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【ネタバレあり】映画『あみこ』感想【未来を拒絶し、学校に縛り付けられる。本当にリアルな"青春"映画】



こんにちは。これです。


早速ですが、今回のnoteは映画感想になります。今日観た映画は『あみこ』。昨年から映画ファンの間でじわじわと広がっていったこの映画。長野では遅れに遅れての公開となりました。山中瑶子監督は長野市出身。主演の春原愛良さんは小布施町出身ということで、個人的に非常に身近に感じていたので、今回観ることができて嬉しかったです。


それでは、感想を始めたいと思います。よろしくお願いいたします。







―目次― ・主演の春原愛良さんとロケ地について ・『あみこ』についての推察①~スクールカースト~ ・『あみこ』についての推察②~嘘をつけないあみこ~ ・『あみこ』についての推察③~未来を拒絶する~ ・舞台挨拶ミニレポート




―あらすじ― 「人生頑張ったって仕方がない。どこへ行こうが意味はない。どうせみんな死ぬんだから。」――そんなあみこが恋に落ちたのは、同じく超ニヒリストながらサッカー部の人気者でもあるアオミくん。一生忘れられない魂の時間を共有したふたりは、愛だの恋だのつまらない概念を超越した完全運命共同体。現代日本のボニー&クライド、シド&ナンシーになるはずだったが...。



今回会場である長野相生座ロキシーには上映時間の45分前頃に到着。入り口には普段めったにお目にかかれないであろう花輪が飾られていました。




館内に入ると45分前だというのに15人ほどがもう席についていました。やはり中央の席から埋まっていて、私も負けじと8列目当たりの中央付近の席を確保しました。

映画開始15分前になると館内はもう人でいっぱい。100席ほどの一階はほとんどが埋まり、普段人が入らない二階席も開放。その二階席もあっという間に埋まってロキシーはまさに満員となりました。普段は大体3,4人、多くても10人くらいしか入らないので、その状態に馴れきってしまった私はこんなすし詰め状態で映画を観るのがとても新鮮に感じました。

スタッフの方から映画終了後に舞台挨拶がある旨、舞台挨拶は撮影可だというお触れが出され、館内は暗転。いよいよ上映スタートです。



※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。




・主演の春原愛良さんとロケ地について


この映画のストーリーは上記のあらすじの通り、あみこがアオミくんに恋をするところから始まります。しかし、ある日アオミくんは家出をしてしまいます。あみこはそのアオミくんを追って東京に出ていくわけですが、このあみこを演じていたのが春原愛良さん。今回が映画初出演ということでもちろんお初の俳優さんなんですが、なかなかどうして目が離せない存在感がありました。


あみこはニヒリズムを持っていて、他のつまらない女子高生とは一線を引いている(と自分では思っている)キャラクターなんですけど、目の奥にそれを裏付ける冷ややかさがありました。かと思えば画面の割れたスマホを愛用していたり、「自分が長野市で一番可哀想だと思ってた。県ではベスト8に入って北信越進出くらいかなって」など随所に女子高生らしいワードチョイスをしてきていて、それを語る春原さんの抑揚の薄い語り口調もハマっていました。そもそも、あみこは恋した男の子のために東京まで行ってしまう激しい性格の持ち主ですしね。池袋の街中で叫ぶシーンなんかは内に秘めた激情が表出していてとてもよかったです。


それに『あみこ』で印象的だったのが食事のシーン。スパゲッティを汚くがっつき、レモンを切って風呂に入りながらただ齧る。このレモンのシーンは録音の人がツボにはまって大変だったみたいですけど、その甲斐もあってか(?)とても印象的なシーンに仕上がっていました。この辺もあみこが抱えていたストレスが出ていてグッときました。ストレスを食べることで解消してたら太りそうではありますけど。



また、『あみこ』を見ていて個人的に印象深かったのがロケ地ですね。あみこの通っていた高校の外装は長野西高校で、私の弟が長野西高校に通っていたので、これはオッとなりました。山道もあれ実は長野西高校への通学路なんですよ。いくぶん長野西高校は山の上にある学校なもんで。ただ内装は違う高校のものでしたけど。


そして、予告にもあった長野駅前のシーン。信号が変わる音までそのままで妙な感動を覚えたんですが、ここで注目したいのは二人のバックにあるお店です。ファミマがあってその隣にお土産屋さんがありましたよね。まずあのファミマはもともとはサークルKだったんですよ。それが改装してファミマになって。さらにその隣のお土産屋さんも今はもうなくて、そのぶんファミマが増床してるんです。だから新しさと懐かしさの両方を感じましたし、これらを手掛かりにすると撮影時期がけっこう特定できそうな気もしてきますね。


