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最近の近況と婚活に関しての雑記2024/04/16

Twitterを見ている諸君らには改めて説明するまでもないが、私は婚活をしている。

もはや私は、「私は異常独身男性ですw」と自虐で自我を宥めることも、「結婚できないのではなく、結婚しないだけ!」と強がりで虚栄心を満たすこともできない。

もう、孤独は私にとって「明白かつ現在の危険(clear and present danger)」だ。これは非常に有名なアメリカの違憲審査基準だが、これは、

(1)近い将来、実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白であること
(2)実質的害悪が重大であり時間的に切迫していること
(3)当該規制手段が害悪を避けるのに必要不可欠であること

の3つから成り立つ。

(1)は未婚だと孤独死確定なのが、(2)は私の老いた年齢が、(3)はこれらの解決手段が結婚しかないのを示している。もうひとりで生きるのは辛い。

ということで、繰り返すが婚活をしている。

これらは多元的展開だ。
その中でも主展開方面はいわゆる婚活マッチングサービスといったメジャーなものが一つ。
そしてもう一つはSNSである。

婚活マッチングサービスは利用者も多く、成婚率もそこそこある。
しかし、このサービスは男性にとっては非常に辛いものがある。
こういったサービスは概して女性側に圧倒的有利なものだが、婚活においてはそれらが極限に達している。

婚活市場において、女性の一番のアピールポイントは若さだ。結局のところ、婚活なんてものを行う人は家庭を持ちたいし子供も欲しいのだから、妊娠出産可能性の高い若い少数の女性を大量の老いた男たちが狙うのである。

この「若さ」の争奪戦は凄まじいものがある。関係者から聞けば、もし20代の女性が当該サービスに登録したら入れ食い状態なのだという。金持ちからイケメンまで選び放題だ。極端な話、27歳の女性と37歳の女性では成婚率が大幅に違うのだという。詳しいデータは個人情報もあるし、教えてもらえなかったがね。

かかる小数の若年女性を探し、多勢の男性はしのぎを削っている。
年収、社会的地位、職業、長男かどうか、親と同居する気か、持っている不動産・金融資産、顔面偏差値、身長。あらゆる要素はアピールポイントとして誇示的に使われる。

(私はこのような競争に参画するのは無理なので、身の丈に合わない女性を狙っていない。)

実際、私が若い女性で男を選択し放題ならば、金持ち・イケメン・高身長を狙うだろう。そしてこれらの好条件の人間も複数いるのだ。その複数の人間を比較考慮して、自由に、恣意的に、わがままに、利己的に好きなように決めれば良い。

まるで、我々が物価の安いアフリカの某国の食堂に行って、財布の中の有り余るお金の質量を感じながら、好きなメニューを選ぶようなものだ。なんでも好きに頼める。その決定権は我にある。法学における自己決定権の人格的自律権説と一般的自由権説の議論なんてものは存在しない。全てを、強力に、あらゆる面で、確実に選べるのだ。正直、羨ましい。

我々男性にとって子供を為せる若い女性へアピールするのは下等な生物の求愛と変わらない。体長20cmほどのスズキ目ハゼ科の魚、ムツゴロウは、メスに対してオスが泥上でジャンプを繰り返し、そのジャンプの質や高さで求愛アピールをする。我々ホモ・サピエンスはそのジャンプが収入や容姿に変わっただけだ。自らをホモ・サピエンス(Homo sapiens、ラテン語で「賢い人」)と名乗る思い上がった大脳の発達した猿にすぎない現生人類も結局そのあたりは不変なのだ。女性に如何に選ばれるか?これが社会の真実だ。



話はもう一つの、SNSでの婚活に移ろう。

SNSでの婚活──いわゆるTwitter婚活──はバカにされがちだ。そもそもネットでは昔から「出会い厨」「直結厨」は叩かれてきた。そしてそれらがTwitterというSNS、新しいプラットフォームでも出てきたら当たり前のように同様に叩かれてきた。

しかし、実はTwitter婚活は多大な戦果をあげているのをご存知だろうか?
実際、私の身の回りでもTwitterで彼女を作った者が数人いる。彼はまだ結婚はしていないが同棲は始めたようだ。結婚して子供を作った者もいた。実に順調にライフステージを登っていっている。冷笑家がただただ冷笑をして足踏みしている間に。

Twitter婚活の多大なメリットは、相手の素の顔が見えるという点だ。
よく「◯◯さんはTwitterでは変人だったのにオフ会で会ったらまともでしたw」という旨をツイートしている者がいる。

もちろん、これらは空気を読んでヨイショしているだけの可能性もあるが、大体のところ、オフ会ではほとんどの人は実にまともだ。

それはオフ会がせいぜい飲み会+カラオケ程度の比較的短時間のものだからだ。たった5,6時間ならばどんな人間も愛想良く振る舞えるものだ。それができない本物の人格破綻者はオフ会にも誘われないだろう。

