思っていた以上にオワコンだった~論文引用からみた分子細胞生物学系雑誌の衰退

 私が所属する大学院コースは博士の学位取得にフルペーパーが査読誌に受理されていることが必須条件のため、博士課程の学生が学位取得に必要な論文を投稿する際に、難しい雑誌にチャレンジするか、少し格は落ちるけれど早い受理が叶いそうな雑誌にするか、の二者択一を迫られます。博士課程修了を目指す学生の論文投稿先を検討していた時期に、雑誌の「格」を示す(とされてきた)論文あたりの被引用件数を基にした数値(impact factor, IF)を見ていて違和感があり、現在の状況を調べてみることにしたのが今回のテーマの始まりでした。

 まず、雑誌ごとの現在の「格」をどんな数値で比較するか。これについては、今回はEigenFactor(EF)(eigenfactor.org)を使ってみることにします。ある雑誌に掲載された雑誌の、総被引用件数÷総論文数という単純な計算式で求められるIFの問題点を、複雑な計算式により算出されるEFはある程度軽減しているとされていて、通常小数点以下の数字として出てくるEFを標準化したのがEFnです。

 EigenFactorのHPでは、雑誌ごとのEFnの経年変化を調べることができます。最初に、日本分子生物学会が発行している英文誌Genes to Cellsを見てみましょう。下図に示すように、この雑誌のEFnは2000年以降ジリジリと下がっていて(そもそも絶対値が高いとは言えないのですが)、2010年頃からその下降速度が増しています。あれ、この雑誌ってこんなもの?編集長の努力が足りない?(失礼)

 そこで、次にアメリカ、ヨーロッパの学会系雑誌の有力どころを調べてみることにしました。

① J Biological Chemistry (JBC)。アメリカの学会誌、我々の指導教員世代の研究者たちはこの雑誌がなぜか大好き。この雑誌、生化学という範囲を超えて、分子生物学や細胞生物学の論文も多く掲載されています。EFnはこの20年間減少傾向。まあ個人的には、生化学ってそんなイメージですので、そんなものかな、と。
② EMBO J。ヨーロッパの学会誌、JBCよりは分子生物寄り。JBCよりも急激なカーブで下降、あれ、これってどういうこと?
③ J Cell Biology (JCB) 。アメリカの学会誌、綺麗な顕微鏡写真が並ぶ論文が掲載される。これも上二つと同じような感じで落ちていました。

 この3誌は、かつてはIFで7、8から10を超えるあたりの、それぞれの分野の中の上(上の下?)の雑誌のイメージですが、ほぼ同じようなIF値にランクされていたGenes and DevelopmentやDevelopmentも似たEFnの推移をしていました。縦軸の絶対値はそれぞれの雑誌で違うものの、経年変化の方向性は分野全体が置かれている状況を示しているように思えます。

 次に、それより少し「格上」の雑誌を調べてみます。Cell Pressが出している雑誌のうち、Cellは2005、6年まで急激にEFnが下降、そこから少し値を持ち直しています。Molecular Cellはその逆で、2007年くらいまで上昇し、そこからは横ばい。Developmental Cellは2007年まで上昇し、しばらく横ばい、2011年からは下降に転じています。分野としての共通なことと、その雑誌ごとに特異的なことがありそうなので、さらにNature姉妹誌を見てみます。Nature Cell Biologyは、2003年以降ずっと横ばいでしたが、この雑誌も2011年頃からEFnは下降傾向で、Dev Cellと挙動が似ています。

 長期下降傾向の雑誌は分子生物学、細胞生物学系のため、その分野をカバーする他の雑誌も見てみましょう。分子細胞生物学分野で、分子生物学寄りの雑誌であるMolecular and Cellular BiologyはJBC、JCBと似た20年間漸減タイプ、一方、細胞生物学寄りのMolecular Biology of the Cell, J Cell Scienceは2011年をピークとするタイプでした。うん、だんだんわかってきたような気が。

 ということでここまでのデータから、生化学を含めた分子生物学は、この20年間、注目を浴びて引用数が伸びる論文が全体としては減っているのではないかということがまず1点。まあ分野が成熟したということになるのでしょう。もう1点は、おそらく2011年前後に、これまでの論文投稿行動を変える大きなできごとがあり、その変化は特に細胞生物学系雑誌に掲載されていた論文に影響を与えたのではないかということ。さて、その出来事とは、おそらく、オープンアクセスジャーナルの登場なのでしょう。PLoS One, Scientific Reports, Nature Communications, 少し遅れてeLife。こいつらはどれもEFnが右肩上がりで上昇しています。2011年をピークにEFnが下がり始めた雑誌は、おそらく、オープンアクセス誌のあおりを食ったということなのでしょう。このような傾向の中で、分子生物学系でもインパクトが最近漸増している雑誌があります。それはNucleic Acids Research。次世代シークエンス技術の発展という時代背景があったとは言え、この雑誌がこの間取ってきた戦略には学ぶべき点が大いにありそうです。

 さて、先に述べた「分子生物学オワコン」説ですが、Clarivate Analysis社のInCites Essential Science Indicatorsのデータはとても興味深いものでした。そのサイトに行くと、各研究分野の年ごとの論文数、被引用件数を調べることができます(実際には、雑誌ごとにいずれかの分野に割り振られているので、論文の純粋な内容までが考慮されているわけではなさそうですが)。分野「分子生物学および遺伝学」はここ10年間、年ごとの総論文数は増えている一方、被引用数の合計は同じ割合では増えておらず、1論文あたりの平均被引用件数が減少しています。生物学関連分野でも、「植物および動物学」では平均被引用件数は増加傾向、「生物学と生化学」「微生物学」はほぼ横ばいです。論文あたりの被引用件数が減少している分野として分子生物学は際立っていて、物理学や化学、臨床医学は10年間でその値が120〜130パーセントも増加、神経科学では110%増加しています。つまり、「分子生物学および遺伝学」はかなり成熟したところに行き着いてしまっているということなのでしょう。分野がもともとそのような状況であったところに、オープンアクセスジャーナルが登場したことで、かろうじて元気が残っていた細胞生物学寄りの専門誌にトドメを刺したのだろうというのが今回の結論で、分子細胞生物学系専門誌がこの先復活するための道のりはかなり険しいと言わざるを得ないようです。

追記:Nature, Scienceや、先に紹介したオープンアクセスジャーナルの多くはClarivate Analysis社の解析ではMultidisciplinary(学際)に分類されていると思われます。学際分野は、この10年間で論文数が150%になっています。自信作を専門誌ではなく学際誌に出そうとする分子生物学研究者のメンタリティー(他分野に比べてそういう志向が強い?)も、分子細胞生物学系専門誌低迷の根底にあるような気がします。

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AkiraMatsuura

マガジン2

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