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「滅亡について」と「名探偵コナン」

武田泰淳の「滅亡について」にこんなことが書いてあります。

「滅亡を考えることには、このような、より大なるもの、より永きもの、より全体的なるものに思いを致らせる作用が含まれている。」


 しかし、今の私達には、この滅亡を考えることすら奪われていると思うのです。奪っている犯人は、あの体は子供、頭脳は大人という「名探偵コナン」です。

 名探偵コナンの物語の中では、全てが合理的に説明することができます。犯人の動機、謎の合理的な説明、人々の一挙手一投足すべてに説明がつきます。あの物語世界には不合理がありません。

 名探偵コナンの世界では、なぜ不合理がないのか。それは、すべてをコナン君が説明し解決してくれるからです。コナン君ができないことは、あの世界にはありません。もし、彼が破綻することがあれば、それはあの物語世界そのものの破綻です。滅亡です。

 私達の現実世界には、コナン君はいません。しかし、科学や経済学が彼の代わりを務めてくれます。科学万能万歳です。

 現実世界がそうだからこそ、私達はコナン君を受け入れ、長い間、人気を保っているのでしょう。つまり、コナン君の物語世界が滅亡しないのと同じ理由で、私達の世界にも滅亡はありません。つまり、私達が滅亡に触れることはないのです。

武田泰淳は上の「滅亡について」のなかで、敗戦という滅亡を経験した日本について、こう書いています。

「こと処女を失って青ざめた日本の文化人たちは、この見慣れぬ「男性」の暴力を、どのようなやさしさ、はげしさ、どのような肉の戦慄をもって享受するであろうか」

 ここで「男性」暴力とは、科学によって引き起こされる近現代の戦争とその惨禍のことです。

 コナン君の例えでみると、日本人は処女を失った後、必死に自分の部屋と妄想の世界に逃げ込んでいるように見えます。

まさしく、「体は子供、頭脳は大人」です。