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銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の③

 想像してみてほしい。主たる世界の都市の華やかな表通りのそばに一流と呼ばれるホテルがある。そのホテルは、国賓を迎えたり、国際的スターが宿泊したり、我が家のように滞在中使う。途中、各地を飛び回ることがあっても滞在中のハブとして確保され、その間荷物を保管したり郵便物や品物の送り先になったりする。

 銀座東洋は日本一のショッピング通に面していた。河童橋や浅草といった江戸指物や調理道具の問屋街にも近かった。セレブたちはショッピングで買った品物を自分の手では持ち帰らずホテルに運ばせることがあった。
 アメリカの女優ブルック・シールズは、ふらっと一人で出かけた問屋街でカボチャの形をした銀瓶を買った。作家物の大ぶりな銀製の薬罐で持ち手をぐるりと竹で編み込んである。シンデレラのカボチャの馬車を彷彿とさせる凹凸が冴えた品物だった。品物は店の主人がホテルに運んできた。預かったフロントオフィスの皆で眺め惚れ惚れした。古いものなのか銀が黒ずんでいるところも趣があった。後から運んできたところ見ると、埃を払いくもった表面に磨きをかけるための時間が要ったのかもしれなかった。木造りの店のガラスの出窓にちんまりと置かれ、長いこと忘れ去られた表面は銀がすっかりくすんでいる。そんな姿の銀瓶が目に浮かぶ。今ほど日本が見直されている時代ではなかったから、そんな銀瓶を見つけた女優のセンスに感嘆した。

 センスといえば当時は、アンティーク根付けもアメリカ人の蒐集家の間で流行っていた。オリエンタルな置物を提案したホテルのインテリアコーディネーターはのちに本を出版した。その中にも、日本の桐箪笥の引き出し部分をベンチのように窓辺に配置しランナーとして掛けた帯の上に、年季で角の丸くなった値付けが並んだ写真がある。本来の目的とは異なる形で西洋の人たちの生活に彩りを与える日本のアンティークを求める外国人が増えていた頃だった。
 そういう蒐集家は、事前に持ち主にコンタクトをとって荷物を送ってもらう。ゲストより先に荷物が届いている、という具合である。送られてきた品物すべてを購入するというわけではなく、実際に手に取って品物の具合を確認し気に入ったら値段交渉に入る、という手順らしい。しかしいずれも高価な品である。当時急速に使われ始めたクーリエサービスで保証金をかけて送られてくる。時には着払いで送られてくることもあった。
 それをホテルが肩代わりして支払い、ゲストが出発の際ホテルの利用料と合わせて請求する仕組みだ。このやり方で起こったトラブルのことは『銀座東洋物語。6(幸せな仕事)②』にかいた。そんなふうなことも

 こんなふうにホテルは宿泊する場だけではなく、家のような役割をも果たす。清雅様はそれを最大限利用していた。もともと、周知のようにホテルには施設内の利用料金を部屋付にしてチェックアウト時に一括で支払ってもらうやり方がある。これはおそらく最初は同じ建物内のブティックなどのショップでの買い物をホテルの部屋付にすることから始まったのだろう。
 世界の名だたるホテル、例えばパリのオテルドクリヨン。 あそこに宿泊するのは、100%富豪か国家要人だろう。一般人も泊まれるかもしれないが、私は遠慮したい。そういうホテルは、ゲストが外の店で買ったものを自分の部屋付にしたところで、真っ向から文句をつけない。 銀座通りのブランドショップがホテルの名前をきいて部屋づけでもいいとしたのであれば、それはホテルのステータスが上がり信用されている証拠だからだ。

 しかし、清雅さまの場合は大変なことになった。スィートの部屋は瞬く間にブランド品の包みでいっぱい。しかも長期滞在を決めていたため、精算タイミングが見つからず館内の利用料金以外にも部屋付と称して運んできた。最初はホテルからも見えるブティックの商品だった。それを部屋付でと言われて持ってきた店も店だ。元宮家が定宿にしてくれているという自負で一度受けてしまってからは、他の店も、ホテルからは到底視界に入らない店まで部屋付を運ぶようになってしまったのだ。

 『ホテルが払ってくれる』

 そういう噂が高級ブランドの顧客担当の耳に入っていたのは明らかだった。

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