥ずかしいくらいだが、こんなものはTwitterに存在しない。議論の相手は「この世から根絶すべき劣等種(ウンターメンシュ)」並の存在としかツイッタラーは考えてない。そもそもTwitterの議論において右翼/左翼、フェミニスト/アンチフェミニスト、これらは一種の例だがつまり対立する各層が穏健な口調でリプライ/引用リツイートを見ること自体が非常に稀である。彼らは相手を小馬鹿にし、まるでロシア帝国で青年知識人層(インテリゲンツィア)がヴ=ナロード(人民のなかへ)を掲げ、農村共同体(ミール)に赴いたものの、無学文盲の保守的農民に彼らの志が受け入れられなかったことから、農民たちに失望軽蔑し、ニヒリズムに堕落したかのような態度なのだ。


最後の(4)「共通の結論を見つけようという意思」だが、これもTwitterにはない。繰り返すが、Twitterにおける議論とは相手を殲滅根絶することを意図したものであり、相手の改心を望むどころか、それより更に高度な「共通の結論」を所望するだろうか?そもそもの話だが、Twitterにおける議論の開始は「気に入らない意見を見た」程度で始まるのが常であり、気に入らない意見を粉砕する以上の戦争計画はないのである。せいぜい激しい殲滅戦の結果相手がしおらしく無条件降伏を認めれば、「寛大な心」で許してやる、くらいのものだろう。

加えて議論では以下のような心がけも重要だ。自分の論理が成り立たないときに、自分の論理・判断の敗北を認め取り下げるのである。この場合、論理の誤りを認め取り下げることは、単に論理の敗北であって、相手に対する人格的屈服や非難を意味しな い。一方、論理が破綻しても撤回せず、強引な言動を続けることは容認されるべきでない。強引に続ければ、議論と対話を破壊することであり、不公正な人物として人格的社会的評価を下げるのだ。これが健全な議論のあり方である。誤りがあった場合は、自分の誤りを認めて撤回することだけが正当な対応である。このような議論は健全に行えば、敵対、非難、攻撃など 人格的対決にはならず、楽しく議論できる。友好関係は損なわれずむしろ強まるのである……Twitterに私含めてこんな人格者がいればだが。

さて、次はTwitterというプラットフォームの問題に移りたい。この件に関しては私のフォロワーさんははてなブログの記事で社会的コミュニケーション論の立場から考察を行ったのを覚えているかもしれない。その件に関してははてなブログを参照してもらうとして、それ以外のことを解説したい。

Twitterというプラットフォームの問題は──先述した(2)の「議論すべき異なる見解」につながるが──議論に関して異なる見解がありすぎる点だ。具体例がフェミニストの「 一人一派」である。これは一人ひとりのフェミニストが各々の思想を持ち、それを元に行動するというものである。私はフェミニズムに詳しくないのでこのスタンスの政治的な判断への言及は避けるが、Twitterの議論というこの記事の次元においては大変厄介な支障をきたす。これらの考えは個々の思想の指向性があらゆる方向へ志向し、集団内で矛盾も誤謬も詭弁も黙認されるという事態が起きる。要するに「議論すべき異なる見解」の異なる見解が論理上人間の数だけ存在する。ここではフェミニストを例に出したが、これは男性オタクも右翼も左翼も同じである。彼らは統率された集団ではない。各集団内のアルファツイッタラーという忌まわしきご意見番にして扇動者、オピニオンリーダーが存在し、彼らのクラスタという名の準拠集団内ではある程度の意見の統一は見られるかもしれない。しかし、これらのクラスタも無数に存在するのだ。「アンチフェミニズムの男性」で連帯しようと思っても彼らはマクロなところでは志を同じにしているかもしれないが、ミクロな次元では対立・矛盾の状態である。新左翼が安保闘争で「安保反対」で結束しても内部の考えの差異で崩壊し、細分化されたようなものだ。
これらの意見の多様性はどこが問題なのだろうか?第二次世界大戦のドイツ軍は電撃戦(ブリッツクリーク)は第二次世界大戦初期のドイツ軍の成功例だが、この電撃戦は敵部隊の弱点を圧倒的なスピードを持つ航空部隊と装甲部隊(戦車部隊及び機械化歩兵部隊)で攻撃し、敵に対処の時間を与えないことに真髄があった。いつの時代も重要なのは敵の弱点を突くことだ。これはTwitterの議論においても当てはまる。繰り返すようにTwitterの議論は実質的に共通の結論を見つけるための議論ではなく、論敵を叩き潰すためにある。この際に合理的なツイッタラーは誰を攻撃するだろうか?取り巻きに強固に守られた唾棄すべき哀れな教祖共のアルファツイッタラー?弁の立つインテリ?いや違う。あまり頭がよくなさそうな、感情的で、幼稚な善悪感情で動く知識の薄い私のようなアホを狙うのである。(実際、私はアホなのでよく攻撃される。頑張って生きてるからやめてほしいです……)このため、議論は常に意見の多様性の中で最も強度が弱い私のような者を狙うことになる。実際、ドイツ軍が実戦で効果を証明したのだからこれはバトルプルーフされた非常にエフェクティブな戦術だ。そしてこの有用な戦術は論敵を掃滅するために行われるTwitterの議論において盛んに使用され、効果を上げてきた。これらの例はいたるところで見ることができる。何度も繰り返すが、右翼と左翼の戦い、フェミニストとアンチフェミニストの戦いなどの川中島の戦い並に頻回……というか毎日行われてる戦いを試しに見てみると良い。

