「さらざんまい」の最終回について少し考えてみた

 今期のアニメで唯一観ていた「さらざいんまい」が最終回を迎えました。

 私のグーグルさんが「さらざんまい」の最終回の解釈で、主人公たちの死亡説があって論争が繰り広げられていることを教えてくれました。3人が死んでいるとか、そんなこと一ミリも感じなかったので、多種多様の解釈はおもしろいなぁと。
 誰がどう感じようと、それは人それぞれのアニメの楽しみ方なので、どうでもいいのですが、折角なので、私もラストについて考えてみました。

 私が考えるに、水中は過去のメタファなんです。
 本編中に回想シーンに水中の海藻が何度も映りますよね。回想と海藻をかけたダジャレではあるのですが、もし海藻を映したいだけなら、バリエーションを持たせて食卓の海藻サラダでもいいはず。それをせず、水中の海藻を何度も見せるのは、回想=水中を印象付けるため。
 当然ですが、回想は過去の出来事です。本編で語られる回想は、本人にとっては身動きがとれなくなるぐらいの足かせであったり、息が苦しくなるような出来事だったりします。
 水中も同じです。水中に潜ると息がができないので苦しいです。水の抵抗があるので、思うように動けません。とうことで、水中は過去と同じ苦しさが伴うため、メタファといえるのです。

 水中は過去のメタファということを踏まえてラストを見てみましょう。
 久慈が少年院からでて、橋から飛び降ります。これは過去を精算する為の儀式です。少年院でお勤めをしたからといって久慈は救われていません。少年院のエンディングで流れるStand By Meは久慈の心の叫びなんだと思います。
 着水の瞬間にサブリミナル的なカットが挿入されてます。ここまでの久慈が少年院をでて街をさまようシーケンスが、一話の一稀のシーケンスと似た構成になっています。一稀の頭上に(ア)の看板が落ちてきます。これと同じ事が久慈にも起こったという事でしょう。
 水中にいる久慈の元に、二人が現れます。着水した瞬間の水しぶきのショットが挿入されているので、二人も橋から飛び降りたことが分かります。
 3人は光が差し込む水面に向かって泳ぎます。彼らは、暗い過去から明るい未来へ向かうのです。最後の久慈の笑顔は過去を吹っ切れた現れなのではないでしょうか。

 ケッピが(次)と書かれたの皿を持っていたり、最後の最後のショットで止絵ではなく→方向の動きながら終わっていたので、続編もあるかもと少し期待しています。

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