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介護生活を恐れる

 痛風の発作で歩けず、2日間仕事を休んだ。明日も仕事に行けないと思われる。作文を書く気力が少しあって、無駄に過ごす時間がたくさんある。一昨日借りた松葉杖のおかげで四つん這いにならずに済むが、学校の階段は自信がない。今週は無理せず作文と休養に充てる。
 一昨日から気になっていた以前に書いた作文を読み返して何度か書き直した。書き終えて人生を振り返ることができた充実感があった。
「『人生』は大袈裟か?」

 一日中動けないから寝てばかりいると悲観的になる。今の状態が続けば介護される将来を想像してしまう。
「お酒をやめなさい。」
妻は介護する面倒が腹立たしいから言うのではなく、私の健康を気遣っている。それは分かっているのだが、彼女の声が大きくなると心穏やかではいられない。
 片足の踵が痛いだけで立って動けない。動けないとトイレが思うに任せない。
「もし、妻がいなかったら、」
お風呂・洗顔・衣服の脱着・食事の準備と片付け・掃除・洗濯など日常生活はできない。医者に行くことさえ難しい。
 動けない状況を頭の中で予想するのと現実に体が動かせない状況とでは違うことを実感している。この1週間はいずれ介護を受けるであろう、その前触れであり、その心構えを作るための準備時間なのかも知れない。少しでも長く健康で生活できるために毎日の不摂生を戒めるべきだと感じ、妻のお酒をやめるべきだとの忠告も聞き入れる気になった。
 定年してから不治の病に冒されれば、足掻(あが)くことなく受け入れて、いさぎよく死ぬつもりで、人間ドッグも健康診断も受けなかった。そんな覚悟はまやかしで自死する勇気などあろうはずがないのに、突然死に憧れている自分がいる。痛風は不治の病ではなく、いずれ痛みはやわらいで日常生活が戻る。しかし、この先に待ち受けるのは突然死や不治の病とは限らない。痛風の発作だけでなく脳梗塞などで体の一部が使えない生活に陥る可能性は大いにある。動けないような状況が10年も20年も続くかも知れない。このような恐怖は地球温暖化や南海トラフや大型台風や洪水よりも身近なものに感じられて非常に怖い。
 限りある時間を有意義に過ごそうと思います。
そして、もう一つ。
 こんなことになるんだったら、妻の白内障の手術の時、もっと親身になって尽くせばよかった。
(最後の部分は妻に付け足せと言われた。)
(何も反論ができない。)

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