しかし、普段のツイートは違う。毎日数件~数十件のツイートを何年も続けいたら、嫌でも本性が見えてくる。思考パターン、政治的傾向、裕福か貧乏か、住んでいる地域はどこか、趣味はどうなのか。ここで列挙した以上の大量の情報を簡単に得ることができるのだ。

例えば、IBM社のWatson Personality Insights (性格分析)はTwitterに投稿されたツイート群の情報を高度な計算でデータ処理し、統計学的に正しい性格分析をしてくれるサービスだ。ツイートというのはみんな一アカウントに数千件~数万件、またはそれ以上あるものだからIBMのAI技術(コグニティブ・コンピューティング)もあって、非常に正確な分析ができる。

ニセ科学であり、ネットで無料できるMBTI診断で私はINTPです!などと意気揚々とBioに書いている惨めな反知性主義者共の妄想とは違うのだ。誠実性や協調性、情緒不安定性、知的好奇心、外向性・内向性、変化許容性、自己増進、快楽主義、現状維持・・・などなどのある人間のあらゆる性格が分析できる。私もかつてやってみたが興味深かった。

このように長年の間蓄積されたツイートを見れば、その者が手に取るようにわかるのである。

これは大学のサークルの友だちと旅行に行って二泊三日をともに過ごしたら、隠されていた本性が見えて嫌になった、という話に似ている。
いわば、サークル活動やその打ち上げの飲み会で偽っている姿がオフ会の姿で、旅行に行って露呈した本来の姿がTwitterの中の言動と言っていいだろう。

だから、Twitter婚活はマッチング精度が非常に高い。相手の心根を見ることができるのだからね。これは先に上げた婚活のマッチングサービスを上回る多大な利点だ。昔はブロガー同士のオフ会でも似た要素があったというが、ブログよりも性質上本音が見える(推敲などしないでツイートする人が多い)Twitterはかつてのブログよりもその性質は強い。

私が恥を偲んで、女性ウケするツイート云々言ってたのはこれである。「ありのままの僕を愛して」なんてナイーブな考えが許されるのは大学生までだ。女性という選択する側から選考されるには自己変革が必要だ。実のところ、私は老若男女のフォロワーさんのアドバイス通り女性ウケするメイクやスキンケアの情報を余暇時間に集めている。

「肌へ浸透する」と謳う化粧水は、科学的には化粧水の及ぼす範囲は肌の表層の平均0.02mmの死んだ細胞からなる角質層で、浸透とはどういう意味なのか?そもそも「薬事法」という法律でも、化粧品が角質層よりも奥まで浸透するという広告は禁じられているはずだが…等悩むことも多いが頑張っている。スキンケア業界にはスキンケア業界の流儀がある。ことわざいわく、郷に入っては郷に従え、またはBuvez, ou allez-vous-en(飲むか、さもなければ立ち去るかせよ)だ。


ところで、私はTwitter廃人なので毎日欠かさずツイートをしているわけだが、フォロワーさんの中にも好意的な人間だけでなく、悪意のある人間もいることを強く感じている。

(この空冷ディーゼルエンジンの燃焼カスにも劣る駄文をここまで読んでいるあなたは間違いなく好意的な人間だ。私のnoteは概算で10~20人程度にしか読まれていないのだ。本当にありがとうございますm(_ _)m)

悪意のある人間は私のことを馬鹿にし、見下し、軽蔑し、蔑視し、嘲て、見くびって、侮って、卑しめて、貶めて、侮蔑している。しかし、それは仕方がない。私のツイートやnoteを読めばわかるが、私は頭と性格が悪い。いや、知能が劣るから性格も悪いのか?正しい因果関係は?有機的接続において答えは如何に出すべきか?それを担保するにはどうすればいい?

・・・とにかく!クソみたいな脳みそと心をしている。非常に恥ずかしいが、心理学で言うところのfixation(固着)のようなものだ。これは、 新しい学習を獲得することができず、問題解決が不可能な状況にさらされたり、強いストレスが加えられて、情緒的混乱に陥ったりした場合に行う無効な習慣的行動の反復、ないし固執の現象を指すのだが、ここまでnoteを読んでくれている好意的な人間であるところのあなたにはもう言わなくてもわかるだろう。そういうことです。

なので、悪意のある人間からひどい攻撃を受けることがある。非常に苦しい。私はまるで巨大な単細胞生物のクセノフィオフォラのようなものだ。図体ばかりでかいウドの大木で、ろくな知性は持っていないのだ。たった一人で孤立しているという点も、単細胞生物にそっくりだ。だからリピートするが、仕方ない面もある。

