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6/18 向けられる悪意に対して

大阪府吹田市の交番で痛ましい事件が起きた。

犯人の親御さんがカンテレの常務ということが話題になり、 ネット上ではエリート親を持つ息子の犯行ということで、元農林水産事務次官の事件と関連付けて語る人が多いようだが、それ以上に気になることがある。

警察では相次ぐ交番襲撃事件への対応として、様々な対応を行っている。

・盾や、さすまたなどの装備の配置場所再点検
・訪問者と対応する際、相手と一定の距離を置く
・耐刃防護服の常時着用
・警察官の複数配置
・新型ホルスター(拳銃入れ)の配備

このニュースを聞いて思ったのは、なんだか警察が一般市民を恐れているのではないか?ということ。

警察が?

一般市民が凶悪化している。様々な情報にアクセスすれば過去の事件を参考に綿密な犯行計画も立てられてしまう、市販のモノで犯行道具も揃ってしまう。そんな恐ろしい世の中だ。

何を持って凶悪化と言えるか分からないが、内面でどんな悪巧みをしているかなんて、測りようがないのである。CX系アニメ「PSYCHO-PASS」では、シビュラシステムが人間の犯罪係数を特定し、犯罪者や犯罪を犯しそうな人を事前に把握するなんてシステムであるが、現代にそんなモノは存在しない。とすれば、警察はどんなに善良風に見える市民であっても疑って掛かるしかない。そこに恐れが隠れているような気がしている。 悪人は悪人顔をして寄ってこないのである。

シビュラシステムとは、人間の心理状態や性格的傾向を「サイコパス」という値で数値化し管理するシステム。 作中では犯罪係数と呼ばれるパラメータが上昇し、色相(心理状態を色として視覚化したもの)が濁ると、シビュラシステムの携帯型心理診断・鎮圧執行システム「ドミネーター」を携えた公安局の刑事によって強制執行されてしまいます。 ※ウェブサイトより

教育現場における先生と生徒の関係も然り。

体罰や言葉の暴力に学校側が敏感になる余り、生徒は先生を舐めきっている。立場を利用した先生イジメもあると聞く。家でどんなに真面目でも学校で悪さするし、先生の見てないところで恐ろしいことを考え実行してしまう。子どもは純真などというのは幻である。

このように、本来弱いと思われていた一般市民や生徒が凶悪なものとして再定義され、彼等と対峙する際には武力(あるいは防御力)・法的拘束力などを持って対峙するしかなくなる、恐れる存在になる。

警察は紛れもない国家権力である。

警察組織として捉えると、我々個人は到底太刀打ちできる存在ではない。

一方で、一般市民と警官という「個人vs.個人」になったらどうだろうか?

吹田市の事件のように、ラグビー経験者であり普段から訓練も怠っていないであろう警察官が、一般市民によって刺傷される事態が起きた。犯人は格闘技を習っていた訳ではない(海上自衛隊にいたとか?)、どこにでもいる普通の30代だ。警察官は不意を狙われたのかもしれない。しかし、名目的な力関係に意味はなく、警察官に対する一般市民による犯行が成立してしまった。

「個人vs.個人」においては、権力も何も関係ない。

双方とも武装していたけれども、「殺してやる」という悪意の前ではどんな権力も、武装も意味が無かったのだと思わされる。

川崎バス停で起きた事件もそう、「何としてでも殺す」という全く理解できない悪意をベースにした覚悟の前では、誰もが無力になってしまうのではないかと思うと、とても暗くなる。そんな事件が立て続けに起こっている。

幼稚園バスの運転手がさすまたや警棒を持たされて訓練する映像が流れたけど、そんなモノがどれほど役に立つのだろうか。何をどうしたらこういう事件に繋がるのか分からない以上、予防の仕様がない。

我々、普通の市民は「隣人の悪意」に対してどう向き合えば良いのだろう?正直、まったく分からない。


※画像については「僕のヒーローアカデミア」からお借り致しました。  

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