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INTELLIGENCE episode Ⅱ

趙嫩黄は、京都タワーの出入口がある脇道に入ると歩速を緩め消えるように京都タワー内に入っていった。
地下一階と二階を数回往復しながら、時折土産物屋に入るなどして消毒作業を行うと、先ほどの出入口から京都タワーの脇道に出て、もう一本先にある道を曲がり、室外機の熱風を受けながら古びた雑居ビルの二階にある中華料理屋に入っていった。
時間は正午より少し前だが、狭い店内のテーブル席は既にうまっており、趙嫩黄は滑り込むように一番奥のカウンター席に着いた。

「タンメンと半炒飯のセット。」
ぶっきらぼうに注文する。

趙嫩黄は、昼飯を食べに来ている京都駅周辺に勤務しているサラリーマンを装うようにスーツを着ている。
エアコンの効きが悪いので、小さな扇風機が意味があるのか無いのか解らないが、少しはましという程度にまわっていた。
趙嫩黄は煙草に火をつけ、うまそうに紫煙を燻らす。
近くの工事現場で働いているのであろう作業着姿の男達が、各々に伝票を手に持ち席を立ってレジに向かう。

「お待ち、タンメン半炒飯ね。」
趙嫩黄はタンメンと半炒飯を受け取ると、視線はテーブル上のタンメンと半炒飯に落としながら徐に店主であろう男に訊ねた。

「あの作業着姿の男達の中に一度だけ微かにだが此方を視た奴がいた。何か知っているか?」
店主であろう男も趙嫩黄の方を全く見ずに、麺の茹で加減を確かめながら「そこの先、曲がったとこ、ちょっと前まで寂れたストリップ劇場あったろ、あそこを壊してマンションが建つらしいんやわ。二~三週間前からちょくちょく来てはるわ。気にしとこうか?」と、ぼそぼそ話した。
「頼む。」

趙嫩黄はタンメンと半炒飯を綺麗にたいらげると、再び一本煙草に火をつけた。
何事かを自分の伝票に書き込むと、煙草を咥えたまま伝票を持ってレジに向かう。
先ほどの店主であろう男に伝票を渡すと、一瞬伝票を見る眼を見開いたがごく平静に千円札を受け取ると、釣り銭とレシートに何事かを書き加えて趙嫩黄に渡した。

「ご馳走さん。」
「毎度。」

趙嫩黄が渡した伝票には、"角のテーブルの二人、二課?CIA?"と書かれており、男が渡したレシートには、"二課、たぶん追う、今日は無し。"と書かれていた。

趙嫩黄は階段を降り、外に出ると右手に見える阪急ホテルの裏手側から脇道に入り、再び京都駅前のバスロータリーに出た。
そのまま京都駅を突っ切って、駅の反対側にあるタクシー乗り場に向かうことも考えたが、自分を追尾するであろう先程の外事二課の二人の男の行確能力がどれ程のものかを確かめたかったのもあり、趙嫩黄はバスロータリーの途中にある京都駅前地下街Portaへの階段を降りていった。

直ぐに視界の端でとらえたのは、右前方四十メートル先の階段から降りてきた男であった。
先程の中華料理屋にいた外事二課の二人の男のうちの一人である。
Portaの通路は京都市内のように碁盤の目になっている。
趙嫩黄が歩き出した方向と同じ方向を平行に二課の男は歩き出した。
さて、のってみるか。
趙嫩黄はもう一人、それと恐らくもう一人か二人追尾者が増えるだろうと予想しながらPorta内を移動する。

外とは違い、Porta内は空調が効いていて涼しい。
観光客、買い物客、京都駅周辺で働く者、出張中のサラリーマン、手配師、部落出身者、浮浪者紛いの者、在日朝鮮人や在日韓国人等、人の数も多く人物像も様々だ。
特に他の駅ビルや地下街と異なり通路は市道の為、又京都特有の土地柄もあり、手配師や部落出身者、浮浪者紛いの者も買い物客や通行人の迷惑だからと無下に追い払うことが出来ない。
手配師とは、浮浪者紛いの者や部落出身者など実態として一般社会から疎外されている者に簡単な仕事や情報などを与える者で、一般的にはあまり公に出来ないような事案を扱っている会社や団体から金を受け取り生業としていた。

そして、そのような本来の表向きの京都のイメージとは裏腹な、暗部としての京都の実態を後押しする貌となるのが、部落解放同盟(解同)、在日本大韓民国民団(民団)、在日朝鮮統一民主戦線(朝鮮総連)の三つの組織団体の存在である。
こと在日朝鮮統一民主戦線に於いては、朝鮮総連中央議長をはじめとする幹部が朝鮮民主主義人民共和国の代議員(日本の国会議員に相当)を兼任しているという由々しき事態もあり、破壊活動防止法に基づく公安調査庁による調査対象団体となっている。

