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どこまでも柔軟に高く ジュリエット・ビノシュのように

2020年はいつもと同じ365日だったのに(いや、オリンピックは延期になったけれど閏年だったから366日だ!)、人や物との“関係性”や“価値”を大きく変えた。今まで、考えるに値しない程普通だと思っていたことや、揺るぎないと思っていたものまでが、根底からひっくり返ることも。この騒動を「思考の停止」なんて言う言葉で表す文章をたびたび目にしたが、私は違うと思っている。2020年は柔軟に思考を重ねた日々だった、と。

「柔軟な思考」、これは私の好きな言葉で常に持っていたい軸のひとつ。まずは考えるよりも行動、行動して経験を実体験していくことの重要性。けれども決して、経験の数が己の価値観を頑固なものにしてはいけない。だから、「実体験で得た事をどうラベリングして自分の脳に収めていくのか」には、柔軟な思考が大切である。外出規制という狭められた行動範囲の中、少ない実体験を正しく記憶する。この経験は、「柔軟な思考」にとって相当な訓練になる。

女優ジュリエット・ビノシュは、私と同じ年生まれ。86年公開の映画『汚れた血』で“奇妙な妖精”とも言える魅力で現れた。幼さと成熟さと大胆さとが共存していて、当時カップルとして認知されていたレオス・カラックス監督と撮る“新価値のテーゼ”のような新作を、私は憧れに憧れを持って待っていた。20代の頃だ。その後彼女はアンダーグラウンドの垣根を超えて、仏のみならず英・米・伊・独映画などで活躍し、世界三大映画祭すべての女優賞を受賞。社会派映画にも多く出演し、最近では『vision』(2018年河瀬直美監督)『真実』(2019年是枝裕和監督)と日本人監督作品にも意欲的に参加。世界中の大舞台での経験を得て、さらに自由になった感じだ。あるインタビュー動画を観ていて思ったことがある。紛れもなく大女優なのだが、質問を受けている時の目が、なんとも“純粋”なのだ。まるで、初めての言葉を聞くかのように。聞く、考える、話す、そのスイッチがあるかのような表情の移り変わり。“今”に集中する力に吸い込まれそうだ。濃厚な今を柔軟に重ねた魅力。これからも私の憧れ。

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