私の精神科の「デイケア」の感想

過去に私がやっていた別のブログからの転載です。2つの記事をまとめした。単純に2つの記事をつなげただけなので、色々あれな部分があります。情報が古く、また、当時の私は閉鎖病棟から出てきたばかりでイカれてたので感情的になっており、間違っている部分が大きいですが(許して〜)、埋もれているだけなのも悲しいので公開します。

※以下本文1

今日は初めてデイケアに行ってきて衝撃・憎悪・苛立ち等々様々なショックを受けたのだが、それをつらつら書き連ねたいと思う。(長いし感情的文なので注意)

まずデイケアとはなんなのか?ウィキペディアによると

「デイケアは大きく分けて二つ、老人と精神科があり、共に利用者同士が交流するということが特徴としてあげられる。昼間にレクリエーションなどの活動で人と接することによって社会復帰や入院予防を目標としている。
デイケアの目的は、主に次の三点にある。
・決まったリズムのある生活を営むことで、生活時間の管理能力を持たせること。
・仲間と一緒に何かをすることで、自主性と協調性を培うこと。
・ゲームや簡単な手作業を通して、社会復帰の体力と作業能力を維持、向上させること。」

とのことで、要するに日中集団で何かをさせることで引きこもりを防ぎ、なおかつ集団行動を身に着けようぜ!という趣旨である。

だが実際はどうなのか。通常デイケア(朝から昼過ぎまで)は700点なので、換算すると一人当たり7000円。デイナイトケア(朝から晩まで)は1040点なので10400円。一年以内の早期加算だとさらに500円がプラスされる。通常週5日まで算定可能なので、単純計算して毎日デイナイトケアに患者が参加するとすれば、要するに…かなり儲かるわけだ。

デイケアは精神病院のように病床数制限がないのでどんどん患者を詰め込むことができる。詰め込めば詰め込むだけ儲かるのは当然である。私の行ったデイケアもまさにこの典型で、狭い空間に大量の患者(閉鎖病棟よりもひどい!ハロウィンの時の渋谷並!)をぶち込んで金をガッツリ稼ぐというスタンスのデイケアだった。

デイケアの特徴は「長期拘束」であることも挙げられる。デイケアに通う人間の殆どが生保か障害年金なので、そもそも働ける能力がないのである。彼らは何年も何十年もデイケアに通い、金を、税金で払われる金を病院に落としていく。

デイケアには一応「プログラム」と呼ばれる簡単なレクリエーションがある。これらは塗り絵・俳句づくり・映画鑑賞等を行うのであるが、少ない看護師・職員で回しているため全員がこれに参加すると職員側がパンクしてしまう。よって「希望者のみ」となるのであるが、では希望しなかった、プログラムに参加しなかった人間はどうなるのか?

そのような人間はそのへんの床に寝っ転がり、病棟内を歩き回り、TVを生気を失った顔で何時間も見続ける等実に退廃的・デカダン(décadent)的とでも言うべきか、実に非生産的行動をするのみなのである。それを咎める職員はいない。彼らは野放しになっているのだ。閉鎖病棟では看護師がすぐにそのような「デカダン」な行動を咎め、なんとか社会生活に復帰させようと躍起になっていたが、デイケアではそのようなものはないのである。

かかるデイケアで患者は不平を言わないのか?私のように不満を抱かないのか?と不思議に思うだろう。私もそう思って色々話を聞いてみた。すると彼らはこう言うのだ。「デイケアは楽しい」と。

どういうことか?簡単な話である。彼らは患者同士で話し合い集まること、それのみをデイケアに期待しているのである。リワークのように「社会復帰」を目的として行動しているのではない。彼らにとってプログラムは暇つぶしの手段であり、その質があまりに低級だったとしても不満不平は一切言わない。ただの暇つぶしだからだ。彼らはデイケアで知り合った患者コミュニティ、これだけを唯一の大事なものと考えており、このコミュニティ以外には─昼食と夕食、それに軽食は欲する、それも閉鎖病棟の人間より貪欲に─何も要らないと考えているのである。実際、私が話したデイケアに何年も通う患者は同じ旨を、精神病患者独特の、いわゆる「プレコックス感」、要するに何か違和感を感じる独特の口調でゆっくりゆっくりと述べていた。

このようなデカダンなデイケアでかなりの衝撃を私は受けた。それを幾つか書き連ねたい。

1.患者同士の「強い結束」。長期にデイケアに通所し、もはや人間関係がデイケアのみになった患者たちは患者同士の結束を、健常者が考えるよりはるかに強い結束を有している。このために新規で、それも「生保も障害者年金ももらっていない」私が来ることに強い嫌悪感を有したと思われ、数々の「喧嘩売ってるのか?」ということをされた。今でも怒りに震えている。

2.患者はもはや社会復帰を一切放棄し、フロイト的に言えば「スーパーエゴ(超自我)」がないような状態である。常に自分の原始的欲求、すなわち食欲・睡眠欲をむき出しにしている。よってところ構わず、日中であっても眠るし、何かを食べたがる。社畜がよく経験する、「眠いけど仕事あるから寝れない」という現象とは一切無縁だ。寝たくなったら、プログラムに参加していても遠慮なく寝るし、それを怒る職員はいない。大事な金づるを怒ることなど彼らにできるだろうか?また怒っても一切改善の兆しがない患者を怒ることに意味があるのか…私は結論を言うことはできないが、彼らのありのままの姿はこれである。諸君らで結論を出してもらいたい。