日本人を拉致し、日本国を破壊しうる可能性を持つ国家である朝鮮民主主義人民共和国が国家の政策及び、政治指針が北朝鮮を世界全体の先ず第一とした主体(チュチェ)思想であり、共産主義的全体主義に基づき、実態として平和主義や、諸外国との調和の中での国家の確立を国家として否定するのであれば、その悪しきイデオロギーに荷担するあらゆる政党や団体はその存在自体を許されるべきではない。
それ故に、そのイデオロギーを根本と成し、相手の出方論に於ける暴力行為を全く否定せず、暴力による破壊活動(彼等はこれを革命と位置付ける。)の果てにユートピアを手に出来るという考えを否定しない日本共産党なる政党が何故日本国内で存在しうるのか(勿論、日本共産党も破壊活動防止法に基づく公安調査庁による調査対象団体である。)その存在自体が甚だ疑問なのであるが、日本国憲法では"結社"が認められている以上、現実社会に於いて異常な事態であるとは云え、それが又日本全体そして特に京都の京都たる由縁の土着的現象と云えるのではあるまいか。

とまれ、そういった日本人の社会生活を脅かす破壊活動を行う可能性のある団体や、関わることで個人並びに身内や周辺の者に何らかの被害が及ぶ可能性のある団体の存在が京都特有の社会の空気を生むに至っているのである。
京都では、外見上見るからに怪しい"そういった人物はまず職質されない。
逆に何の問題も無さそうな会社員や学生が制服警察官の仕事の辻褄合わせのように職質される光景をよく見かける。
成人したのかどうか微妙な感じのヤンキーが駅前で昼間から缶ビールでも飲もうものなら、鬼の頸をとるように制服警察官が三~四人何処からともなく現れて職質を始める横を、肌が赤黒く髪がバサバサな目付きが異様な男が時折奇声を発しチェーンを振り回しながら歩いても見て見ぬふりをするのは、京都では珍しくない光景である。

趙嫩黄は通路を歩きながら、Portaにテナントとして入っているショップの店頭商品を視界の端にとらえながら、母の美しいワンピース姿を思い出していた。
薄手のカーディガンを羽織ったワンピース姿の母と初夏の鴨川沿いの道を一緒に歩いたことが、幼き自分の記憶の中で最も好きな思い出であった。
京都という街で生まれ育った趙嫩黄は、ふと思うことがある。
革命戦士としてこの国の政治経済そして社会全体に混乱をもたらせ、日本と日本人を窮地に追い込む。
では、母と暮らしたこの京都の街は?母と歩いた鴨川沿いの道は?破壊しろと?

通路を右手に曲がり、地下鉄乗り場階段方面に向かって歩いている時、左側後方の階段から降りてきた男の視線を感じ、趙嫩黄は母との甘い記憶と革命戦士としての疑念を頭の中から一瞬にして消し去った。
そのまま通路を真っ直ぐ地下鉄乗り場階段方面に歩いて行くと、その手前に通って来た通路と垂直に伸びる大きな通路があり、其処に移動式の観光案内ブースがある。
そしてその観光案内ブースの向こう三十メートル先から趙嫩黄と平行に一本向こうの通路を歩いていた外事二課の男が向かって来る。

さあ、どうする?

観光案内ブースには黒ぶちの眼鏡をかけた髪の長い女が座っていた。
見かけない顔だ。
やけに落ち着いている。
CIAかシックスのウォッチャーだな。
趙嫩黄は観光案内ブースに近づいていく。
勿論、左側後方から歩いてくる外事二課であろうもう一人の男の気配も背中に感じながら。

趙嫩黄の右側三十メートル横をはじめの外事二課の男が何の気配も感じさせないまま素通りしていく。

やるじゃない。
気づいているけど。

そして、外事二課のもう一人の男も趙嫩黄の五メートル後ろを通り過ぎ、地下鉄乗り場に向かう階段を降りて行った。

ほう。
でも、左耳のイヤホンで仲間からの指示を聞いていたね。
俺をチェイスするなら音切っとかないと。
というより、イヤホンなんか外そ。
失格。

観光案内ブースの眼鏡の女が、趙嫩黄が近づいて来るのに気づき、少し首を傾げながら笑顔を見せる。

「Do you know somewhere nice hotel but I'm looking for hotels around the station.」

趙嫩黄は、どういった反応をするか確かめる為、いきなり英語で訊ねてみた。
眼鏡の女は観光案内ブースによくいる女よろしく、辿々しくも単語を強調した必死に答えてますという英文で返してきた。
ただ、案内してくれたリーガロイヤルホテルの"リ"と"ロ"の発音があまりにも良すぎたな。
「有り難う。今度河原町で鮨でも喰おう。」

趙嫩黄はそう言うと、振り向き、地下鉄乗り場階段に向かいかけたところで急に右側からゴミ収集の大きなカゴをロープで牽いた男が現れたので、反射的に軽い身のこなしでかわしてしまった。