あと、劇中であみこが自転車を立ちこぎで漕いでいたシーンの踏切。あれは多分柳原の方なんじゃないかって思いますね。さらに、東京パートの初めのバスタ新宿や東口の信号、ブックオフの看板も私が東京にいたころ飽きるほど見た光景ですし、TSUTAYAもこの陳列は若里の方かな?と思いきや全然関係のないところだったのも含めて楽しんで観てました。これは長野に住んでいる私ならではの感想になりますね。ローカルな話ですみません。







・『あみこ』についての推察①~スクールカースト~


さて、あみこはニヒリズムを持った存在だというのは先にも述べたとおりです。そして、なぜあみこがニヒリズムを持ってしまったのかというと私はスクールカーストが大きく関係しているんじゃないかなと考えます。


スクールカースト(または学校カースト)とは、現代の日本の学校空間において生徒の間に自然発生する人気の度合いを表す序列を、カースト制度のような身分制度になぞらえた表現。 (Wikipediaより引用)


まず、あみこには友達がいる様子があまり見受けられません。まみちゃんとあと一人?ぐらいです。スクールカースト上位の生徒って友達も多く、学校生活を楽しく過ごしていますよね。映画の中で登場したタロット占いに興じる女子高生たちがまさにそれに当たります。くだらないことで盛り上がれるスクールカースト上位の生徒たち。それを見ているだけであみこにダメージがあったことは想像に難くありません。そういったカースト上位からの無自覚な攻撃から自らを防御するためにあみこはニヒリズムを身に付けたのではないでしょうか。「アイツらは分かっていない」と周囲を見下し、分かっている自分を上位に上げる。それがあみこのニヒリズムの正体であると私は考えます。


また、映画の中であみこはレディオヘッドを聴いていますよね。レディオヘッドを聴いてるような人間が明るいはずがないんですよ(偏見)。カースト上位の女子なんてレディオヘッドはおろか洋楽なんて聴かないですよね。まあ多々単純に好きなのもあると思いますけど、あみこは「私はレディオヘッドの良さを分かってる」と悦に浸りたくてレディオヘッドを聞いていたみたいな部分もあるのではないかと思います。


また、あみこは帰宅部です。帰宅部というのは部活に入っている人間からすればそれだけで軽んじられる存在。つまりはスクールカースト下位になりやすいと言えますね(偏見)。これらの特長からあみこはスクールカースト下位、良くて中位に位置する生徒であると考えられます。


一方のアオミくん。彼はサッカー部に属しています。サッカー部というのは人気の部活ですし、それだけでカースト上位になるだけの価値を持っています。さらにアオミくんは顔もよく女子からもそこそこモテるときている。これらから彼がカースト上位にいることは疑いようがありません。カースト上位の者と下位の者はなかなか交わることはありません。


ただ、アオミくんはレディオヘッドを知っていました。そして、あみこを「最強になれると思うな」と認めています。カースト下位の人間はなんだかんだ言って上位の人間に認めてほしいもの。魂の言葉を交わした二人はカーストを飛び越え、恋に落ちていきます。



ただ、アオミくんは家出。東京に行ったわけですが、あみこは東京でアオミくんを見つけることに成功します。そこでアオミくんがあみこに放った言葉が「俺、サンボマスターが好きなんだ」。うん、カースト上位の人間はサンボマスターなんて聴かない(偏見)。EXILEとかジャニーズとか、そもそも音楽を聴かない(偏見)。そもそもレディオヘッドとサンボマスターって音楽性は正反対じゃないですか。あみこは「レディオヘッドを知っていて分かってると思ったのに、サンボマスターなんて分かってない」とでも思ったんですかね(ずいぶんな洋楽志向だ)。アオミくんに幻滅して拳を喰らわせました。


そして、この拳に書かれていた言葉がまた面白くて。「pure」って書かれてたんですよね。「pure」は純粋なっていう意味から拡大して、〈特に女性が〉(性的に)汚れていないという意味があります。ほら、スクールカーストを決める大きな要因として性交渉をしたかしてないかっていうのがあるじゃないですか。上位はしていて下位はしていない。まぁあみこはしていないですよね。で、アオミくんはしてますよね。この差が二人を完全に分かってしまったのではないでしょうか。「アオミくんなんてもう仲間じゃない」っていう意味もあって拳を喰らわせたんだと思うんですよね、あみこは。


『あみこ』の最後は駅のシーンで幕を閉じます。線路ギリギリに立って足をぶらつかせているあみこ。アナウンスが鳴っても黄色い線の内側に下がる様子を見せません。私、この黄色い線ってカーストの境界線を表していると思うんですよね。カースト上位は外側でカースト下位は内側。つまり、あみこは背伸びをしてカースト上位に出てみたというわけです。ただ、それはあくまでも一時的なもの。母親に戻ってくるといった手前、飛び込むことはないでしょう。そうなると黄色い線の内側に下がってしまいますよね。つまり、あみこがカースト下位なのは変わらないということを示しているのではないかと私は考えます。