しかし、ここで私が述べてきたことことももはや古くなっている。今やTwitterの戦いは終わりの見えない消耗戦の要素を持つ。消耗戦とは、敵の人員、物資、士気の継続的な損失を試みて敵を崩壊点まで消耗させることにより戦いに勝利しようとする軍事戦略だ。第一次世界大戦、ドイツ帝国軍のファルケンハインはフランス軍のヴェルダン要塞陣地の攻撃を計画。彼の考えはこうだ。フランス軍を正攻法で屈服させられないならば、フランス軍にひたすら損害を与え続け、敵の士気をくじくしかない。そのためには我がドイツ軍の部隊を損害を顧みずにひたすら攻撃させる。もちろん大損害を出すだろう。ドイツとフランス、どちらが損害に耐えられなくなるかの我慢比べだ。この戦い(ヴェルダンの戦い)は人類史に残る非常に凄惨な戦いだった。十ヶ月間の戦いで独仏合計70万人以上の若者の命が失われた。更に緑十字( Grünkreuz )ガス弾という化学兵器も集中投入され、これはクロルピクリン、ホスゲン、ジホスゲンからなる強力な化学兵器で、吸入すると
呼吸器粘膜上で加水分解されて発生する塩酸が肺胞に作用して肺水腫を起こ
す。暴露した兵士は殆どの場合短時間で死亡した。
Twitterも現在、この血肉を削る消耗戦なのだ。論敵を殲滅するための議論(戦争)は長年続いたが、一向に戦果は上がらない。有名アルファツイッタラーのアカ削除は定期的に大ニュースとなるがそれくらいだ。(もちろん無名の私のような層は頻繁に消えたりしているがもちろん話題には登らない。)そうなれば、議論相手の弱点をひたすら襲撃するしかない。もちろん敵から反撃が来るが、持てる時間の限りそれを繰り返し、こちらも傷だらけになるが相手も傷だらけになり、根負けするのを狙うしかないのだ──消耗戦である。

Twitter、それは痛みを意味する。延々と続く消耗戦の果てに一体なにがあるのだろうか?身体と精神に無数の裂傷を負ってまで得た勝利に勝ちがあるのだろうか?プロイセン王国は七年戦争で国力20倍差の圧倒的不利の中、よく戦い、勝利した。これは高校世界史で習う内容だ。しかし、七年戦争はプロイセンの全ての国力を絞り出して僅差で勝ったもので、国内から若い男は消え(戦死した)、農村では軍の輜重用に農耕馬を取られ、国全体が大いに荒廃した。好戦的な性格と軍事的才能で知られ、「大王(der Große)」と称されたフリードリヒ2世は戦後国内を周り、この現実にショックを受け、それから大規模な戦争を避けるようになった。Twitterの消耗戦は七年戦争後のプロイセンの様な状態となるであろう。勝者も敗者も同様に破滅を招く。
最後にコンラッドの『闇の奥』の有名なセリフを引用して終わろう。


「恐怖だ、恐怖だ(The horror! The horror)」




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