しまった。
お前が三人目の男か。

「あっ、どうもすんません。」
初老の男は頭を二度三度下げ謝りながら趙嫩黄の横を通り過ぎていく。

試されたのは俺の方か。
まぁいい。

趙嫩黄はそのまま地下鉄乗り場階段を降りていき、地下鉄烏丸線に乗った。

先程の外事二課の連中は追ってこないだろう。
俺にバレたとわかった筈だ。
二度と俺の前には姿を現さないかもしれない。
俺のことを確かめる為に三人使ったか。
三人目の爺さん、厄介だな。
趙嫩黄は、そんな事を考えながら二駅先の四条で降りた。

先程のゴミ収集の大きなカゴをロープで牽いていた初老の男が従業員専用扉の向こうへ消えていくと、同時に初老の男の作業ズボンのポケットに入っている携帯電話の着信バイブが鳴った。

「なんじゃ、見とったんか。」

「あいつ、なかなかヤバそうだね。まさか爺さんまでが出てくることになるとは思わなかったよ。」

「仕方ないじゃろ、相手が相手じゃ。今まで全く尻尾の先すら見せなかったんじゃからな。三上はともかく、富樫までバレたのは計算違いじゃったがの。」
「CIAのネーちゃんに近づいていく時、ほんの一瞬じゃが富樫を気にしておった。見てはいないがの。」

「富樫でもダメかぁ~。」

「恐らく、阪急ホテル裏の中華屋からバレとったんじゃろ。三上にも予め言っといたんじゃが、イヤホン外すの忘れておったわ。」
「じゃがまぁ、これで先ずは漸くあいつが工作員だと確信が持てたじゃろ。」

「うん。そうだね。」

「ところでQよ、お前さんはよく見つからずにおったの~。」
「いつから尾行けてたんじゃ?」

「中華屋からいたよ。」

「ほう。バレなかったのか?」

「うん。一人わざと一瞬あいつのこと見させたんだけどね。」
「俺はその向かいにいた。」

「相変わらずたいしたもんじゃ。」

「いや~、でも今回の相手は神経使うぜ。」

「これからどうするんじゃ?」

「うん。先ずは一人尾行けさせてるんだけど、もしバレてなければ俺も後から合流する。」
「あと、今あいつの素性可能な限り洗わせてるから。なかなか掴めなかったけど、あいつの両親やっぱり工作員だったわ。」
「もう二十年位前の捜査資料で、当時のことだから結構無茶したんじゃない?隠しに隠して、なかなか確信をつくデータが出てこなかったんだけどね。」

「じゃが出て来たんじゃろ?」

「うん。父親は拷問された後、自殺に見せかけて殺されてる。これにはどうやら一課が絡んでるらしいんだわ。しかも釘宮。」

「そりゃ厄介じゃの。」

「だろ?」
「うちの深沼みたいな奴だったら良かったんだけどね。」

「いや、あいつはあいつで厄介じゃ。」

「クックックッ…。後でロンドンにメールしておくよ。」
「あと、母親はあいつが十六歳の時に自殺してる。これは他殺の疑いも含めて捜査されたけど、"一応"自殺ということで処理されているんだよね。」

「うむ。つけいる隙があるとすれば、そこか?」

「いや、全く動じないと思う。ただ、これが仕組まれた"自殺に見せかけた他殺"なら話は別だけどね。」

「ほう。」

「まだ確証はないんだけど、過去の捜査資料と俺の筋読み、其処に釘宮が絡んでくるとなると、あいつの母親は間違いなく釘宮が育てたダブル(二重スパイ)だ。」
「あいつの父親が消されてから母親が消されるまでの間に、富山と新潟の県境で二名、福井で一名、京都で三名が行方不明になっていて、うち四名が1000番代にリスト入りだ。警備局長が交代し、関係のあった各県警、府警の幹部が入れ替わって、朝鮮総連中央議長が帰国後更迭されている。」
「だが、拉致の証拠となる工作員の持っていた日本人名が記載されたリストと、輸送ポイントの記されたメモの存在をおさえた釘宮は一気に一課のトップに登りつめた。」

「じゃが、母親も死んどるしの~。」

「まぁ、釘宮は必ず俺が追い込んでみせるよ。約束は出来ないけどね。クックックッ…。」
「あと、爺さん、これは今度ゆっくり話すけど、もう一つかなり厄介なことが絡んでくると思うから
楽しみにしといて。」

「もう勘弁じゃ。」

通話はそこで終わった。
年寄りをこき使いやすいおって。

そう一人ごちた後、荷捌き場脇にある従業員更衣室に入ると作業着を脱ぎ、カツラや付け髭を外し、スーツ姿になる。
鏡に写る男は、どう見ても三十歳前の精悍な青年であった。

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