・『あみこ』についての推察②~嘘をつけないあみこ~


長野駅のシーンであみこは「女には、365日に1日はどうなったっていいって思う日が絶対あるんだって」と語っています。この「どうなったっていいって思う日」は一見すると、あみこがアオミくんに失恋しホームギリギリに立ったラストシーンのように見えます。でも、私は上記のようにあみこは確固たる意志を持ってあそこに立っていたと考えているので、それは違うのではないかと。むしろ、その前日が「どうなったっていいって思う日」だと思うんですよね。


あみこは池袋でおっさんと一緒に「みんな嘘つきだー!」「だれも本音を言っちゃいなんだー!」(うろ覚え)といったことを叫び、駅の地下でカップルと謎のダンスを踊ります。このダンスの後の「日本人は勝手に体が動くなんてことはないのよ」というセリフはメタ的でとても面白かったのですが、大事なのはその前。「みんな嘘つきだー!」のシーンなんですよね。


思えば『あみこ』では多くの登場人物が本音を言っていませんでした。「私知ってるよ、まみちゃんは誰にも心を開いてないって」や「だってタロットカードがそう言ってるもん」などです。なんで本音を言わず嘘をつくのかというと、これは先のスクールカーストの話にも関連してくるのですが、カースト上位に行くためには嘘は不可欠なものだからなんですね。


嘘をついてでも友達とうまくやっていけるというのが人気者、カースト上位の条件であり、先生はそういった生徒を「人気がある」「リーダーシップがある」と評価しがちです。その一方で本音をすぐ行っちゃうあみこのような存在は皆から疎まれ、カースト下位に下げられてしまう。つまり、「正直者が馬鹿を見る」のが学校という場なのです。


映画のラストであみこはホームギリギリに立っています。これは「自殺する」という嘘をついていると私には思えるんですよね。嘘をつくことでカースト上位に行こうとした。そうしたあみこの心の表れがああいった行動として出たのだと推測します。








・『あみこ』についての推察③~未来を拒絶する~


この映画はあみこの高校の先輩「ミズキ」の登場によって大きく動き出します。突如登場したミズキ先輩にタロット占いに興じていた女子高生は一斉に群がります。大した人気ぶりですね。で、なんでミズキ先輩が人気なのかと言うと、ミズキ先輩が高校を卒業しているからなんです。つまり、自分たちが知らないもの、青春の先の未来を知っている存在です。いわば女子高生たちにとっては未来の象徴。知らないものを知りたいという好奇心にはあみこも勝てず、ミズキ先輩を確認していますしね。


そして、ミズキ先輩は東京に帰り、それを追うようにしてアオミくんもいなくなります。アオミくんもニヒリズムを持っていて、学校という狭い世界に嫌気が差していたんでしょう。未来の象徴であるミズキ先輩についていき、未来を見ようと東京に行ってしまいました。


そんなアオミくんを取り戻そうと、あみこは東京にセーラー服のままで向かいます。いうまでもなくセーラー服は学校の象徴。それを着ているということは、あみこは学校という狭い世界、そして現在に囚われているということができると思います。私服を着ている自由なミズキ先輩、そしてアオミくんとは対照的ですね。


あみこはミズキ先輩の家に忍び込むことに成功します。一旦ミズキ先輩は帰ってくるわけですが、あみこはミズキ先輩を追い出します。女子高生にとって未来の象徴だったミズキ先輩を追い出すということは、これはいわば未来の拒絶。そして、私服を着てミズキ先輩を、未来を見ているアオミくんとも最終的にあみこは決別します。これもあみこが未来を見ることから目を背けたともいえそうです。


そして、三度ラストシーン。あみこはホームギリギリに立っています。ここから思い起こされるのは飛び込み自殺。それはすなわち永遠に時間を止められるということで、分かりやすくこれから訪れる未来を拒絶しています。先に述べたように私はあみこは自殺しないと考えていますが、あのラストシーンにはこういった意味があったのではないでしょうか。



これらをまとめると『あみこ』というのは未来を拒絶する映画であって、ホームから飛び出す=スクールカーストから飛び出すということを考えると、「学校に縛り付けのままの現実は変わらない」ということを表現していると私は考えます。これは未来に向かう多くの青春映画とは正反対のアプローチですが、実際の学校や青春を考えると『あみこ』が取ったアプローチというのがより近いと思うんですよね。


カースト上位にいる生徒は「このまま青春がずっと続けばいいのに」と考え、カースト下位にいる生徒は「早く終わってほしい」と願いながらも、たいへんな現実はなかなか変わらない。『あみこ』はこの両面性を持つ高校時代という時を一人の主人公で、しかも66分という短い時間で描いた映画であるというのが私の持論です。キラキラした青春映画に参っているという方は、『あみこ』が描いたまた別の、よりリアルな青春の形に触れてみてはいかがでしょうか。







