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召使いとしての教師

 老人でしか書けない作文がある。今日はそれを目指す。

白内障の手術
不適切保育
昔の職員室
教員採用試験と世相

 歳をとるのは体の一部に不調を感じるところから始まる。体調が悪いのと妻の白内障手術のための家事代行で作文を書きたくない日が続いている。体がだるくて、喉が痛くて、咳が止まらない。ただし熱はなく、病院によるとコロナではないらしい。13日間苦しんでいるが、未だに回復してない。喉の痛みが始まって5日目、妻のもう片方の目の手術のために名古屋の病院に送ることになっている。この日も朝から気分がすぐれずテレビばかり見ていた。NHK-BSで教員希望者が少ない理由は時間外労働の多さと給料の安さだと論説委員らしき人が話をしていた。
「まあ、そんなとこだろう。」
対策として教員採用試験が一般会社試験日より遅いためだから一次試験を来年度から一ヶ月早めると言う。それでも、一般会社の試験より遅い。なぜもっと早くしないのかとアナウンサーが尋ねると、教員養成課程の学生には教育実習があるからだと言う。
「へえ、そんなんで希望者増えるとも思えない。」
老人の体調不良同様に教員希望者減少の解決策は期待できない。そんな話題よりは大谷翔平でも見ていたいけれども、試合開始時間は名古屋の病院へ出発する時間と重なる。どうもチグハグな気持ちを奮い立たせて、病院まで妻を送り届けた。
 妻のいない2日間の体調は相変わらず咳と喉の痛みに苦しんだ。体調不良8日目が妻の退院日。この日、私が迎えに行くと言ったが、妻は私の仕事と体調を気遣って義妹に頼んだ。
「久しぶりに妹と話をして、とっても楽しかった。」
妻の心遣いに感謝しつつ、義妹に電話で感謝の気持ちを告げた。
 翌日の土曜日、妻の目の消毒と検査のため阿久比の病院へ送っていく。久しぶりに待合室で作文の続きを少し書く気になったが、長続きせず待合室のテレビと大谷翔平のYouTubeラジオで気を紛らわした。まだ咳が出る。少しだけ喉の痛みが残っている。
「もう待てない。」
私の年代は病院に行くほどではない体調の優れない日が時々やってきて回復するのに時間がかかるようだ。そんな日が長く続けば、晩酌を復活させたい気にもなる。幸い晩酌で悪化することはなかったが、喉の痛みと咳は変わらない。それでも少しずつ快方に向かっているらしく、やっと作文の続きを書く気になった。

 教員を定年して12年。新任時代は50年も昔になるのに、今だにICT支援員として職員室に座っている。
 若い頃、ヘビースモーカーで職員室で堂々とタバコを吸っていた。苦労して禁煙すると副流煙が気になった。やがて喫煙禁止となった時に思った。
「あゝ、良かった。禁煙なんて当たり前だ。」
粋がって喫煙をしていたが家族ができて禁煙に成功した。すると喫煙者が悪者に見えるようになる。人間は自分の置かれた場所で考えを変える生き物である。現在の学校、放課に校門の外でタバコ吸っていらっしゃる先生を見ると可哀想になる。歳のせいでヤクザな昔を思い出し、少しだけ客観的にものが見えるようになったからである。月曜日と火曜日は仕事がないので散歩で学校近くを通りかかる。すると校舎外で喫煙している先生の申し訳なさそうな表情が可哀想に見えて、いつもの道を変更して顔を会わないようにしている。
 新任の時、授業中寝ている生徒を怒鳴りつけた。ある時など、机の下でエロ雑誌を見ていた生徒の頭をスリッパで引っ叩いた覚えもある。授業中の居眠りと雑誌を持ち込んだ生徒が悪いのであって「怒鳴る」「叩く」と言う体罰は悪くはなかった。職員室でエロ雑誌の顛末を話しても誰からも非難されなかった。
 男子生徒の丸刈りに手を乗せて指の間から髪の毛がはみ出すと、我々若い教師はバリカンで生徒の髪を刈っていた。女生徒のスカートは床から何cm離れているか測って、長いスケバンスカートを取り締まった。実は、あの頃の私は髪の毛やスカートの長さは生徒の自由で、取り締まるのは人権を無視するものだと思っていた。相手が自分より力のないものに対しては怒鳴ったり体罰を与えるのは世の常である。学校の偉い人たちが新任教師に理不尽な命令を与えるのも仕方のないことであると考えるようになるのはずいぶん先だが、あの当時は、とにかく、
「これも仕事だ。」
「これが仕事だ。」
と割り切った。日が経つに連れ、生徒への体罰も人権無視も学校の秩序のためだと正当化した。ところが、学校の秩序を守るためだったり、子供のためだったりすれば仕方がないと考える社会通念が人権意識の高揚で通用しなくなった。今思うと、あの頃と今は隔世の感がある。
 結婚して子供ができた頃には体罰は犯罪になり人権意識が強くなっていた。長髪は許可されミニスカートが流行り出した。その頃、妻の実家に遊びに行った時の出来事が印象に残っている。妻が泣き叫ぶ息子の歯磨きをしていた。
「泣いているんだから、やめてやったらどうだ。」
何気ない一言に、思わぬ反撃を喰らった。
「この子が大きくなって虫歯になったら、あなた責任を取れるの?」
彼女は私を叱ったつもりだが、私は怒鳴られた気がした。
 子供が生まれてから妻は私を生徒扱いするようになった。私の人権は無視され叱られるようになったと言える。親としての責任を考えると我が子のために自由と人権を制限して育てることが当然であり、学校は親に代わって生徒のために指導すべきだと考えた。これを機に、学生気分と新米教師を卒業して子を持つ教師として働いた。
 荒れた学校で不良に対する時は親のつもりになって不良を厳しく指導した。荒れた学校では誰も不良の人権を守れとは言わなかった。私はあの頃、不良達の親の代わりに強い指導をした。彼らの人権を無視したと言える。授業中にロッカーの上で寝そべって授業を受けるのも、ゲームをするのも、居眠りをするのも、学生服のボタンを外すことさえ許さなかった。飲酒や喫煙やバイクの暴走行為が触法行為であるのと同様に校則違反を彼らの親に成り切って指導した。
 不良が絶滅危惧種になって久しい。先週、ICT支援員としてタイピング練習をする小学生の授業支援に入った。不良を思い出させる児童を見た。彼は狭い机の上に寝そべっている。何か喚いているが教師は無視して授業を続ける。叱からないし、注意もしない。まして教師の口から怒鳴り声が出ることはない。スリッパで引っ叩くなんて論外である。どなったり暴れたりするのは大人と同等の人権を有する子どもであり、教師は「召使い」に徹する。常に優しく子どもの人権を守ることが優先される。

 たとえ人生が二度あったとしても、私は現在の教員採用試験など受けない。不良や悪ガキの召使いなどやってなどいられない。
 喉の痛みと咳が治った日、三重県の保育園の不適切保育の記事が新聞一面にあった。私が勤めていた時期の小学生では躾と称して給食を全部食べるまで強要していた。また、私は授業が嫌でトイレに行きたがる不良を「君のいうことは信用できない」「トイレに行きたい要求を聞いて欲しいなら校則を守った服装をしなさい」等、人権を無視した不当な理由でトイレに行かせなかった。
 私が親の代理だと信じて行ってきた指導は虐待であり、我が子を殺したり、東京で起こった精神科病院の患者に対する虐待と同じだったりするのだろうか?

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