ドイツ軍に言わせれば、攻撃の威力は速度と火力に依存するという。

Twitterというプラットフォームはこの点で最大の速度を叩き出せる。即レス可能だからね。火力に関しては、私の愚鈍なツイートと非モテ感あるツイートに対していくらでも痛撃を与えることができる。この結果として、速度と火力は極大まで達し、私の脆弱なる自我にヤークトパンター重駆逐戦車の8.8cm Pak43 71口径長砲身カノン砲の硬芯徹甲弾のように突き刺さる。この強大な攻撃は我が自我境界を簡単に貫徹し、私の精神構造をまるでシェリダン空挺戦車のアルミ合金装甲のように破壊する。それが日常だ。辛い。

私が結婚したいと言うたびに悪口を言ってくる人間がいるし、私の職業を馬鹿にしてくる人間もいる。「助けてください」と言っただけで「精神障害者の馬鹿な弱者男性を助けてくれる人がいるわけねーだろwwwwwwwww」と言われる。然れども、これは事実なので耐えるしかない。現実には、理解のある彼くんはたくさんいるが、理解のある彼女ちゃんがこの世に誕生したことはないのだから。残酷な正論に直面した時、人はただただ涙を流すことしかできない。それを思い知った。

こうした悪口を言われた際に慰めてくれる奇特な人間もいる。中国の儒教における聖人とは、偉大・崇高・高貴の三要素を持つ人間を指す。彼らはこの定義で言えば聖人と言っていいだろう。このような人々は、だいたい男性である。婚活や仕事で精神が摩耗した私に優しくしてくれる男性たちが最近普通に好きになってきた。

オーストリアの法哲学者にして政治哲学者のハンス・ケルゼンはエッセイの『Die platonische Liebe(プラトニックな愛)』において、プラトンのエロティシズム論を心理学的に解釈した。彼は、プラトンのエロティシズムに関する哲学的考察を、哲学者の未解決の個人的問題の結果として解釈した。プラトンのエロスの性的な要素は本質的な要素であり、いわば精神化されたエロスが成長するための究極的な基盤、温床であったという。

つまり、肉体的なエロスと精神的なエロス(プラトニックラブ)は関わり合っているのである。私はかつて(2次元の)男の娘や女装男子が好きと述べたが、この触手がついにTwitterで3次元の男性たちに優しくされるうちに我が精神に触れ、性的志向の転換を果たしたのか?経済学で言うところの「転換点の理論(人手不足などがある閾値を超えると経済構造、例えば不遇な職業などの賃金が上がったり等の大きな転換が訪れるという理論)」なのか?私を見くびる女性たちへの怒りから来た反発なのか?この結論は私の制限された知能ではわからないが、とにかく相手が男性であっても優しくされると嬉しくなってしまうのは事実だ。

(ここで当初私にいつも優しくしてくれるフォロワーさん数人のことを書いていたが、まるでVRChatのお砂糖関係のような、嫌悪感を引き起こす偏愛のような、見る者に非常に精神汚染をもたらす長文となったので削除した。)

このような意見を別のモテるフォロワーさんに言ったところ、DM画面を見せてもらった。他人にDMを見せるのはモラル的に良くないが、そこにはたくさんの女性から送られてきたDMがあった。私は驚愕した。「女性が異性と認識した男性へ送る(言葉を悪くして言えば)『媚びた』メッセージ」がそこにあった。

私は女性に疎いため、女性が相手に好意を持ったときに見せる行動というのをそこで初めて知った。私が婚活のメッセージのやり取りで見るものとは全く違うのだ。

(彼がなぜモテるのか?について色々考察はできるが、飄々とした文体、それでいて知性を感じさせる絶妙な塩梅、高給な定職がありしかも社会的地位も高いなどがあげられるだろう。才能(文体等)と努力(定職等)の組み合わせ技で素直に感心している。)

こんなnoteを読んでいるのは殊勝な人間しかいないので正直に書くが、非常に羨ましい。嫉妬しそうである。だが「嫉妬する」ではなく「嫉妬しそう」なのは、先述のようにこれは彼の才能と努力の合わせ技であって、棚から牡丹餅的に得た僥倖ではないからだ。つまり、嫉妬する権利さえ無能な私にはない。それは私の精神遅滞地味た愚劣な知能でもはっきりと理解することができる。

私も楽しく女性とお話したい。もはやレンタル彼女を本格的に頼もうかと考えている。確かに、キャバクラやガールズバーでも女の子と話せる。しかし、私は大衆居酒屋からオーセンティックバーまで大体の飲み屋が好きだが、ああいうところはどうも性に合わなかった。仕事の関係で数回行ったことはあるが楽しみ方が未だにわからないのだ。チー牛だからね。

