見出し画像

小説 ファッキン・ナイス・ワーク #4

「インスパイアされたいんですよ」とその若者はいった。
「動き出せるような何かがほしい。やるべきことが、やりたいことがほしいんです」
 ファミレスで俺と若者は向き合っている。ドリンクバーを使って各々の飲み物をテーブルに置き、飲みながら、若者は語り、俺は手帳に話のキーワードを書いていた。
「方向としてはなんかないの? 芸術だとか表現だとか、仕事の幅とか副業とか」
「ないんですよ。もう、何もわからないんです」そういって目を落とす。
「好きなものは?」
 若者は黙り込んだ。好きなものさえないのか、と呆れそうになったとき、写真が、とぽつりといった。
「写真が好きです」
「じゃあ写真撮ればいいじゃん」
「いえ、正確には、写真集を眺めるのが好きというか」
 ふーん、という。手帳に書く。
「写真見ててインスパイアされる?」
「ああ、それはあるのかもしれません。動き出したりはしないんですが」
「俺はどうしたらいいんだろうな。君を刺激すればいいのかね」
「そうですね、それをお願いできたら」
 わかった、と答えて、ウーロン茶を飲み干す。
「写真を百枚撮ってくる。俺は素人だけど、スナップとかだな、そういうのを撮ってきて君に見せる。それが役に立ったらカネをもらう」
「いくらになりますかね」
 怯える若者に、安くしとく、といっておいた。

 部屋で埃をかぶっていたコンデジをひっぱり出した。充電をして、それから何日間かかけてあれこれと撮り歩いた。街を行く。人ごみの様子などはおもしろい。最近はピンクとか緑とか、派手な髪をしているのが増えた。黒い頭の群れにそれがあると画面の中で目立つ。裏路地の風景なんかも味がある。ヒビの入った窓ガラス、放置された植木、古びた看板、腰の曲がった老婆の、買いもの帰りの後ろ姿。夕暮れどきには茜色の空が綺麗だった。その空の前景に電柱を置いて撮る。その他、気になるものは片っぱしから撮っていき、写真は結局二百枚を超えた。それらを全部タブレットに転送した。

 連絡をとり、もう一度若者に会った。この間と同じファミレスの同じ席だ。タブレットに写真のアプリを表示させ、こんなもんだがまあ見てくれ、といって手渡した。内心ビビっている。こちらはズブの素人なのだ。表現を人に見せること。それがこれほど怖いものだとは。
 若者はタブレットをスワイプし続けた。心持ち目を大きくし、画面のあちこちを見て、息をしてないんじゃないかというほどに集中している。そうして何もいわないので、俺も落ち着かない。
 見終わったところでこちらを見た。なんだか、という。
「なんだか、誰かの視点で見るというのが、こう、いいですね」
「どういうふうにいいんだろうな」
「僕はこういうふうには世界を見てなかった。街だってもっとつまらなく見えていた。だから新鮮です」
「こんなのでさ、インスパイアされて動き出せるか?」
「なんというか……。僕も写真を撮りたくなりました」
「それ写欲っていうんだよ。写したい欲求」
「はあ」
「いい写真が撮れたら見せてよ」
 そういうと頷いた。写真のコピーが入ったUSBメモリを渡し、安めのギャラを受けとって解散とした。
 若者とはそれから連絡をとっていない。撮影をしているのだろうか。好きなものが少なければやっていけないだろう。写真を眺めるだけじゃなく、まずは撮影を好きになればいい。そこから何かに広がっていければ、とは思うのだが、どうにも他人のことだから予想は立てられない。
 そこで気づいた。俺自身、俺のこの先の予想は立てられていないのだった。



サポートありがとうございます!助かります。