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【映画一日これ一本】第4回 バットマンは誤解を恐れない

人生は短いのに年1000本以上公開され続ける映画。毎日新しく1本見ても生きてるうちに見終わらないのでは?と気付いたので『同じ映画は二度と見ない』というルールのもとあらゆる手段で実行していくことに。この連載では映画を見て考えてみたこととその日あたりに思っていたことについて気ままに書いていきます。

こちらはあるいるnoteの共同マガジン「エンターテイメント研究会」にて連載しています。連載単体のマガジンはこちら

日本のいちばん長い日

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広島県民にとって8/6は特別な日である。小学校では普通に平和学習があるほか、祖父が普通に被爆者であり胸にT時の手術痕があったことも普通に覚えているくらい身近に戦争を感じていた。

幼い頃は両親が共働きな上に家が近いということで、ほとんど祖父母の家で過ごしていたため夏が近づくとそういう話になるのは自然なことだった。怖がるといけないからと手加減してくれたのかもしれないが、戦争で兄弟を亡くした話や原爆のこと、特攻に行く直前で戦争が終わったことなどの話をしてくれたことを覚えている。どれも大まかな概要なのではっきりとした記憶ではないが、実感として残っている。

祖父のエピソードで言えば、一念発起でベンツを買いに行った際、門前払いのような扱いを受けたが乗ってきた旧式のマツダキャロルがあまりにも綺麗に手入れをされており、感銘を受けた代理店の人に認められ買い取りたいとまで言われたという話があった。よく冗談を言う人だったが、本人から聞いたわけでは無いので本当だと思う。絵に描いたように真面目で、いま思っても非の打ち所が無いと思えるのでこれからもたまに思い出したいと思う。

映像を見たり本を読んだりするよりも、家族にどうだったのかを聴くのがいちばん実感が湧いてくる。そんな日々があったから、今更声高に言ったりはしないが、ごくごく普通に戦争は反対であり、この実感があるだけで自分は大丈夫だと思えている。貴重な体験に感謝である。

そんな戦争がマジで終わってくれて良かったとただひたすら思う一本。


ジェミニマン

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もし人生をやり直せるなら、昔の自分にどんなアドバイスをするのか?自分の場合、特にアドバイスはしないと思う。というか、自分以外の人間や過去の自分を自分と思う感覚も持っていない。

ややこしい話だが、自分=意識だと思っている。この思考をして行動(今なら文章を入力)しようとしているものが自分であり、その外側に体がある。体は自分というよりは自分が入っている容器、モビルスーツのような感覚である。一心同体ではあるが、どこまでが自分か?と言われると入らないような気もする。

過去の自分に対しても似たような感覚がある。その時点での思考をしている自分と今思考している自分はつながっては居るが別の自分だと思っている。あの時の自分、でも今の自分とは(考え方が)全然違う、だから自分(今の自分)ではない。1秒前は黒歴史である。

過去はだいたい恥ずかしい。日々自分(特に意識)を更新することを目的として生活しているので、最新作が最高傑作、過去の過ちを超えて今がいちばんいい状態のはずなのである。だから極力昔の写真は見たくない。もちろんその時の自分の考え方なので否定はしないが、単純に未熟で恥ずかしい。こんなもんじゃ無い、この程度だと思われたく無いという誤解されたく無い根性が出てくるのかもしれない。

だがいくら中身が変わったと言っても人には伝わらないのも事実、最近はモビルスーツのことも少しは労ってあげようかなと思っている。

こんなこととは一切関係ないし敵の描写がなんだか現代的、それでいて90年代の脚本のようにさっぱり一本道なのでさっくりしていた一本。


バットマンリターンズ

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人間は嘘をつく生き物である。嘘はだいたいが辻褄があっていないため見破られる傾向があるが、ちょうど良くわからない嘘というのも存在すると思う。「正しいことを言っている」ことを証明することは本当のところ難しい。

