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「セクシー女優」と見せかけて、常に「精神」や「愛」の存在でもあった。マリリン・モンローの場合

モノゴトには裏と表がある。そして、その距離が離れていればいるほど、モノゴトの意味は深く、魅力的になる。 そんなことを、ある夜に考えさてくれたのが、本日のお手本、女優マリリン・モンロー。私が子どもの頃、初めて覚えた外国の女優さんかも知れない。

小学校へ持っていく「自分だけのお気に入り」文具を探そうと、毎日のように通っていたファンシーグッズのお店で、初めてマリリンを知った。ジェームズ・ディーンとともに多くのグッズになっていたくらい人気だった彼女。 当時、セクシーという名と同義語のような存在だったマリリン モンローが、そのイメージに悩んでいたかどうかは簡単にはわからないが、早くから映画女優に興味のあった私も、女優としてのマリリンについて興味を持ったのは、ずっと後のことになる。

興味の先は、「反対の意味の存在」だ。大人になると、「上手くいかなかった愛すべき出来事」の方を、心地よい記憶として大切にしたい夜がある。私にとってのマリリンは、そんな存在。

「セクシー女優」と見せかけて、常に「精神」や「愛」の存在でもあったマリリン。唯一無二の肉体アピールがお得意と思わせておいて、誰の心にもある「矛盾」を捉えることにも正直だった。 ハリウッドという巨万で虚構な富の中にいても、自分のルーツや生きて感じる素朴な感情を大切にしようと、冷静に生きていたともいえる。彼女の中には勇気も野心も弱さも愛も、同時に存在するのだ。 自身の経験からくる判断が、今まで以上に重要なこの時代、マリリン・モンローのような知性が大切なのではないか。

「ハリウッドは、キスにはお金を払ってくれるけれど、人間性には一銭も払ってくれない」とは彼女の言葉。裏も表も自分の目で。今晩も、映画女優から学びたい。

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