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思考の相似性

葉脈と河川網のように、もの自体は違うけど、類似した模様がさまざまなスケールで存在する=相似性が成り立つものがある。この相似性は、自然だけでなく、わたしたちの思考においても成立しているのではないか。ここではその可能性について考察する。

まず、自然で相似性が成り立つのは、物理的アナロジーが成り立つからだ。つまり、両者性質は異なるが、その模様・形を形成する支配的な要因が同様の定式によって表されるので、相似性が成り立つということだ。

これは、思考においても同様のことが言えないだろうか。

私たちは考え方の型=定理があり、これを通して世界を眺める。定理はあらゆるスケールの事象に適用されうるので、相似性を有するはずである。この定理を代入した解が思考である。もちろん実際、定理は数式で表されるものではないし、1つの定理ではないし、ものすごく複雑なものなのかもしれない。

例えば小説を読むとき、事実自体を読んでるのではない。考え方の型=定理を代入して読んでいて、何かしらの解=思考を得ている。これは教訓のようなものかもしれないし、反省かもしれない。
そうであれば、良い思考において大事なのは事実の観察、アナロジーが成り立つのかの見極めだ。前述の通り、相似性はアナロジーが成り立つことが前提であるからだ。

注意しないといけないのは、物理法則は一般に不変であるが(諸説ある。少なくとも実生活において変容しているようには思わない)、一方私たちの考え方の型=定理は変容可能である。私の中では私自身が定理化するものであり、神なのである。

物理を知らなくとも、自然の作り出すさまざまな模様を美しいと思う。
それと同じように私たちの思考も美しいはずなのである。私たちは美しくできるはずなのである。

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