よく考えると証言はなんとでも言えるし、証拠も何とでもなるので全然絶対を感じない。写真や音声はもちろん、映像もいくらでも捏造できるようになってきた現代。真実が写ってるから写真とはよく言ったもので、今では一番加工しやすい。もはや動かぬ証拠はどこにも無いように思える。

証拠は推測ならまだいいが、大半は憶測としか言いようがない。世の中のトラブルはだいたい憶測で起きているように、人間は思い込みが激しかったり自論にこじつけたりしがちなので、そこもまた難しく感じる。

裁判でさえも、人間が言ったことや証拠から憶測して判決を下す。被疑者も容疑者も嘘をついているかもしれない。本当のことを言っているのにそれを証明する手立てがない。状況証拠をでっち上げられたりあたかもそう見えるようにやったり、改めて世の中には絶対は無いと思う。

日々メディアから伝えられることも果たして正しいのだろうか、メディアだけではなくあの人から聞く話もねじ曲がっているんじゃないだろうか?裁判すら人間任せなのだから、日常も自分を持っていなければやっていけない。世の中でいちばん怖く虚しいのは誤解だなと思う。

そんな濡れ衣は映画でも度々登場していて、追い込まれるほどに晴らした時のカタルシスは多いように思う。見ている側は違うそうじゃ無い、と思っているからだ。誤解が解ける瞬間と正義は勝つは似たような感覚になるような気がする。

バットマンは誤解を恐れない。それは覆す術を持っているからだ。いつだってしゃくしゃく余裕で暮らしたい、そのためには万全の準備が必要なんだなと改めて思った一本。


いまのことコラム

「千鳥の超クセがスゴいネタGP」で前回同様歌ネタを披露した狩野英孝、今回はココリコ遠藤と一緒に今年のヒット「香水」を歌っていた。内容はもちろん面白く(裏切るだけなので単純な構造ではあるが、)ベタでとても面白かったが、狩野英孝のリズム感がとても気になった。

最近50TAで出した弾き語りもそうだが、狩野英孝の弾くアコギはだいたいいつも8ビートである。いわゆる90'sの「ドンパンドドパン」のリズムで、ブルーハーツのように一番頭にアクセントがある。一方「香水」は東京在住の若者らしくボサノバを基調、後ろにアクセントのあるビートになっている。聴けばわかることだが、こちらの方が確実にモダンに聴こえ、狩野英孝の演奏は普通に古く感じる。

日本人に限らずリズム感は年々鍛えられ細かくなり、近年では自然と16ビートが基本となっている。(もっと鍛えられている海外でヒップホップが流行るのは必然)そんな現代においていまだに8ビートを引っ張ってくる(それしかできない)のはとても古い感覚であり、90年代のリズム感覚とも言える。

あいみょんの歌が歌い辛いと明石家さんまがNHK「明石家紅白!」で言っていたように、生きてきた時代のリズム感がある。あいみょんの曲はなんてことないが、歌のリズム感がとても細かくその視点で見るととてもモダンであり現代的。それを歌えない明石家さんま。若者の歌を歌えなくなるというのは、その時代のリズム感を持ち合わせていないからだとわかる。

つまり昔の曲だから自動的に古く感じるのではなく、8ビートだから古いと感じることが大いにありえる場合がある。大御所たちが集まったバンドの新曲が新曲なのに古く感じる原因もそうだと考えられる。

逆にR&Bやヒップホップは16ビートの音楽なので、過去の作品であれ今でも聴けると思わされるものが多い。それがいわゆるレアグルーヴと呼ばれ、再評価の対象となる。もちろん8ビートを「あえて」と面白がる玄人もいるにはいるかもしれないが、誰が聞いてもモダンだと感じるのは16ビート以降の音楽である。

そんなわけで80年代から16ビートで作ってた人はナツメロになることなく、しぶとく強く生き残るようだ。そう、山下達郎のように…(つづく)

<本日のおすすめ>
「千鳥の超クセがスゴいネタGP」
フジテレビ系|2020年10月レギュラースタート

竹内まりや「Plastic Love」

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