3.患者同士の「独特のコミュニケーション」。これはデイケアに長年通う中で、必然的に形成された独自性といえよう。隔離された地域で独自の種が誕生し、独自の方言が誕生するように、社会生活と無縁の生活を送り続けデイケアのみに縋った患者たちの中で形成された一種の方言が見られるのだ。私は一回しか行ってないのでこれに対して詳しくは述べられないが、後々これについても調査したいと思う。聞き取れたものを列挙すると、「4テーブル」「きっきょ」等がある。意味は残念ながらわからないが彼らはこのような「デイケア方言」で会話する。ああ、何たる悲劇。デイケアで「隔離」された末にこのような方言が生まれるとは!

4.職員の「患者に対するひどい対応」。そもそも先に述べたとおり職員数が少なく、まともな対応など望むべくもないのだが、それにしても彼らはひどすぎる。飢えて、乱暴で、孤独で、神を無みしてある。恐れを知らずして人々の恐怖心をそそり、偉大にして孤独…かといって明日には一つの信念を持ち、明後日にはさらに一つの新しい信念を持つ。すばやい感受性を持ち、気分の変わりやすいお天気屋なのだ。仰々しい道化師というべきか…

いや文学的表現を廃してストレートに言うと、「患者を舐め腐っている」のだ!だが患者側にも責任がある。某歌詞を引用すると「社会性を放棄したクリーチャー達が 怠惰な日常を緩やかに回遊する」状態なのであり、このような状態の患者を舐め腐るのも無理はない。独語がとまらない者、新興宗教にハマっている者、受け答えがちぐはぐで一切理解できない者…これらの患者を相手にし続ければ舐め腐るのも無理はないし、実際舐め腐っても患者側から不平などないわけで問題ないのかもしれない。だが私は少なくとも、多少の理性はあった。よってこれらの行動に苛立ちを覚えるのだ。


まあ要するにデイケアは地獄だ。精神病患者を金づるにする腐ったシステムだ。ああ、なんたることだ。私はこのシステムに組み込まれようとしている。閉鎖病棟で保てた正気もここで通用するかどうか…何分閉鎖病棟より状況がひどいのだ。これははっきりと言える。

「彼らに敵対し、彼らに苦痛を与えたものを、彼らは神と名付けた。かくてまことに、彼らの崇拝には多額の英雄的な気風がこもっていたのだ!かくて、彼らは、人間を十字架にかけるという仕方以外には。彼らの神を愛するすべを知らなかったのだ!」by『ツァラトゥストラ』

ああ、デイケアも同じなのだ。患者に苦痛を与えるデイケア(正確にはデイケアで得られる副産物である精神障害者コミュニティ)を神のように崇めている。キリスト教徒は人間を十字架にかけて神を愛するが、デイケアの患者は生保や障害者年金をデイケアに捧げて、デイケアを愛する。ああ、そこに憂愁などない。救済などない。あるのは金儲けの非情なシステムだけだ!

私は水曜日もデイケアに行く予定だ。もし私がデイケアの「数々の苦難」に負けて、精神がおかしくなってもそれは必然であり、ひいては自然であろう。助けてくれ、転職先さえあれば私はここからすぐに逃げ出したい。誰か転職先をください…ください…神はデイケアにあらず…


※以下本文2

デイケアに今日も行ってきたのだが、これまた辛かった。

1.職員の高圧的態度
これは前回も書いたのだがとにかく職員が高圧的、権威的である。そもそも医者というのは患者より優位な立場にあり、患者が医者に逆らうのが難しいのは皆さんがかかったことのある医者─内科や皮膚科等─でもわかることかと思う。患者は医者に「治して『もらう』」という受け身の姿勢であって、こちらから働きかけることはあまりできない。これが精神科ならなおさらで、ただでさえメンタルがやられている精神病患者ならば医者に物申すのが難しいのはわかるだろう。

デイケアではこれが更に進んでいる。前回のブログ記事で書いたようにデイケアに長年に渡り「拘束」されている患者にとってデイケアの職員は逆らうことなど到底できない状態なのだ。勇気を持って職員に意見したいことがあってもそれは「精神病患者のたわごと」として流されてしまう。しかも精神科、精神病院には「付き添い」としてしばしば患者に保護者や配偶者が付き添い、かかる付き添い者が医者や看護師に対する「睨み」となるが、デイケアではそのような付き添いという一種の抑止力さえないのである。

これがどのような結果を生むか?生まれるのは強権的・独裁的な管理体制である。集団行動の名のもとに行動を拘束している。いやより正確に言えば患者たちは拘束されていることにすら気づいていないのだ。長年の拘束によってかかる思考さえも奪われている。またはそのような思考を「持てる状態」の者さえいないのだ。