レンタル彼女なら楽しく話せるという保証はないが、利用した人のブログを読むと会話が苦手でもリードしてくれるという。婚活市場において、選ばれる側の我々男性は常に選ぶ側の女性を楽しませるために会話をリードしなくてはならないし、女性側もそれが当然と思っている。これが非常に辛い。私の趣味範囲(繰り返すが、ここまで読んでくれるような人ならよくわかってると思うのでわざわざ書かない)は女性ウケしないのというのは、どんなに私に好意的な人間でも頷くだろう。

そんな私に会話を振ってくれるなら嬉しい。とはいえ、結局のところ、これらも私の理想を投影してるだけで、利用した人のブログ記事もステマか、もしくはいわゆる社会心理学の「仮説検証バイアス」に過ぎないのかもしれない。然れども、もはや私は金を払って頼むしか手段がないのだ。金を払って女性と話すのは先に上げたモテるフォロワーさんにとっては馬鹿げたことだろう。なんせ黙ってても若くて可愛い女性からアプローチされるのだから。しかし、そんなことは私には起きようがないのである。

『米軍が恐れた「卑怯な日本軍」 帝国陸軍戦法マニュアルのすべて』では、日本軍には戦術も優れた兵器も資源もなかったため、唯一浪費できる「人命」を大量に使い潰して戦おうとしたのが描かれている。航空機の対艦特攻や戦車への歩兵の刺突爆雷や布団爆弾といった必死の自殺攻撃がその象徴だ。私もこれと同じなのだ。もはや私が使えるのはお金のみだ。

ジンメルの貨幣論によれば現代社会はあらゆるものが金銭的であり、金銭的でないものは存在しないという。例えば芸術の価値は実際は政治的主張の是非などではなく商品としての「価格」で決定される。ピカソのゲルニカ空爆の絵画は215億円で取引された、などがその典型だ。我々は芸術的価値よりも価格でその絵画を判断している。まあそれはおいておいて、「レンタル彼女を使用したらレビューしようと思います。良い子に会えると良いのだが…。

仕事終わりに適当に書き上げてるので、いつも意味不明な文が更に意味不明で支離滅裂になっている。大変申し訳無い。もはや本音の垂れ流しで近代的理性主義からしたら恥ずかしい。けれども、もはや私はここに書くしかないのである。3次元に理解のある彼女ちゃんがいないのだからね。

実存しない理解のある彼女ちゃんと言えば、男性オタク向けメディアでは理解のある彼女ちゃんは最近描かれている。彼女らは精神的に苦しむ主人公を支え、経済的にもサポートし、しかも美しい女性たちだ。男性の素直すぎる願望充足で笑ってしまうのだが、実際読んでみるとなかなかいい。とどのつまり、普遍的男性の理想とは大和撫子的なものなのだろうね。

こういう安易で手軽に接種できる願望充足メディアで心を満たすのはまるで腹をナイフで刺されて、その傷を手当せずにフェンタニルを摂取して満足するようなものだ。フェンタニルはモルヒネの100倍の効果がある最強の合成オピオイドで、戦場で銃撃され強烈な痛みにもがき苦しむ兵士さえ鎮静できるほどである。我々はもはや時間のかかる根治治療ではなく簡便な対症療法に頼るしかないのだ。ナイフで刺された傷口をデブリードマンして外科処置するよりも、一刻も早く痛みを消したいのだ。現代の我々はこれしかできない。

ともかく近況はこんな感じです。私のTwitterを見て付き合っても良いと思ってる方がいたら連絡ください。別に付き合うとか抜きにしてもリプライされると喜びます、老若男女関係なく。ひどいリプライはやめてね・・・おねがい・・・あとUSBケーブル(端子がType CだとかマイクロUSBだとかはわかるが詳しい規格は不明)がめちゃくちゃ余ってるので、欲しい人は言ってください。オフ会とかあったら持っていきます。ここまで読んでくれたすごい好意的なあなたへのサービスよ。合言葉は「アルゲマイネ」ね。


では疲れたのでさよなら~!


追記:最近再び抑うつ状態が強くなっており、リスペリドンとエチゾラムで正気を保っており、本当に辛い。私のような人間は誰も助けてくれないし、頼る人も、人脈もないので終わりです。みんなは私の失敗を活かしてたのしく生きてください。アドバイスをすると、理系を選択することと、必ず公務員にはならないことです。みなさんが幸せに生きられることを祈っています。Twitterには高給取りが鬱ぶりながら薬も飲まずに恋人を作り楽しく大勢暮らしています。あれになりましょう。私のような本当に苦しんでいる底辺は笑えません。いいですか、決してアドバイスを守り、私のようになってはいけません。私との約束だ。










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