見出し画像

とまとおじさん3

 どんな仕事でもそうだろうが、その仕事に従事した人だからこそ得ることのできる知識、経験に基づき新たに生まれる視点がある。成熟するために必要な時間を経て言葉にできる時が訪れる。言葉にすることで理解できるものごとがある。懸命に毎日を過ごす中で言葉にせずとも身体に吸収され消えていくだけの真意もある。試行錯誤を繰り返し社会の中で何者かに成っていく私達はただ、目の前のことを実直に真っ当にやっているだけに過ぎないのだが、人との交わりの中で時として自身の正義が誰かにとっての悪にもなることもあれば、その逆もまたしかりである。

あの夜以降、母の店に行ってもとまとおじさんの姿を見ることはなかった。最初のうちは寂しいと思っていたけれど、徐々にとまとおじさんを思い出すこともなくなり、母が客のひとりひとりを気にかけながら胆大心小な接客を行う姿を見るうちに、とまとおじさんを出入り禁止にしたことは正しかったのかもしれないと思うようになっていた。私のことを邪険にはせず楽しく話せる唯一の大人だったが、母にとっては店を運営する上で厄介な客のひとりだったのかもしれない。そう考えるように至るのは8年後、母が店を畳むと決めた頃で私は18歳になっていた。

ここから先は

3,902字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?