子ども時代の「サバゲー」の思い出

私の子ども時代は子どもたちの間ではサバゲーが流行りだった。とはいえ、今の大人達がやるような本格的に軍装に身を包んで高価な実物光学照準器をつけたこれまた高価な電動ガンで撃ち合うようなものではない。そのへんの服(弾が当たると痛いので夏でも長袖)に東京マルイのエアコッキングガン(エアコキ)という、手動で動作する安物のピストル型エアガンを装備して撃ち合っていた。

今の大人達のサバゲーは弾が当たると「ヒット!」と言って自主申告し、退場するが、我々子どものサバゲーはストロングスタイルだった。弾が当たっても退場なんてものはない。ひたすら被弾しながらも撃ち合う。そして被弾の痛みに耐えきれなくなったり、弾が尽きたら負けというものだった。しかも目を守るゴーグルもつけていなかった。今考えれば失明の可能性があり、危険極まりない。

私はいじめられっ子だったのでほぼ「的」として参加していた。つまりいじめっ子のBB弾を受け止めるだけ。私はCz75というエアコキのエアガンを持っていたが、グループ内の順位が高い者への射撃はほぼ封じられていた。グループ内順位が高いいじめっ子は、誰からも被弾せずに一方的に他の者を射撃できるのだ。一度私は愛銃のCz75でいじめっ子を撃ってしまったことがあるが、そのときは「処刑」と称してゼロ距離で腹にエアガンをたくさん撃たれて泣いてしまった。腹が内出血かなにかでほんのり青くなったのを今でも覚えている。子どもながら、「処刑」がバレないように腹を狙う(腕や顔は露出するのでいじめがバレやすい)という小賢しい行為をしていたのは恐れ入る。子どもはときに残酷なのだ。

この接待のようなサバゲーで私の「的」以外の役割は弾拾いだった。これは二種類の意味があった。まずはいじめっ子が交戦中に弾切れにならないように落ちてる弾を拾っていじめっ子にわたすというもの。いじめっ子は弾を渡すのが遅いと私にキレて投石してきた。(なお、一度使用したBB弾を再利用するのは銃の故障の原因となるのでやめたほうがいい。子どもは金がないからBB弾が買えなかったから仕方なくである。)次に、サバゲー終了後にそこら中に落ちてる弾を拾うというもの。これはいじめっ子以外のみんなで行った。そのへんの場所でBB弾を撒き散らすと迷惑だし、大人に怒られると当時の我々子どももわかっていたのだろう。念入りに拾っていたのを覚えている。そしてその拾い集めたBB弾を再び次のサバゲーに利用するのだ。

こんな感じのサバゲーを私は子供時代にしていた。サバゲーと名乗るのもおこがましい、ストロングな弾の撃ち合いである。何も楽しくなかった・・・。

あと、この体験について思い出したのが、当時私の周りでは銃=東京マルイであった。つまり、東京マルイのカタログに乗ってない銃はないも当然で、キモいミリオタだった私は「東京マルイのカタログに掲載されてない銃もたくさんある。トカレフやBXPとか!」と訴えたのだが、いじめっ子に嘘つき野郎!と言われて腹を思いっきり殴られて吐いたことがある。吐いたことで更にいじめられたのは言うまでもない。

余談だが、この絶対王者のようないじめっ子だが、彼の天下は小学校までで、中学校になると、中学校になり合流してきた別の小学校卒の体がでかい連中のパシリとなっていた。驕れる者久しからずとはこのことかと実感したね。


そんなこんなで子ども時代の思い出でした。さよなら〜

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