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おさまる。

 私の祖父は筆まめだった。しかもただの筆まめではない。
購入した電化製品には必ず元号と日付を記入し、孫や息子達が遠方へ行った際のお土産として購入してくる記念品(置き物や装飾品)にも元号と日付、そして「麻衣より。熊本、阿蘇の旅、土産品」というメモまで直接記入されていた。
黒電話が置かれている目の前の壁、名前と電話番号が大きく記載された手書きの電話表が貼られ、壁掛けカレンダーには月の満ち欠けが記されていた。写経は毎日のことだったし、テレビのチャンネル(ガチャガチャと回すタイプ)の横には放送局とその数字が書かれた表が貼ってあった。
しかも、それら全てフォントが違うという徹底ぶりだった。今になっておもうとレタリングの才能があったのではと思う程、デザインとしても美しいものだった。パソコンやワープロなどまだまだ普及していなかった時代。祖父の字はいかようにも変幻自在で毎日目にする度、気分がよくなるひとつでもあった。
7歳から10歳まで、祖父に勧められて毎週水曜日は習字と硬筆を習っていた。日記をつけるようになったのも祖父の影響だ。よくよく考えると、見汐家の人達は筆まめだ。これは多分、気質。血筋なのだと思う。

 去年の暮れ。生前、祖父が毎日付けていた手帳を始めて開いて見た。
そこには都度、気になった新聞の切り抜き(情勢、事件、コラム、悩み相談まで多岐にわたる)が糊で貼られており、また毎日の出来事が記録として簡潔に記載してあった。

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