・舞台挨拶ミニレポート


上映が終了するとどこからともなく拍手が沸き出ます。多くの人が『あみこ』を好意的に受け入れた証拠です。

映画が終わって間を開けずに舞台挨拶が始まりました。山中瑶子監督と主演の春原愛良さんが登壇です。



山中監督は想像していたより20㎝ぐらい身長が高く、春原さんはちょっときつめだった映画とは違いとても温和な雰囲気です。二人とも地元に帰ってきて緊張していた様子でしたが、どこか嬉しそうでした。二人の挨拶で舞台あいさつは幕を開け、映画撮影中の様々なエピソードが語られました。

山中監督はSNSでキャストを探していて、そこに応募してきたのが舞台に出たくて上京してきた春原さんだったということ。

山中監督は最初は見られるのが恥ずかしかったようですが、だんだん見られるのに慣れていったということ。

スタッドレスタイヤのレンタカーがなく苦労したこと。

レモンを齧るシーンは本編の12倍ぐらい撮っていたこと。

劇中のダンスはカップルの女の人(山中監督の友達)に発注したこと。

など裏話が語られ、舞台挨拶は質問コーナーに移ります。まず最初に手を挙げたのは私の隣に座っていた女性でした。質問は大雑把にいうと「予算はどれだけかかったのか」ということ。これに対する山中監督の答えは「25万円でそのうち5万円は車の修理代に消えた」。去年話題になった『カメラを止めるな!』が300万なので実にその12分の1です。めちゃくちゃ少ない。ていうかそんな少ない予算で映画って作れるんだ。もちろん役者さんたちやスタッフはノーギャラなのかな。すごい。


続いての質問は「あみこが劇中で使っていた画面の割れたスマートフォンは演出か?」。これに対する山中監督の答えは「あれは私の私物です。割れてないスマートフォンもあったんですけど、あみこは割れてるスマートフォンを使ってそうだなと思ってそうしたので演出です」とのこと。身に付けるアイテムからもキャラクターを断たせようというこだわりが感じられます。確かにあみこの使うスマートフォンは割れてそう。そんでもって付属品のイヤホンをいつまでも大切に使ってそう。


続いての質問は「山中監督の好きな映画、監督を教えてください」。山中監督はこれに、好きな映画は『ヤンヤン 夏の思い出』、好きな監督は溝口健二監督。邦画で好きなのは『青春の殺人者』と答えていましたね。はい、どれも知りません。TSUTAYAにあんのかなぁ。あったら見たいなぁ。


さらに春原さんにも同じ質問が。春原さんの好きな映画は『アイ・アム・サム』。これは私も知っていました。というか私もオールタイムベストに入るくらい好きな映画です。本当に感動しますよね。また好きな邦画は去年公開の『きみの鳥はうたえる』。名前は知ってましたけど、多分長野じゃ松本のシネマセレクトで一回やっただけじゃないのかな。結構評判いいみたいですし、DVDが出たら見てみようかな。今のところ発売予定はないみたいですけど。


最後の質問は「日本と海外のお客さんの違いについて」。山中監督曰くダンスシーンは結構向こうでも受けたみたいですね。さらに違いについては「日本人は観終わったあと一回家に持ち帰る人が多いけど、海外は観終わったあとのそのままの自分で来た」という趣旨のことを語っておられました。


そして、ここで花束の贈呈。劇場から、春原さんの高校の同級生から、山中監督の友人の祖母の方から花束が二人に手渡されました。


二人ともとても幸せな様子でした。


最後に二人が今一度挨拶をして、山中監督はロキシーの宣伝もしていた、舞台挨拶は終了となりました。長野にいるとなかなか舞台挨拶を見る機会がないので、今回山中監督と春原さんの生の声が聞けて、貴重な体験ができてよかったなと思います。


今思えば何か質問しとけばよかったかなぁ。「次回作はどのようなものを撮りたいですか?」とか「どんな映画に出てみたいですか?」とか。でもメモを取りながら聞いていたので、さらに質問するとなると本当の記者の人みたいになっちゃいますしね...。さらに、目立つのが苦手などうしようもないチキンなので結局聞くことはできませんでした。


スクリーンを出て、劇場の狭いロビーでは二人が販売されていた500円のポスターにサインをしています。20m後ろのトイレまで続きそうな行列ができていました。私もちょっと揺らぎましたが、そこはいらぬ自制心がしゃしゃり出ます。申し訳ないと思いながらもサインをする二人を傍目に映画館を後にすることに。外では入場時には降っていなかった雪がちらちらと舞っていました。




以上で感想は終了となります。お読みいただきありがとうございました。

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