私は閉鎖病棟にもいたことがあるが、この 不遜、傲慢な態度は目を見張る者がある。全体主義とはまさにこのことか!もし諸君がデイケアに赴けば、ジョヴァンニ・ジェンティーレが言うところの「totalitarismo(全体主義)」の極地を見ることができるだろう。

2.高齢
私の通っているデイケアに通所する精神障害者のほとんどが高齢者である。「高齢者になると精神病にかかりやすくなるのか?」と考えるのかもしれないがそうではない。「精神障害者が高齢者になるまでデイケアに通い続けている」のだ。前回の記事で述べたようにデイケア通所者の殆どは生保や障害者年金受給者で、デイケア費用もここから出されている。私は(ツイート内容を理解している方は知っての通り)自費で行っているのだが、生保・障害者年金で通う彼らはデイケアのみが人生であり、人生こそがデイケアなのである。仕事をする必要もなく、日中やることもない。よってデイケアに通う。(これが病院の良い金稼ぎになるのは前に述べたとおりだ)

高齢になるまでデイケアに「飼いならされた」精神障害者は、精神障害者である私から見ても恐ろしい物がある。彼らは思考能力が極端に落ち、言葉を悪くして言えば「痴呆」のような状態だ。一日中狭いデイケアルームで、単純作業をやらされるうちに能力が低下してしまったのではないだろうか?または能力が低下したからデイケアにいるのか…私もまだ批判的に物事を見ることができているが直に痴呆状態に陥るのかもしれない。

3.ミアスマ(瘴気)
突然だがデイケアにはミアスマが、瘴気が立ち込めている。この悪い空気は言葉で説明するのが難しいが一度通所すれば理解できるだろうと思う。さすがに生きたコンタギウム(contagium animatum)がいるとまではいってない。

この腐敗した、陰気な、不快な空気・雰囲気がどこから来ているのか私はデイケアに行くたびに思案していた。だが閉鎖病棟の空気と比較してわかったのだ(まさしくエウレカというわけだ)。このミアスマはデイケアの目的から来ているのだと。

どういうことか。閉鎖病棟の目的は「患者の治療」のためにある。よって確かに諸君らが思い浮かべる「キチガイ」もいるが、それでも彼らは症状が良くなるためにそこにいる。いわば前向きな理由でそこにいる(強制的に入院になったとしてもだ)。だがデイケアではそもそも「良くなるために」そこにいるのではない。言うなれば当時の医学では治療できなかった肺病(結核)患者をサナトリウムで隔離したように、比喩的な言い方ですまないが「慢性の」精神障害者を隔離するためにデイケアは存在するのだ。サナトリウムでの治療が「空気の良い所で安静にする」のみで、積極的治療ができなかったように(詳しくはトーマス・マンの『魔の山』参照)デイケアでも積極的治療は行われない。つまりサナトリウムでただ何もせず、確固たる「治る」という意図をも持たずに過ごす結核患者と同じく、デイケアでも何もせず確固たる「治る」という意図を持たずに一日を過ごすのみなのだ。

サナトリウムのような退廃的雰囲気、これがデイケアのミアスマの正体だったのだ。閉鎖病棟では積極的に治療するという前向きな目標があったが、デイケアではこの積極的目標は存在しない。あるのは「とにかく一日を、一ヶ月を、一年を、十年を過ごす」のみでこの停滞感こそが嫌な空気、悪い空気の原因だったのだ。

デイケアには数回行ったがこの空気は好きになれない。吐き気がする。それに高圧的職員の態度も加われば…どんな気分かはわかるだろう?

4.反論
さて、私はここまでデイケアについて批判的意見を述べてきた。実際私が通所しているデイケアは残念ながら褒めるべき点は今のところ見当たらない。しかれども、だ。デイケアには大きな利点があるのだ。

それは「入院を長期化させない」ことだ。つまりはだね、デイケアがあるからこそ精神病患者は病院から早期に退院できるようになったということなのだ。まるでロボトミーが多大な犠牲を払いながらも、精神病患者を精神病院から解き放ったように。ロボトミー患者は多くを、それも大事な多くを失ったがその結果として精神病院から退院できるようになったのだ。デイケアも同じで、「デイケアに通所する」というバックアップがあるからこそ精神病院から精神病患者は比較的に早期に退院できるようになったのである。例えば難治性の病気、統合失調症患者なども一生精神病院にいるのではなく、デイケアのおかげでシャバに出れるようになった。たとえデイケアに拘束されても、精神病院に一生いるよりは遥かにQOLが向上するだろう。もっともこれには厚生労働省の思惑なども関わっているのだし、「金儲けのためのデイケア」も多数あるのだが…

5.結びに(文体がいきなり変わるので注意)
あのね、私はもうこのデイケアやめようかと思っている。他の病院でリワークやっているみたいだしそっちに行こうかな…と。とりあえず明日見学しに行きます。ここよりマシだといいのだが…というか転職したい。転職してもうデイケアとかに近寄らないようにしたいです。(ホンネ)。リクナビネクストやマイナビ転職にまた登録したのでなんとか見つけたい限り…ただスキル不足なのが本当に辛いのです…誰か良い仕事ありませんかね…

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