見出し画像

【私の90年代 vol.3】 金城智博さん(グラフィックデザイナー)

画像1

画像2

さまざまな体験をした時期でしたが、人生の転機となったのは95年、96年ですね。

周りの友人たちが次々と就職を決めて社会に飛び出していく中、23歳で専門学校に入ったわけですから。学校の同級生は皆10代。当時はこの年齢で専門学校にやって来る生徒は珍しく、先生や他の生徒もびっくりしたことでしょう。

ただ、私は「絶対にデザイナーになるんだ!」と腹を括っていたため、とても気合いが入っていました。実家のある北谷町から那覇の学校まで、ほぼ毎日バイクで通い、デザインの基礎から必死で学びました。

将来、自分のやりたいこと、就きたい仕事が明確になり、まったく苦ではなかったです。楽しくて、楽しくて、朝から晩までずっとデザインの勉強や、制作に没頭していました。

当時はまだ恋人だった妻には、寂しい思いをさせたと思います。今までみたいに一緒に遊ぶ時間も少なくなりましたし、妻が私に電話をかけてきても「ちょっといま集中していて忙しい」とそっけない返事をされるわけですから。まだ携帯電話を持ってない時代だったので、実家の電話でやり取りするわけです。毎回そんな様子なので、見かねた私の母から「もう少しかまってあげなさいよ」と心配されましたね(笑)。

さらに、96年は初の個展もあったため、その準備などに追われて、とにかく忙しく過ごしていました。けれども、このときの頑張りが現在につながっているのは間違いありません。

画像5

私にとって90年代は「金色」

見るもの、聞くものすべてが刺激的で、キラキラと輝いていました。96年ごろからは人脈が広がり、雲の上のような存在だった人たちとも絡めるようになるなど、素敵な出会いがたくさんありました。自分にとって、とても眩しい10年でした。

画像3

【取材後記】高校卒業、グラフィックデザインとの出会い、結婚、お子さんの誕生と、金城智博さんにとって90年代は、人生を形作る上で大切な10年間だったことが窺い知れます。99年に撮影された写真の中で抱き抱えられている赤ちゃんが、次の一枚で立派に成人されている姿を見て、感慨深いものがありました。

あと、インタビューの中で、90年代初期の国際通りの様子を聞くことができました。現在「ドン・キホーテ」があるビルにディスコがいくつも入っていたとは……! 当時の風景をのぞいてみたくなりました。(伏見学)

画像4

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?