見出し画像

6/25 歳を言い訳にしない

若いというのは時に強烈な羨望の対象になる。
しかし、それは間違っているのだ。

「25歳の突き抜け方」と題した記事だが、これ25歳時点でできてる奴いたらそりゃぁすげぇ人になるよ。自分が25歳の時にこの記事を読んだとしても、実行には移せなかっただろう。「知ること」と「実行に移すこと」の間にある大きな溝は、そう易々と乗り越えられるものではない。

そう考えると自分の器?というのは彼らのものと異なるし、それは大小の違いなのか、深い浅いなのか、形状なのか、とにかく異なる。25歳では気付けなかったが、今はそれを実行できるようになってきている。それが私。

例えば、次のやり取りを参考にしたい。

田端 有名コンサルタント、トム・ピーターズの『ブランド人になれ!』に「(上司に)許可を求めて歴史に名を残した人物がはたして何人いるだろうか?」という言葉があります。許可を求めず自分で判断することがブランド人への第一歩となるということです。なので、会社員の人たちは上司に許可をとらずに、どんどん会社でやらかしたらいいと思います。

箕輪
 すごく分かります。「失敗するかもしれないけど、やっていいですか?」って聞くのは、「失敗しても僕の責任じゃないですよね」って最初から上司に責任を押し付けているようなものです。最終的には全部自分の責任だという覚悟があったら、許可なんてとらないで腹をくくって勝手にやる。 だから、事前の許可をとっている時点で、ちょっとサラリーマン過ぎますね。

ありますよね?こういうこと↓

自分としてはこの仕事やりたいと思っているのに、上司が良い顔をしない。チームのみんなもやったことが無い案件で前向きに考えようとしない。自分独りしかいない。で、社内や社外の人を頼って知識をつけて、プラン作って、クライアントに提案までこぎつける。

「それ、受注確度どれくらい?」とか「クライアントは予算確保してるの?」とか「オリエン無いんでしょ?」とか嫌味を言われたり、無関心決め込まれたりして、それはそれは折れそうになるんだけど、それでも意地でやり通す。

やり通したことで「なんだ、俺できんじゃん」とか「思うようにはいかなかったけど、まぁまぁのとこ行ったじゃん」となる。単なる自己満足だけじゃなく、経験も人脈もオマケでついてくる。

たしかに、上司が良いと言ったことだけやってるサラリーマンになると、そもそも楽しくない。

ただ、田端さんが言っていた次の視点は無かった。 その辺りが、まだ自分の甘いところなんだと思う。

田端 ただし、最後に上司に花を持たせることは大事です。例えば、豊臣秀吉は戦で勝ちそうになった瞬間に「殿! このままでは、私の力では持て余します。ぜひ、応援を」って言って織田信長にパスするんですよ(笑)。そして、最後に出て行った織田信長がとどめを刺す。

そして、話は「打たれ強さ」と「自己肯定感」に移っていく。

むかしnote.に書きましたが精神的にやられて休職する羽目になったことがあります。同じ経験をしたいと思わないし(絶対に思わない)、人にも勧められたもんじゃありませんが、その期間に良い意味で開き直ることができて「打たれ強さ」「自己肯定感」というものを手に入れた。手に入れたというと前向きに聞こえますが、身に付けざるを得なかったというか、そうしないと死んでいたかもしれないと振り返って思う。

結果論で身に付けた訳ですが、それで仕事への向き合い方は確実に変わりました。

箕輪 例えば地方転勤も命じられて本当に嫌なら断るべき。でも地方転勤すると決めたなら、行く日までには「自分が行きたいから行くんだ」って心の切り替えをしておくべきですよね。どんなことでも自分を主語にして、自分が人生の主導権を握っている形にしないといけない。

田端 そう。自分なりに、自分を納得させられるかどうかは大事です。行った後も、嫌々言っているのが一番ダサい。

箕輪 うまくいかなかったときに、上司がどうだとか騒ぐのはダサいですよね。どんな無茶振りでも、最後俺がやりたいんだってところまで気持ちを持っていく。そう言い切れるなら、やればいいんですよ。でも、どんなに頑張っても無理な場合は断る。自分の人生は責任も決断も自分が負うべきですね。

やりたい仕事も、やりたくない仕事も、主張するには覚悟がいる。覚悟を持ってやってる人って何となく分かる。他人任せにしないし、他人を主語で話さないし、良い意味で前のめりである。

この記事は25歳という数字が明示されているので、「私はもう遅いんだろうか・・・」と悲しくなるのですが、そこを田端さんが上手くまとめてくれました。

田端 同じことを30、40歳を過ぎてやっていると、だんだん「あいつイタい」と思われます。ただ、それでもいいと受け入れるのもかっこいいし、そういうメンタリティを持った人は年齢問わず「若手」と言えるかもしれない。生物学的な年齢は関係なく、とにかくハングリーにバカをやれるってことが若手力じゃないかな。そうした人々が、次の世界を作っていくと思いますよ。

年齢というのは凄く便利な基準で、若いとか老いたとか言って自分をそれ相応のカテゴリに置こうとするけど、その行為自体が間違いの始まりだったりする。その世の中が用意した便利な基準に乗っかってしまうと、「今だ!」とか「もう遅い」とかやらない理由を外側に1つ作ってしまうことになるので、仮に世の中を上司の比喩とするならば、そこは自分を信じて年齢に抗っていくことも、このお三方がいう重要なポイントであると思う。

年齢を言い訳にし始めると、どんどん早期化していくのが目に見えている。学生の頃から、子どもの頃から。。。。

そうじゃなく、自分が信じる基準を持つことこそが重要で、たまたま25歳というキーワードを使っているけど、例え私が何歳であれ、あなたが何歳であれ、覚悟を持って生きていくということが何より重要だろ!ということだと私は学んだ訳です。


もしサポート頂けることがあれば、それは金額の多寡というより、そのお気持ちが私に多大なる自信を与えてくれます。それに感謝致します。